第七章 かくて戦姫は絆を断つ その①
救国王侯同盟の降伏を受けて女王軍が国都に凱旋し、さらに王城入りを果たしたのはアセナール平野での戦いから三日後のことであった。
その日の正午。国都に足を踏み入れたフランソワーズら女王軍を待っていたのは、そこに住む数万の国民の熱狂的な歓声と拍手の二重奏だった。
騎兵の軍列に守られた四輪馬車に乗って凱旋する女王に、国都の民衆は心からの声を轟かせたのである。
「フランソワーズ女王、万歳!」
「女王陛下に栄光あれ!」
「我らが女王に神のご加護を!」
やや無秩序ではあるが、反女王勢力による突然の国都占領から解放された民衆の力強い熱狂ぶりは、偽りのないものであろう。
フランソワーズとランマルが乗る馬車を護衛する女王軍の騎士たちも、そんな民衆の歓声に今度の戦いとその結末が末永く語り継がれるものであり、オ・ワーリ王国の正史に記される瞬間に自らが立ち会ったということを実感しているのであろう。皆、誇らかな顔つきで行進している。
そんな騎士や民衆の姿を、ランマルはどこかぼんやりとした態で馬車の中から見つめていたのだが、ふと心づき、馬車の中から窓越しに民衆に手を振っているフランソワーズに声を向けた。
「ところで陛下。ダイトン将軍一党の件ですが」
「連中がどうかして?」
「はい。大公殿下による再三再四にわたる説得にも耳をかさず、降伏を拒否して今もアーセン城に籠もっているとのことです。このまま状況が続くのであれば、攻城戦の準備をいたしませんと……」
それに対するフランソワーズの返答は「否」であった。
薄い笑いを口もとにたたえながら言ったものである。
「攻城戦など無用よ。城の周囲を軍兵で取り囲んでいれば、そのうち水も食糧も尽きて勝手に干乾しになるから。それまで連中など放っておけばいいのよ」
「たしかに……」
フランソワーズの言わんとしていることを諒解し、ランマルは首肯した。
そもそも籠城とは、外部からの支援を前提にするものだ。
しかし、今アーセン城に立て籠もっている同盟軍(いまや百人ほどの小勢力だが)には、もはや支援を期待できる味方はいない。
大部分の将兵はウェミール湖畔と、それに続くアセナール平野での戦いで戦死したか、もしくは捕虜になり、王城に残っていた勢力もすでに降伏して全員が城内の牢獄にて監禁中である。
もはや孤立無援のダイトン将軍らなど無視し、城内の食糧が尽きるのを待てばいい。そうフランソワーズは言っているのである。
かくして時間は過ぎ、やがて陽が沈んで夜の帳が国都を包みこむ時分になると、街中同様、女王の凱旋に沸きたっていた王城内も静けさと落ち着きを取り戻していたのだが、中には夜になってもまるで落ち着くことができずにいた者もいる。
ランマルである。
それというのもフランソワーズが、
「戦勝式典は明日やるからね。ちゃんと準備をしておくのよ、ランマル」
などという無情な勅命を下したものだから、おかげでランマル一人、食事も休息もろくにとらずに城内を上に下に奔走するハメになったのである。
なにしろフォロスたち城の侍従官たちは皆、戦いが終わって解放されたことによる安堵からか。全員が虚脱感ないし脱力感みたいなものにとらわれ、とても働ける状態になかったのだ。
かといって女王が、それを理由に式典を延期してくれるかというとそんなはずもなく、しかたなくランマルはほとんど一人で明日の式典の用意を進めたのである。
心の中で「あのスイカップめ、いつか天罰が下るぞ!」などと罵りながら筆を走らせ、文書をしたため、市井の業者に式典に必要な品々を発注するなど、城内外を駆けずりまわること五刻余り。
夜半過ぎにいたってようやくすべての仕事を片付けたランマルは、就寝前の習慣であるホットミルクを一杯飲んでベッドに入ろうとしたのだが、直前に飛びこんできた「勅命」に慌てて身支度を整えた。
現在、城内の一室に軟禁されているカルマン大公が、筆と紙を所望されているというのだ。
身支度を整えたランマルは、頼まれた筆と紙を持って部屋を出たのだが、その途中、城内の廊下を歩いていた四騎士団長と出くわした。
四人とも程度の差はあれ、どうやら皆酔っているようで、ほのかに顔が薄朱色に染まっていた。
「これは四騎士団長の方々。まだ休まれなくてよろしいのですか?」
ランマルがそう声をかけると、彼女たちはなにやら可笑しげな表情で視線を交わし、パトリシアが応じた。
「なんだか落ち着かなくてね。なんというか、こう、まだ興奮状態というか、体中の血が騒いでなかなか眠れないのよね」
そう言って苦笑するパトリシアに、傍らのガブリエラが人の悪い笑みを浮かべて、
「まだ暴れ足りないの間違いなんじゃないの、パティ?」
と、からかうと、四人の騎士団長たちはキャッキャと笑いあった。
こういう姿を見ると、四人ともごく普通の女の子だなあとランマルは思う。
実際、彼女たちはまだ二十歳にも満たない正真正銘の「女子」なのだが、それが甲冑をまとい、剣や槍を手に馬にまたがって戦場に出ると、ああも勇猛で勇敢な戦士に一変するのだから、まことに女性とは恐ろしい生き物だとランマルはしみじみ思うのだった。
ふと笑いをおさめたヒルデガルドが、ランマルに訊いてきた。
「それにしてもランマル卿。あなた、こんな夜遅くにまだ仕事をしているの?」
「いえ、仕事の方は一段落しました。これはカルマン殿下に頼まれた筆と紙をお部屋までお持ちするだけです」
ランマルがカルマンの名を口にすると、彼女たちの表情が一瞬の変化を見せた。
皆、たちどころに笑いを消し、なんとはなしに互いの顔を見やると、ふたたびヒルデガルドがランマルに訊いた。
「ねえ、ランマル卿。陛下は大公殿下をどのように処されるおつもりなのかしら?」
「どのように言われましても……」
「やはり重刑は避けられないの?」
「私にはなんとも申しあげられません。すべては陛下の御心しだいですので」
ランマルとしてはそう答えるしかなかった。なにしろ迂闊に私見を口にしていい類の話ではないのだ。
それは彼女たちも承知しているので、それ以上質すようなことはなかった。
ヒルデガルドたちと別れたランマルは、カルマンが軟禁されている宰相執務室に向かった。
部屋の前に立つ監視役の兵士に扉を開けてもらい、執務室に足を踏み入れたとき。その部屋でカルマンは藍色のガウン姿で肘掛け椅子に座り、一冊の書物を手にしていた。
「夜分失礼いたします、殿下。ご所望の筆と紙をお持ちいたしました」
「ありがとう。机の上に置いてもらえるかな」
「はっ、かしこまりました」
言われたとおりに執務用の机の上に筆と紙をおくと、ランマルはカルマンに向き直り、
「読書をされておいででしたか」
「うむ。沙汰が下るまで、これといってやることもないのでな」
沙汰という言葉が耳を打ったとき、ランマルの中に緊張が走った。
先刻、四騎士団長らに対してあのように返答したものの、じつのところランマルにはカルマンに下される沙汰、すなわち刑罰の内容はあるていど予測できた。
おそらくは最重罰の刑が言い渡されるであろう。
それはカルマン自身も承知しているはずなのだが、にもかかわらずその様子からは、刑に対するわずかな恐怖心も悲壮感もランマルには感じられなかった。
みるからにくつろいだ様子の、普段と変わらない温雅な雰囲気を漂わせている。これが「死期」を前にした人間の姿なのであろうか……。
そんなカルマンを前にしてランマルは逡巡したものの、意を決してある疑問を向けた。
「あの、殿下。僭越ながら、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「うん、何かな?」
「殿下はなにゆえダイトン将軍らに……救国王侯同盟なるものに与されたのですか。あのような謀反に正義も正当性もないことは、殿下が一番おわかりだったはずでは?」
そうランマルが問うと、カルマンは一瞬驚いたように両目をしばたたいたが、すぐに微笑を口もとにたたえながら答えた。




