第七章 かくて戦姫は絆を断つ その➄
ほどなく蝶番の鈍い擦過音とともに広間の扉が開かれ、引見の対象者が連れてこられた。
その姿に広間内の参列者たちが一様に息を呑み、表情をこわばらせたのも無理はないであろう。広間に連れてこられた虜囚――同盟の盟主であったカルマン大公であった。
見るからに屈強そうな衛兵に左右を挟まれて、さらに両手首には木製の手枷がはめられている。
装いこそ一応黒を基調とした礼服ではあったが絵に描いたような罪人の姿であり、これが先王の長子として生まれてこの国の宰相まで務めていた人間だというのだから、かくも敗者とは無残なものなのかとランマルとしては同情を禁じえない。
もっとも当のカルマンには恥じいった様子も悪びれた様子もなく、玉座のフランソワーズを毅然とした態で正視している。
沈黙の対峙が続くことわずか。まずフランソワーズが口を開いた。
「カルマン卿、久しいですわね」
「陛下もご機嫌うるわしくなによりと存じます」
二人とも淡々とした口調であり態度だった。
その表情もまさに「無」で、お互いへの心情感情といったものはまるで窺い知れない。
小さく一つ頷き、フランソワーズが語を継いだ。
「さて、カルマン卿。先の一件について、何か弁明したいことはありますか?」
問われたカルマンはゆっくりと首を振り、
「いいえ、ございません。ですが、お許しを得られるならばひとつだけ陛下にお願いしたいことがございます」
「よろしい。伺いましょう」
「一連の謀反の企ては、すべて盟主たる自分が主導したものございますれば、同盟に参画した貴族や将兵たちには、なにとぞ寛大なるご処分を願うものであります」
(ええっ、それは違うでしょう、殿下!)
カルマンの意外な一語に、ランマルは一瞬驚きのあまり喉もとまで声が出かかったが、すぐにカルマンの胸の内は読めた。
すなわち、先の謀反とそれに続く内戦におけるすべての咎を自分一人で背負い、謀反に加担した貴族たちの助命を図るつもりなのだということを。
ランマルはちらっと階の上に視線を転じた。
そこではフランソワーズが沈黙を保ったままカルマンを見据えていたが、やがて小さく息を吐き、
「わかりました。要望として伺っておきます。それでは後日、貴殿への沙汰を通達いたしますゆえ、それまでは城下において謹慎することを命じます」
フランソワーズの一語に、カルマンはゆっくりと頭を垂れた。
そして踵を返し、衛兵に挟まれたまま広間から出ていった。
傍らにいたフォロスの、溜め息まじりに呟く声がランマルの耳をうったのは直後のことである。
「惜しゅうございますな……」
「うん? 惜しいとは、カルマン殿下のことか?」
「はい。才幹といいお人柄といい、大公殿下と女王陛下が手を携えてこの国の舵取りをなされば、きっと良い政事が行えたことでしょう。にもかかわらず、あのような暴挙に加担なされるとは誠にもって残念でなりません。聡明な殿下らしくもない……」
「…………」
吐息まじりのフォロスの慨嘆にランマルは沈黙を守ったが、それは彼と意見を同じくするからではなく、逆に異とするからであった。
二人が手を携えればとフォロスは言うが、あの性格や思考や気性といったものがまるで正反対の異母兄妹がこの先、不和を起こすことなく二人三脚で政事をおこなえたかというと、ランマルにはとてもそうは思えなかった。
たしかに今回の謀反劇は、ダイトン将軍ら反動派の面々が中心となって起こされたものであり、カルマン大公は彼らに懇願されて否応なく盟主に就いただけで、けっして女王が憎くて謀反に与したわけではない。そのことは女王自身も承知しているはず。
だがこの先将来において、女王と対立したカルマン大公が、今度は自らが首謀者となって同様の事件を引き起こすことは絶対にないと誰が断言できるのか。先の宮廷人事を見てもわかるように、女王との「火種」には事欠かないのだ。
そして、万が一にもそのような事態が起きれば、そのときこそ互いの憎悪を直接ぶつけあう、本当の意味での骨肉の争いがこのオ・ワーリ王国で引き起こされるのだ。
そう考えたとき、これはまったくの極論かもしれないが、今回の事件とその結末は、あるいは女王と大公双方にとって「救い」ではなかったのかとランマルは思うのだ。
兄と妹が互いを心底から憎むことなく「破局」を迎えることができたのだから……。
そんなことを考えていたランマルが、思考の淵から脱してふと顔を上げたとき。玉座に座るフランソワーズと視線があった。
透きとおるような碧眼で、ランマルの顔をじっと見つめている。
否、それはフランソワーズだけではなかった。参列者の誰もが怪訝そうな目つきで、ランマルに視線を集中させている。
わけがわからずランマルがポカンとしていると、
「ランマル卿、早く閉会の宣言を」
と、後背からフォロスがささやいてきた。
その一語でランマルは完全に状況を理解することができた。
つい失念していたが、本日の式典の進行役たる式部官は自分ということをである。
さらに言えば虜囚の引見が終われば式典も終了となり、その引見も今日はカルマン大公一人のみであったのだが、ぼんやりと考え事をしていて、つい自分の役目を忘れていたのである。
つまりフランソワーズや列席者たちの視線は、「さっさと式を締めんかい!」という無言の催促だったのである。
遅まきながらそのことに気づいたランマルは慌てて声調を整えると、声高に式の終了を告げたのである。
「い、以上をもって、戦勝式典の閉会を宣言いたします!」
†
あれをしなきゃならない、これをやらなきゃならないと頭でわかっていても、何もする気になれない、何も手につかないという時が人間にはあるものだ。
かの戦勝式から今日に至るこの数日間のランマルがまさにそうだった。
決裁しなければならない仕事は、自身の執務室の机の上に山のように積まれてはいたが、ランマルはそれらに手を付けることなく、朝から晩までぼんやりとした、無気力を絵に描いた態でこの三日間を過ごしていたのだ。
すべての理由は三日前、あの戦勝式典の翌日に女王から下された勅命にある。
あろうことか現在、国都内の某貴族の屋敷にて軟禁中のカルマンに対し、先の内戦における女王の沙汰、すなわち「自害命令」を通達する使者の役をランマルにやらせるというのだ。
その勅命を告げられたとき。当初ランマルはとっさに理解できずにポカンとなり、それが理解できると腰が抜けるほど仰天し、最後には「なんちゅう役をやらせんねん!」と、頭から蒸気が噴きでんばかりに憤った。
当然ながらランマルは辞退する旨を伝えたのだが、そんなランマルにフランソワーズは驚くべき一語を返してきた。
使者の役をランマルに任せるように、カルマン自身が依頼してきたというのだ。
どうして殿下は僕なんかを使者に指名したのだろうかと、ランマルは仕事そっちのけでそればかりを考えているうちに三日が過ぎ、かくして今日、運命の日はやってきたのである。
この日の正午過ぎ。一人で王城を発ったランマルが王家所有の四輪馬車に乗って向かったのは、ドメネク子爵という貴族の屋敷である。その子爵邸にカルマンは軟禁されているのだ。
王城を発つこと一刻弱。件の子爵屋敷に到着したランマルは正門を通り抜けて、大理石造りの屋敷の玄関の前に馬車を止めた。
そこでは館の主人であるドメネク子爵が、家人とともにランマルの来訪を待っていて、馬車から降り立った彼を邸内に迎え入れた。
手揉みせんばかりにやたら愛想を振りまきながら、あれやこれやと饒舌に話しかけてくる子爵を適当にあしらいながら邸内を歩くことしばし。ランマルが通されたのは屋敷のメインホールである。
重厚なオーク材造りの扉を押し開いてそのホールに足を踏み入れたとき。
そこには黒を基調とする正装に身を包んだカルマンが一人、ホールの中央付近で静かに佇んでいた。




