第七章 かくて戦姫は戦野を焦がす その⑤
ほどなくして両軍は、互いに密集隊形のまま激突した。
その直前、ブレームス将軍が愛用の長槍を振りまわしながら吠え猛ったものである。
「小娘どもの尻に敷かれた哀れで軟弱なえせ騎士どもよ。貴様らにネズミほどの勇気と矜持があるのなら、わが前に出て剣を振るって見せよ!」
嘲るような挑発にいきりたった女王軍の騎士たちが、猛然とブレームス将軍に殺到した。
オ・ワーリ国軍の最精鋭である四騎士団に弱兵は一人もいない。一人一人が武芸に秀でた練達の兵士である。だがブレームス将軍の強さは「質」がちがった。
女王軍の騎士たちが撃ちこんだ剣や槍の一撃は、ことごとくブレームス将軍が振りまわす長槍の前に弾き返され、そればかりか強烈な反撃を受けて次々と噴血をあげて馬上から落命していった。さすがに勇敢さと勇猛さを謳われる騎士だけあって、その強さは並ではなかった。
そんなブレームス将軍の前に、鮮やかな操馬技術で馬を駆りながら立ちふさがった者がいた。ドラゴン騎士団長のパトリシアである。
彼女が手にする長槍の刃先は、このとき血で真っ赤に染まっていた。
戦端が開いてまだ半刻と経っていないにもかかわらず、このときまでに二十人もの同盟軍兵士をその槍刃で屍肉に変えていたのだが、ブレームス将軍の猛勇の前に劣勢を強いられている部下たちの窮状を知り、急ぎ駆けつけてきたのだ。
三メイル(三メートル)ほどの距離を保ち対峙するブレームス将軍とパトリシア。先に口を開いたのはパトリシアである。
女王軍随一の女戦士は、不敵な笑みをたたえながら不敵な一語を発した。
「さすがは剛勇無双で知られるブレームス将軍。あっぱれな武者ぶりにございます。いかがでしょう、せっかくのこの機会ゆえ、この私めにも一槍《《馳走》》いただけますかな?」
「ふん、ドラゴン騎士団のパトリシアか」
パトリシアの顔を睨み据えながら、ブレームス将軍は赤い舌で唇を舐めた。
「お前の噂は聞いておるぞ。女だてらに槍術の名手とかで、【槍のパトリシア】なるたいそうな異名を馳せているそうだな。女にしてはそこそこ強いとの話だが、さてさて、はたして本当かな。この手の話はとかく尾ヒレがつくものだからのう」
嘲るように豪快に笑うブレームス将軍に、パトリシアが薄い笑いで応えた。
「それはそれはお耳汚しでした。たしかに私の槍の技量などたいしたものではございません。そうですな、せいぜい閣下の腕前の五割増しといったところでしょうか」
ブレームス将軍は沈黙で答えた。パトリシアの痛烈で巧妙な皮肉をすぐに理解できるほど、ブレームス将軍は言語的理解力に恵まれていなかったのだ。
彼はしばし考えこみ、ようやく自分が「格下扱い」されたことに気づいた。
気づくと同時に噴火し、ブレームス将軍は両目を血走らせて咆哮した。
「ほざいたなぁ、女ぁぁーっ!」
咆哮に続いて沸き起こった刃鳴りは強烈だった。
ブレームス将軍が放った竜巻のような槍刃を受け止めると、攻勢にでるべくパトリシアは立て続けに愛用の長槍を振り放っていった。
パトリシアの繰りだす槍撃もまた鋼の竜巻を想起させる凄まじいもので、並の兵士であればとっくに全身を突き裂かれて落命していたであろう。
しかし、パトリシアの攻撃はブレームス将軍の強固すぎる防御槍の前にことごとく打ち返され、その巨体に薄傷ひとつすらつけることができなかった。
全力での攻撃をたやすくはね返されて小さく歯ぎしりするパトリシアの鼓膜に、ブレームス将軍の高笑いが響いてきた。
「どうした、そんな軟弱すぎる槍では子羊すら倒せんぞ。ガッハッハ!」
「くっ……!」
パトリシアは内心で戦慄した。
女性ながらに槍の腕では、オ・ワーリ国内で五指に入るとまで讃えられる彼女ですら戦慄をおぼえずにはいられないほど、ブレームス将軍の力量は予想以上に強大であったのだ。
パトリシアは戦法を切りかえることにした。いったん攻撃に出るのを止め、間合いをとって守勢に転じたのである。
そんなパトリシアの変化を怯んだと見たのか。ブレームス将軍の両眼が愉悦にぎらついた。
「どうした、もうお終いか? ならば今度はこちらからいくぞ!」
言うが早いか、ブレームス将軍が馬体を蹴って突進してきた。
手にする長槍を鋭く振るい、苛烈な槍撃を立て続けにパトリシアに浴びせたが、こちらも同じように完璧な防御に直面しただけであった。表面的には、である。
(強い! まさかここまでとは……!)
パトリシアは内心で呻かずにはいられなかった。
それも当然であろう。攻撃にしても防御にしても余力を残しているのが明白なブレームス将軍とは異なり、パトリシアは攻守いずれも全力での対応。戦士としての力量の差を明確に悟り、女傑と賞されるパトリシアもさすがに畏怖せざるを得なかった。
むろん、そんな心情は表情にも態度にも出さないパトリシアであったが、百戦錬磨の猛将はたちどころに看破したらしい。
肉食獣めいた笑みをこぼし、嘲弄の一語をパトリシアに投げつけてきた。
「フフフ。まあ、女にしてはたしかにそこそこできるようだが、この俺に比べたらしょせんは児戯の域よ。己の未熟さを嘆きながら地獄に逝くがいいわ!」
語尾に重なるように、槍先が閃光となって撃ちこまれてきた。
対するパトリシアは槍をかざして受け止めたのだが、嘲弄と殺気のこもった一撃の鋭さは先刻までのものとは違った。
受け止めた瞬間、勢いに押されてパトリシアの上半身が馬上で大きくのけぞった。
それによって生じた隙をブレームス将軍が見逃すはずもなく、宙空で槍をすばやく旋回させた後、すぐさま豪槍の第二撃を放ってきた。
「死ねい、小娘ぇーっ!」
「な、なんのぉーっ!」
ほぼ同時に宙空に一閃したブレームス将軍とパトリシアの槍先が交錯し、飛び散った火花が両者の顔にかかった。
一合の激突の後、両者は馬を駆りすれちがわせた。
十歩ほど走り抜けた辺りでブレームス将軍がすばやく馬首をめぐらせ、再度パトリシアに必殺の一閃を撃ちこもうとしたまさにその瞬間。「ブレームス将軍!」という叫び声とともに、横合いからすっと細身の刃が伸びてきて、ブレームス将軍の頸部を狙った。
「な、なんだっ!?」
と驚いたのも一瞬。歴戦の猛将はとっさに頭を後方に反らしたため、剣先は鼻先をかすめてそのまま宙空を斬った。
「な、何奴だ!?」
いななく馬を御しつつ体勢を整え、吠えるように誰何したブレームス将軍の目に映ったのはヒルデガルドの姿だった。
パトリシアを守るかのよう乗馬をその前に立てて、サーベル片手にブレームス将軍に鋭い眼差しを向けている。
そのヒルデガルドが肩越しに声を放った。
「パティ、大丈夫!?」
「もちよ、ヒルダ! これしきのことでぇ!」
パトリシアが負傷していないことを確認するとヒルデガルドは微笑をこぼし、だがすぐに表情を一変させてブレームス将軍に向き直った。
「先の近衛隊長ブレームス将軍。われらが女王陛下の勅命により、その首級を頂戴させていただきます。二対一とは騎士道に背くこと甚だしいですが、これも主命。なにとぞお覚悟を」
「ふん、フェニックス騎士団のヒルデガルドか」
鼻先から流れる微量の鮮血を指先で払い飛ばすと、ブレームス将軍は赤い舌で唇を舐めた。
「貴様の噂は聞いているぞ。若いながらに知勇兼備の名将などと持ち上げられているらしいが、ふん、しょせんは小娘よな。二人がかりならこの俺を倒せると考えるあたりが浅知恵の極み。知勇兼備が聞いて呆れるわ!」
「言葉は不粋! 参ります!」
いくわよ、ペティ! 言葉ではなく目配せでパトリシアに合図すると、ヒルデガルドは馬体を蹴ってブレームス将軍に向っていった。




