第七章 かくて戦姫は戦野を焦がす その⑦
同時分。女王軍の本陣内では、ランマルの色を失った声が塔車の上に響いていた。
「へ、陛下! 四騎士団が、いや三個半騎士団が突破されました。このままでは敵軍がこの本陣に攻めこんできますよ!」
馬蹄で土草を巻きあげながら突進してくる敵兵の姿に声をひび割らせたランマルに応じたのは、なんとも冷ややかな視線と声であった。
「落ち着きなさいよ、みっともない。それでもあんたは女王の主席侍従武官なの、情けないわね」
アンタが勝手に任命したんでしょうがっ! という内なる反駁の叫びを発するランマルであったが、声に出したのはむろん別のことである。
「し、しかし、このままでは本陣が……」
「そう、本陣に雪崩を打って攻め込んでくる。それでいいのよ、それこそがこっちの狙いなんだからね」
そう言うなりフランソワーズは塔車の中を一歩前に踏み出すと、眼下に向って叫んだ。
「ペティ!」
その声に呼応するように、塔車の下で弓を手にして控えていた赤毛の女騎士が一礼で応じた。
「連中がまもなくやってくるわ、ペティ。作戦どおりに頼むわよ」
「承知いたしました」
うやうやしい一礼で応えると、ペトランセルは踵を返して塔車から離れていった。
そんな二人のやりとりを見ていたランマルは、ようやくすべてを察した。
すなわち三個半騎士団tが突破されたのは、じつは「擬装」であること。
そして、その「擬装」を利用して女王が何を画策しているのかをだ。
ランマルは生唾をひとつ呑みこんでからフランソワーズに質した。
「へ、陛下。本当にあの策を実行されるおつもりですか?」
「あったりまえでしょう。何のために準備したと思っているのよ」
理の当然とでも言わんばかりに声も態度も淡々としているフランソワーズに、ランマルはまたしても生唾を呑みこんだ。
たしかに策のための用意はすでにできている。成功すれば勝利はまちがいないだろう。
しかし、いくら敵とはいえ相手は同じオ・ワーリ国民なのである。勝つためとはいえ、あんな苛烈すぎる戦法をはたして使っていいのだろうかと、ランマルとしては逡巡せざるをえない。
そんな批判めいた心の声が聞こえたのか。フランソワーズは鋭い目でランマルを睨みつけると、同種の声音で言い放った。
「やらなきゃ私たちがやられるのよ、ランマル。戦いに情けは無用よ!」
「ぎょ、御意!」
厳しい声に鞭打たれて、ランマルは慌てて低頭した。
たしかにそのとおりである。同盟軍だって不埒にも謀反を起こした上に女王の首まで獲ろうとしているのだ。そんな連中に、こちらが同情や躊躇をおぼえる義理などない……。
そう自分に強く言い聞かせながら、ランマルはふたたび遠眼鏡を覗きこんだ。
見つめる先には、草煙を巻きあげながら猛然と野を疾駆してくる同盟軍の一群がある。
その一群の先頭ではこのとき、ブレームス将軍が哄笑を轟かせていた。
「ガッハッハ! 者ども、突撃じゃ! 女王めの首をこの手に獲るのだぁぁ!」
そのブレームス将軍の両眼がにわかに肉食獣めいた輝きを発した。視界の先に女王軍の本陣が見えてきたのだ。
そこには本陣の守備と女王の護衛を命じられた、ペトランセル指揮下のタートル半個騎士団と歩兵あわせて三百人余が、長槍と剣と弓を構えて横隊に並んでいた。
そんな兵士たちの姿を視界にとらえ、ふたたびブレームス将軍の両眼が戦意にぎらついた。
「こざかしい! 一撃のもとに蹴散らしてくれるわっ!」
突撃突撃と繰り返し叫びながら馬を駆るブレームス将軍の脳裏にはこのとき、女王の首を討ちとり勝利を手にする自身の姿が浮かんでいたのだが、この直後、それが「捕らぬ狸の皮算用」であったことを将軍は思い知ることとなった。
それは平野を疾駆する同盟軍の騎兵が、女王軍の本陣まであと三百メイル(三百メートル)ほどの距離にまで迫ったときのことだった。彼らの行く手にある平野上に、女王軍の本陣から数十もの矢が放たれたのである。
それは矢じりに火がついた、いわゆる「火矢」であったのだが、その火矢が地表に降りそそいだ瞬間、突き立った地面から炎の柱が宙空に噴きあがったのだ。
突如として出現した炎と煙の壁に同盟軍の馬脚はたちどころに停止し、ブレームス将軍をはじめとする兵士たちの驚愕の声が一帯に響きわたった。
「な、なんじゃあっ!?」
ブレームス将軍が目玉をむいて仰天している内にも、地表から噴きあがった炎と黒煙の面積は凄まじい速さで広がりを見せ、たちどころに同盟軍の兵馬をその中に呑みこんでいった。
これこそフランソワーズが「とっておきの罠」として考案し、今しがたペトランセルに実行を命じた「火攻め作戦」である。
あらかじめ敵が進んでくる方向を予測し、その地表に大量の火薬と油を巻いておく。
あとは敵の軍勢にわざと突破を許し、本陣に向かって攻めこませ、矢が届く距離にまで迫ってきたところを見計らい火矢を放つ。
罠が仕掛けられているとも知らずに野を駆け抜け、結果、猛烈な火炎と濃い黒煙の壁の中に閉じこめられた同盟軍の兵士らからは、たちまち苦悶の絶叫と悲鳴とが繰り返しあがった。
火矢を投じてからここまで、あっという間の出来事である。
「やったぞ!」
炎と煙に呑まれた敵兵の姿に、本陣に詰める兵士たちの口から歓声があがったが、ただ一人ランマルだけは沈黙を守っていた。
仕掛けた策が見事に成功し、それを喜ぶ兵士たちの気持ちはランマルにも理解できる。だが目の前で起きている現実を、ランマルはどうしても素直に喜ぶことができないでいた。
なにしろ火に怯えていななき暴れる馬からふるい落とされ、地面に叩き落とされたあげく火だるまになって地表を転げ回っているのは、皆、同じオ・ワーリ王国の兵士なのである。
くわえて本陣からは、ペトランセル率いるタートル騎士団が、後方からは敵の殿軍を掃討したヒルデガルドら三騎士団がそれぞれ駆けつけ、炎と煙の壁に閉じこめられた同盟軍の兵士たちに向かって矢の乱射を浴びせている。
炎と煙に行動の自由を奪われた彼らに、頭上から降りそそぐ矢の雨をかわすことなどできるはずもなく、炎に焼かれたあげく矢で射抜かれた兵士たちが、泥人形のもろさで次々と地面に倒れていくのが塔車の上からはよく見えた。
その中には指揮官たるブレームス将軍も含まれていたであろうが、もはや誰が誰なのか判別できない状況だ。
さすがに見るに堪えかね、ランマルは目を背けていたのだが、
「ランマル、ちゃんと見ていなさい!」
という厳しい声に鞭打たれ、ランマルははっとして横に視線を転じた。
その声に劣らぬ厳しい顔つきで、女王が自分のことを睨んでいることにランマルは気づいた。
「へ、陛下……」
「目を反らさずに見ているのよ、ランマル。女王に、この私に弓引いた者がどのような末路をたどることになるのか。その目にちゃんと焼きつけておきなさい!」
「は、はい……」
その烈しい物言いと表情に圧倒されたランマルは、命じられるままにふたたび炎立つ野に視線を戻した。
歯ぎしりまじりの独語がその鼓膜を刺激したのは直後のことである。
「私に逆らう者は皆、こういう末路をたどるのよ。誰であろうと許さない。たとえ身内といえども絶対に許さないわ。絶対に……」
「…………」
呪詛の響きを感じさせるその声は小さく低く、おそらく発声者ですら自覚していないのではと思われたが、ランマルの耳にははっきりと聞こえたのである。
背筋に冷たいものが流れるのを自覚したランマルは、聞こえなかったフリをして戦場に視線を固定させていたのだが、はるか遠方に生じた異変に気づき、慌てて遠眼鏡を覗きこんだ。
「へ、陛下、あれを!」
ランマルが遠眼鏡越しに見たのは同盟軍の本陣である。
そこにはダイトン将軍が五十人ほどの護衛の兵士らとともに待機していたのだが、その一団がにわかに動きだしたのである。
ただし戦場に向かってではない。将軍とその護衛の一団は、一様に馬首を反転させて反対方向に駆けだしていったのだ。
逃げだしたのである。炎と煙に呑みこまれた自軍兵士の姿に、自分たちが敗北したことを悟って……。
「フン、ダイトン将軍らしいわね」
遠眼鏡を覗きこみながらフランソワーズが吐き捨てた。
薄い笑いがその面上にはあったが、底知れない嫌悪と侮蔑の念をその声から感じとることはランマルには容易であったが、声にだしてはこう言った。
「陛下、早く追撃の指示を! アーセン城に、いや王城に逃したら厄介なことに……!」
「いいわ、連中など放っておきなさい」
フランソワーズは冷ややかに言い捨てた。
「し、しかし、このままでは籠城されてしまう危険性がありますが……」
「もはや反乱軍は壊滅したも同然よ。残党どもが籠城なんかしたところで相手にすることないわ。連中など無視して国都に進軍し、王城に残る兄上に降伏を勧告するのよ。このダイトン将軍のぶざまな負けっぷりを伝えれば、おそらく兄上は抵抗することなく勧告に従うんじゃないかしら」
「な、なるほど……」
フランソワーズの意図を諒解したランマルは首肯した。
それから二刻ほどが過ぎた時分。ダイトン将軍の一党がアーセン城に逃げこんだという一報が女王軍のもとにもたらされたが、フランソワーズはわずかな関心も示すことなく無視し、一方で国都に降伏勧告の使者を差し向けた。
「われら救国王侯同盟は女王フランソワーズ一世の勧告に従い、ここに降伏することを受け入れる。その証しとして同盟軍は武装解除し、王城を女王軍に明け渡すものである」
カルマン大公の名で降伏と開城の意思を伝えてきたのは、その日の夜のことであった。
あしかけ一月にも及んだ謀反とそれに続く内戦は、こうして終結したのである。




