第七章 かくて戦姫は絆を断つ その②
「そうだな……一番の理由は貴族や将軍たちに、彼らが信じる大義を彼らに与えたかったからかな」
「大義……でございますか?」
「そうだ。彼らが女王に対する謀反を計画し、私にその盟主に就くことを要請してきたあの日。来たるべき日が来たと私は思った。どう考えても妹の急進的な思考や手法を、ダイトン将軍らが甘受するはずがないからな」
ランマルが沈黙していると、カルマンはひとつ息を吐いてから語を継いだ。
「もはや彼らを説得できぬと悟ったとき、私がすべきことはひとつしかないと思った。要請を受けて盟主となり、彼らが信じる大義を与えてやることだと。先王の長子たる私を戴き、オ・ワーリ王国にかつての正義と秩序を回復する。それが彼らの言う大義であり、はたしてそれが大義と呼べるものなのかどうかはあえて言わぬが、大事なのは彼らがそれを信じて疑っていないということだ。ならば彼らの意を汲んで盟主になることこそ、代々ウォダー家に尽くしてきてくれた彼らと彼らの父祖に対する王族としての責務だと、そう思ったのだ」
「……それが、ご自身の破滅を招くことだとしてもですか?」
「そうだ」
カルマンの返答は端的であったが確固たる意思があった。
避けられない死を目前にしてなお、自分のとった行動に対してわずかな後悔もしていない者の声であり、そして表情だった。
そんなカルマンにランマルは圧倒され、声も出せずにその場に佇立していたのだが、ふとカルマンは微笑を漏らすと、どこか興がったような声で別の話を口にした。
「そうそう、じつはお前に直接頼みたいことがあったのだ、ランマル」
「私に? 何でございましょうか?」
寝酒のワインでも所望されるのかなと思ったのだが、この直後、カルマンの発した言葉にランマルは自分の聴覚を疑った。
「どうかエマを頼むぞ、ランマル」
「……はあ?」
一瞬、ランマルは不遜にも間の抜けた返事を発してしまった。
しかし人間、思いもかけぬことを突然面と向かって言われたら、誰しも間の抜けた反応しかできないだろうとランマルは思う。いや、そんなことよりも……。
「あ、あの、殿下。エマ様を頼むというのはどういう……?」
「お前とエマが恋人同士であることは知っているよ」
(じぇじぇじぇ!? な、なぜ、それをご存じなのですかっ!?)
まさに驚天動地とも言うべきのカルマンの一語に、たちまち心身麻痺状態に陥ったランマルはあやうく卒倒しかけたのだが、そこは日頃から横暴君主に鍛えられた忍耐力を発揮してなんとか堪えた。
しかし言語能力はいまだ麻痺したままで、口をもごもごさせるランマルにカルマンは愉快そうに笑ってみせた。
「心配するな、私は咎める気などない。むしろ喜んでいるのだ。あの子が地位や身分にとらわれない恋愛観を持っていたことにな」
そうカルマンが言ってくれたので、ランマルとしてはいくぶん平静を取り戻すことができたのだが、問題はもう一人の危険すぎる身内のほうである。
ひと呼吸おいて、ランマルは恐る恐るカルマンに問うた。
「ま、まさか、そのことは陛下も……?」
「さて、そこまではわからないが……」
言いさして口を閉ざしたカルマンは椅子から立ち上がり、ランマルが持ってきた筆箱を開けて毛筆を一本取り出した。
そして、その筆を手にしつつ肩越しにランマルに語りかける。
「ランマルよ、どうかエマのことをよろしく頼む。いかに王族として生まれたとはいえ、せめてあの子だけには政略結婚のような不毛な婚姻をしてもらいたくないのだ。それはフランソワーズも同様だが、あれには女王としての立場があるゆえそれもかなわぬだろう……」
「殿下……」
ランマルはどう応じていいかわからず、それ以上言葉を続けることができなかった。
その場に佇立したまま、それでも発すべき言葉を脳裏で必死に模索したのだが、結局見つけられないままにカルマンの執務室を辞去したのである。
†
そのことにランマルが気づいたのは、その部屋の扉近くまで至ったときであった。
ふとわれに返ったとき。自分がいつしかフランソワーズの寝所近くまで足を運んでいたことに気づき、ランマルは驚かずにはいられなかった。
それも当然で、カルマンの部屋を出てからこの場に至ったまでの記憶がまるでないのだ。
おそらくはぼんやりと考え事をしながら歩いていたからであろうが、われに返った今では何事を考えていたのか、それさえもランマルは思いだせなかった。
ともかく時間も時間なので、ランマルはすぐに踵を返して自分の部屋に戻ろうとしたのだが、その足は三歩進んだところで止まった。室内から言い争うような声が聞こえてきたのだ。
その声に驚いたランマルは、ためらいつつも扉をノックして部屋に足を踏み入れたのだが、そこではソファーに座るフランソワーズに妹のエマが詰めよって、なにやら声を荒げている姿があった。
「こんな夜分にいかがされたのですか? そのように声を荒げられて……」
「あっ、ランマル!」
ランマルの姿を見るなりエマが駆けよってきた。その顔は半分泣いているようにも見えた。
「どうされたのですか、エマ様?」
「ランマル、あなたからも姉様にお願いして。カルマン兄様をお許しになってって!」
「エ、エマ様……?」
エマのその一語でおおよその事情を察したランマルは、ソファーに座るフランソワーズを見やった。
不機嫌を絵に描いた姿が視線の先にはあった。
眠さに今にも閉じそうな眼といい、まったく整えてられないぼさぼさとした髪といい、おそらくは寝ていたところを起こされたあげく、エマからカルマンの「助命懇願」をされたのであろう。憮然とした顔でグラスに注いだ水を喉に流しこんでいる。
そんなフランソワーズをよそに、エマが懸命の顔つきでランマルに訴え続けた。
「そもそもカルマン兄様には、姉様に逆らう気などまったくなかったのよ。その証拠に兄様は何度も何度もダイトン将軍たちを説得して、姉様と敵対しないようにずっと働きかけていたんだから。でもダイトン将軍や他の貴族たちはそんな兄様の説得を無視したばかりか、強引に盟主にして謀反を起こしたのよ。悪いのは全部あの人たちなのに、姉様はカルマン兄様を処罰しようとしている。こんな理不尽なことが許されていいの!?」
「…………」
何と応じていいかわからずランマルが沈黙を守っていると、怒号にも似たフランソワーズの声がその鼓膜をうった。
「いいかげんにおし、エマ!」
低いが鋭く厳しいその声に、エマがたちどころに口を閉じる。
その場に立ちすくんだまま唇を噛みしめるエマに、さらにフランソワーズが強い語調で言い継いだ。
「たとえ身内であろうと、どんな理由があろうと、女王に弓引いた罪は重いのよ。古来より罪には罰をもって報わせる。そうでなければ一国を治めることなどできはしないのよ。お前も王族なら、そのくらいのことはわきまえなさい!」
「だ、だってぇ……」
涙を浮かべて口ごもったエマの姿に、「ここはひとつ、恋人らしくカッコイイ台詞で慰めてやるか」と考えたランマルは、芝居じみた口調でエマに語りかけた。
「申しあげにくいことですが、エマ様。大公殿下はすでにお覚悟を決めておられます。いや、おそらくは同盟の盟主に就いたときからすでに……」
「姉様のバカーッ!」
「アギャーッ!」
一瞬、ランマルは悲鳴をあげて跳びあがった。それも当然で、エマが吐き捨てるなりランマルの脛をおもいっきり蹴飛ばしたのだ。
ランマルが蹴られた脛を抱えながらピョンピョンと飛びはねているうちにも、エマは部屋を飛び出していった。
やがて室内が静けさを取り戻し、ことのついでにランマルの脛の痛みも和らいだ頃、ソファーの上でフランソワーズが疲れたように吐息した。
「まったく、エマにも困ったものね。ほんと子供なんだから……」
苦々しげにつぶやくフランソワーズであったが、その声の端々からはエマに対する隠しきれない愛情もランマルには感じられた。
そのフランソワーズが、ふと心づいたようにランマルを見やった。
「ところでランマル。お前、こんな時間にどうしたの?」
「えっ?」
いぶかるような口調で質されて、ランマルはとっさの返答に窮した。
たしかにフランソワーズがいぶかるのも当然である。なにしろランマルは、別に召し出されて部屋を訪れたわけではないのだ。
カルマンの執務室を出た直後になぜか「記憶喪失」におちいって、気づいたときにはこの部屋の前まで来ていただけなのだから。
とはいえ、さすがに本当のことを告げる気にはなれず、ランマルはごく短時間、脳細胞をフル稼働して別の返答を考えた。
「明日の式典に関するすべての準備が終えましたので、そのご報告に参りました。おもだった方々は現在、国都に滞在されておりますので、明日の夜には確実に登城されるものかと」
「そう、ご苦労さん」
満足そうにうなずいてコップの水を飲むフランソワーズに、ランマルは恐る恐る声を向けた。
「あ、あの、陛下。大公殿下の件なのですが、やはりご意志は変わりませんか?」
するとフランソワーズは、たちまち凄みのある目つきでランマルを睨みすえ、
「まさか、お前までつまらないことを私に進言するつもりではないわよねえ?」
「い、いえ、滅相もありませんです、はい!」
まさに猛禽類の目つきで睨まれて、ランマルは慌てて首を振った。
妹のエマは叱責で済んだが、これ以上側近とはいえ一家来でしかない自分が余計な差し出口をきいたら、おりからの不機嫌さもあいまってキレた女王に城の露台から逆さ吊りにされて、そのまま朝を迎えて陽光を拝むハメになるのは見えている。
「明日の戦勝式典の場で彼らの処分を発表するわ。段取りは任せたわよ、ランマル」
「は、はい、かしこまりました」
ランマルは一礼して部屋を出ると、今度こそ眠りにつくべく自分の部屋に向かって歩きだした。
もっとも、ベッドに入ったところで素直に寝付けるとは、ランマルにはとうてい思えなかったが……。




