第七章 かくて戦姫は戦野を焦がす その⑥
遅れること一瞬。意をうけたパトリシアも同様に馬を駆って、ブレームス将軍に突進していった。
迫りくる二人の女騎士を睨みつけ、ブレームス将軍の両眼が灼熱の光を発した。
「来るがよい、小娘ども!」
咆哮一番、ブレームス将軍も馬腹を蹴りつけ、自らも馬を駆った。迫ってくるヒルデガルドの馬めがけて、真正面から突っこんでいったのだ。
ややあって生じた両者の突進は猛烈を極めた。まさかの「騎馬特攻」に、ヒルデガルドほどの名騎手も完全にかわすこともできず、馬と馬、鞍と鞍が乾いた音をたててぶつかったほどである。
「いくぞ、小娘!」
敵意に燃える両眼が真っ向からヒルデガルドを睨む。たくましい腕が高くかざされ、その先にある槍が暴風のような一撃を送りこんできた。
対するヒルデガルドも怯むことなくすばやくサーベルを繰り出し、その凶暴な一撃を無理に受け止めることなく流麗になぎ払ってかわしよけた。
一度の激突の後、両者は馬を走らせて距離をとったものの、互いにそれほど離れることなく手綱を操ってすぐに再接近し、再び刃の応酬を再開させた。
ヒルデガルドの剣技をひと言であらわすならば「軟」になるであろうか。細身とはいえ鉄造りのサーベルをまるで鞭のように柔らかにしならせ、かつ鋭く縦横に閃かせて、さながら地表に降りそそぐ流星雨のような剣刃の連撃をブレームス将軍に打ちこんでいく。
その柔軟で鋭い剣技にブレームス将軍は当初こそ槍一本で応戦していたものの、すばやく振り回せない長槍ではヒルデガルドの放つ高速の剣技に対応しきれないことを悟ったのか。腰に吊す長剣を抜くと、その剣でヒルデガルドに対抗した。
そのブレームス将軍がいったん距離をとり、薄い笑いをヒルデガルドに向けた。
「フン、異数のサーベルの使い手という話もまんざらヨタ話でもなさそうだな。しかし、小枝のようなその華奢な腕と剣で、はたしてどこまで俺の剣と槍に抗することできるるかな。グフフ」
「言葉は不粋と申しあげたはず。――パティ!」
一瞬、ブレームス将軍はハッとして横に視線を走らせた。長槍を手にしたもう一人の雄敵が葦毛の馬を駆って躍りかかってきたのだ。
「覚悟しな、ケツアゴ!」
轟くような悪罵が鼓膜を刺激したのと、銀色に輝く槍先が眼前に迫ってきたのはほぼ同時のことである。パトリシアが愛用の長槍をふりかざして横合いから突きかかってきたのだ。
「ぬわっ!」
という短く濁った悲鳴をあげてブレームス将軍はとっさに頭を後方に倒したが、パトリシアの放った槍先はわずかではあるがその面上をとらえ、たちまち将軍の左頬から鮮血がはねあがった。
頬を斬られてさすがの猛将も馬上でよろめいたものの、ブレームス将軍は手綱を掴んで落馬をどうにか堪えた。
さらに間髪入れずに撃ちこまれてきたパトリシアの二撃目も長剣の一振りで打ち払うと、ブレームス将軍はすぐさまを距離をとり、馬首を並べるヒルデガルドとパトリシアを怒りに煮えたぎる目で視線の先に睨みすえた。呪詛にも似たうめき声が漏れてきたのは直後のことである。
「お、おのれぇ、こしゃくなま真似を……!」
「フン、さすがにしぶといわね」
パトリシアが皮肉ると、ヒルデガルドがサーベルの握りを変えて応じた。
「次は同時にかかるわよ、パティ」
「承知!」
パトリシアが応じたのとほぼ同時。ブレームス将軍の大気を振動させるほどの咆哮が二人の鼓膜をしたたかに叩いた。
「くるがよい、小娘どもがぁーっ!」
右手の槍と左手の長剣をそれぞれ高々に振りあげて、巨漢の猛騎士はさらに咆哮した。
「成り上がりの小娘どもに、真のオ・ワーリ騎士とはなんたるかを見せてやるわ! なんじょう、貴様ら賤民風情が二人どころかたとえ百人束となってかかってきたところで、この俺を倒すことなどできぬことを教えてやる!」
「ほざくんじゃないよ、ケツアゴ!」
悪罵もろとも葦毛の馬を走らせたパトリシアが、右側からブレームス将軍に向っていった。
一瞬遅れてヒルデガルドも馬を駆り、こちらは左側から同様に迫っていった。
直後、四本の剣槍が激突し、刃の噛み合いによって産みだされた火花が三者の顔にかかった。
五回、十回、十五回と、さらに刃の応酬が三者間に繰り返される。戦野の一画で一際苛烈な刃鳴りが絶え間なく連鎖し、同様に絶え間なく火花が飛散して鉄の灼ける匂いが一帯に流れた。
ヒルデガルド&パトリシア対ブレームス将軍の刃の応酬はまさに互角で、どちらが劣るとも見えなかったが、内心で焦燥感を覚えていたのはむろんヒルデガルドとパトリシアである。
二対一という数で優位な立場にありながら、ブレームス将軍一人を討ちとることができずにいたのだから当然であろう。
「なんという勇猛さ……」「しぶといケツアゴめ!」と、二人が驚嘆と嫌悪の思いをそれぞれの胸の内で吐露していると、それを見透かしたようなブレームス将軍の哄笑が鼓膜に響いてきた。
「ワッハッハ! どうした二人とも、それで限界か? ならば貴様らの素っ首を刎ね落とし、女王を僭称する小娘の首級と一緒にこのアセナールの野に晒してカラスの餌にでも……」
嘲ったのも束の間。ブレームス将軍はふいに口を閉ざした。
風を裂きながら接近してくる「飛翔体」の存在に気づいたのだ。
とっさに振り返った先にブレームス将軍が見たのは、自身に向かって宙空を一直線に飛んでくる複数の銀色の飛翔体――投剣の群だった。
「ぬわっ!?」
迫りくるナイフの群にさすがのブレームス将軍も仰天して目玉をむいたが、そこは歴戦の勇士。すぐさま手にする剣と槍を交互に旋回させて、迫りきたナイフをすべて叩き落とした。
栗毛の愛馬とともに場に駆けつけてきたガブリエラが、ヒルデガルドとパトリシアの間に駆け入ってきたのは直後のことである。
「二人とも、大丈夫!?」
「ガブリエラ! ええ、大丈夫よ」
「もちに決まっているでしょう。これからが本番よ!」
「あまく見ちゃダメ! ここは三人がかりでいきましょう!」
三人の女騎士はすばやく意思疎通を図ると、それぞれ愛馬を駆ってブレームス将軍を三方から取り囲んだ。
一方のブレームス将軍は呼吸と体勢を整えつつ、自らを取り囲む女騎士たちを舐めるように睨みまわしたが、ほどなくその視線は一点で止まった。
小麦色の肌をした女騎士の姿が、睨みすえる先にあった。
「ふふん、タイガー騎士団のガブリエラか」
ガブリエラを見やるブレームス将軍の両目には、露骨な侮蔑の光があった。
「賤しい百姓の出ながら一軍の長にまで昇りつめたという、奇跡のような貴様の立身話は俺の耳にも届いておるぞ。同僚連中も霞んで見えるたいした出世ぶりだが、しかし、その奇跡と幸運もどうやら底を突いたようだな。今日をもって貴様の立身出世は終幕を迎えるのだ。女王の生首もろともな」
「冗談! 私の立身物語はまだまだ序章よ!」
ガブリエラのこの反駁の一語が戦闘再開の合図となった。
ヒルデガルド、パトリシア、ガブリエラの三人は完璧なまでに呼吸とタイミングを合わせて、ブレームス将軍に突進していったのである。
一方、前方より迫り来る三人を視線の先に捉え、ブレームス将軍の口から兇暴な笑声が漏れた。
「グフフ、来るがよい小娘どもが。わが槍剣で三人まとめて三枚ずつにおろして、ごま油でこんがりと揚げてテンプラにして喰うてやるわ。成り上がりの賤民どもの肉などさぞ不味くて喰えたものではないだろうが、なあに、ここは戦場。そうそう贅沢も言えまい……」
一瞬、ブレームス将軍は言いさして口を閉ざし、それまでの長広舌がぴたりと止まった。はっとしたように馬上で振り返ったのは直後のことである。
視線を向けた先には、平野のはるか後方にある同盟軍の本陣がある。
その本陣を遠くに見つめるブレームス将軍の表情が、みるみる凍てついていった。
「し、しまった……!」
馬上で小さく呻いた将軍の顔には、明らかな動揺と焦燥の色があった。
事ここにいたってブレームス将軍は気づいたのである。自分はいったい何をしているのか、ということに。
開戦前、総大将たるダイトン将軍から受けた命令は、
「よいな、ブレームス。一にも二にも敵の軍勢を突破することだけを考えろ。そして一気に敵本陣に攻め入って女王の首を獲るのだ。それ以外にわれらが勝利する術はない!」
というものであった。
にもかかわらず、敵軍の突破を図るどころかいつまでも同じ戦場にとどまったまま、両手に武器を振るって自らの武勇を誇示するばかり。
そして指揮官が戦場にとどまって戦っている以上、麾下の兵士たちが同じように戦場にとどまって戦っていたのは至極当然のことであろう。
このとき後方の同盟軍の本陣内では、ダイトン将軍が「何をグズグズとやっているのだ、あ奴は!」と、いつまでたっても作戦どおりに女王軍の本陣に攻めこんでいかない腹心に、歯ぎしりまじりに憤慨していた。
そして、そんな憤っている上官の姿は、ブレームス将軍にとって想像するに難しいことではなかった。
「し、しまった、こんなことをしている場合ではないわっ!」
どこか悲鳴にも似た声を張りあげて、ブレームス将軍は馬腹を蹴りつけて乗馬を走らせた。
そして、前方から迫りきたヒルデガルドが打ちこんできたサーベルの一刀を打ち返し、さらに後背を続いてきたパトリシアが放ってきた長槍の一撃もなぎ払い、さらにさらにその後背から迫りきたガブリエラが投げ込んできたナイフの群をもことごとく叩き落とすと、ブレームス将軍はそんな彼女たちには目もくれず、そのまま駆け去っていった。
「も、者ども、われに続けぇぇーっ! 敵の本陣を目指すのだぁぁーっ!」
それまで勇猛という言葉を絵に描いた姿で槍剣を振るっていた指揮官が、一転して前進を声高に叫びながら馬を駆っていく姿に彼の部下たちは反応に窮したが、それも長いことではなく、一人また一人と将軍の後を追いかけて戦場から駆けていった。
「騎兵はわれに続いて敵本陣を目指せ! 歩兵は殿軍となって敵の足をこの場にとどめておくのだ!」
さらにそう叫びながら戦場を駆け離れていくブレームス将軍の姿を、三人の女騎士たちが乗馬を寄せ合いながら眺めていた。
「やれやれ、やっと行ってくれたわね」
どこか辟易とした調子のヒルデガルドの一語に、傍らのパトリシアとガブリエラが苦笑まじりにうなずき、
「まったくよ。あんな人間か猛獣かわからない奴の相手なんかしてられないっつうの」
「ほんとほんと。猛獣狩りは陛下とペティに任せて、私たちは人間の相手をしましょう」
同僚の毒のこもった言葉に薄い笑いで応えると、ヒルデガルドは視線を転じた。
見つめる先には指揮官の命令どおり、殿軍となって横隊に並びながら長槍を突きかまえて、女王軍の足止めを図っている同盟軍の歩兵たちの姿がある。
ヒルデガルドはひとつ息を吐くとサーベルを頭上高く振りあげ、声高に周囲の自軍兵士たちに命じた。
「全騎、これより掃討戦を開始します。敵の殿軍を蹴散らし、自軍本陣に向った敵騎兵の一団を追撃します!」




