第七章 かくて戦姫は戦野を焦がす その④
後世において歴史家らによって【アセナールの戦い】と命名されることになる、王国内におけるフランソワーズの権勢を決定づけた戦いが始まったのは、救国王侯同盟を称する反乱勢力が国都を占領してからちょうど一ヶ月後のことだった。
その日、両軍はまるで示し合わせたかのように同一の行動を取った。
早朝、日の出とともに女王軍はブルーク城を、同盟軍はアーセン城をそれぞれ進発すると、やはり同様にアセナール平野にまで軍を進め、互いの姿が肉眼で確認できる距離にともに布陣した。
正午まであと一刻ほどに迫った時分のことである。
その平野の一角に設けられた女王軍本陣の天幕内では、大将であるフランソワーズがきらびやかな白銀の冑、膝丈まである真っ赤なニーハイブーツ、王家の紋章が刺繍された純白のマントという装いで、こんな所にまで運びこませた革張りのロングソファーに座り、まず優雅と称するにたる態で紅茶を飲んでいた。
いついかなるときであろうと、ワインと紅茶をたしなむ時間だけは絶対に欠かさない女王なのである。
そんなフランソワーズをよそに、布陣直後から天幕の外で遠眼鏡を覗きこみながら同盟軍の様子を監視していたランマルは、その彼らがにわかに陣形を変えつつあることに気づくとすぐに幕内に駆けこんで女王に告げた。
「陛下、敵軍はもとの密集体形から左右に隊列を広げる陣形に変えつつあります。その形から推測するに、敵の狙いは鶴翼の陣にあるかと思われます」
いっぱしの軍師気取りでランマルがそう報告をすると、フランソワーズは紅茶を飲む手を止めてそっけなく応じた。
「五十点ね」
「……五十点?」
意味がわからず両目をパチクリさせるランマルに、フランソワーズは薄く笑い、
「表面の変化に惑わされてはだめよ、ランマル。たしかに隊列を左右に広げる陣形は鶴翼の陣だけど、まず間違いなくそれは陽動よ。こちらを欺くためのね」
「陽動にございますか?」
「そうよ。そもそもなぜ連中が国都から出てきて、しかも兵力で劣っているにもかかわらず野戦に打ってでてきたか。それを考えればおのずと敵の真の狙いがわかるというものよ」
「それは陛下が彼らに送りつけた挑発文、いや、勧告文に刺激されたからでは?」
「それもあるでしょうけど、一番の理由は連中が起死回生の勝利を得るための可能性が野戦に望むことだったからよ」
「可能性? それはなんでございますか?」
「簡単よ。戦場で私の首を獲ることよ」
「な、何と……!?」
フランソワーズの語調はなにげないものだったが、ランマルを絶句させるには十分だったが、よくよく考えてみればたしかにそのとおりだとランマルはすぐに得心した。
先のウェミール湖での敗戦で同盟軍は三千の兵を失い、今回アセナール平野に投入してきた兵の数は二千人ほどで、それも七割が歩兵である。
かたや女王軍は四騎士団二千騎とグレーザー男爵の私兵百騎にくわえ、先の戦い後に女王軍に投降してきた兵士らを合わせるとその兵力は三千をゆうに超えており、両軍の戦力差はもはや致命的なものになったといえよう。
そんな同盟軍にしてみれば、援軍のあてがない以上王城に籠もっていても、いずれ食糧が尽きればその先にあるのは自滅の二文字。ならばいっそのこと野戦に打ってでて、戦場で女王の首を獲ることに活路を見いだそうと考えるのは必然であろう。
ランマルはひとつ息を吐いてから声を継いだ。
「そうとわかっておいでなら陛下。何も御自ら戦場に立たれることはないでしょうに。ここは四騎士団長らに戦いをゆだね、ブルーク城に退かれてはいかがですか?」
「バカね。私が戦場に身を置くからこそ、連中の策に縛りをかけることができるんじゃないの」
「縛り……ですか?」
「そう、縛りよ」
紅茶を一口すすってからフランソワーズは語を継いだ。
「先のウェミール湖での戦いもそうだけど、私が目と鼻の先にいたからこそクレメンス将軍は冷静な判断力を欠いたのよ。松明のトリックに気づいた時点でさっさと逃げだせばいいものを、私の首に固執してずるずると戦い続け、結果、敗北を招いた。そしてそれはダイトン将軍も一緒。これみよがしに陣形をごちゃごちゃと動かしているようだけど、頭にあるのは女王を討ちとることだけ。そうである以上、どういった戦法をしかけてくるのか、私にはもう読めているわ」
「それは?」
「主力となる騎兵も少ないことだし、まず間違いなく全軍塊となって、私がいるこの本陣めがけて一直線に突っこんでくるでしょうね。いわゆる中央突破ってやつよ。金貨十枚を賭けてもいいわよ」
「中央突破……」
「そう。まさに暴走イノシシのごとく、わき目も振らずにね」
愉快そうに語るフランソワーズに、ランマルは生唾をひとつ呑みこんでからあらためて問うた。
「それで陛下は、どのようにして彼らに対応するおつもりなのですか?」
「獣を相手にするときは獣用の罠を仕掛けるに限るわ。だからとっておきの罠を用意しておいたわよ」
「とっておきの罠?」
いぶかるランマルに、フランソワーズは自ら考案した「とっておきの罠」をとくとくと語ってきかせたのだが、それに対するランマルの反応は「絶句」の二文字だった。
あまりにも過激で、かつ苛烈きわまるものだったからだ。
「ほ、本当にそこまでおやりになるおつもりなのですか?」
動揺するランマルとは対照的に、平然とした態でフランソワーズは言い放った。
「あたりまえでしょう。これは戦いなのよ、ランマル。殺るか殺られるかの」
「そ、それはわかっておりますが、しかし、何もそこまで……」
言いさしてランマルは口をつぐんだ。本陣詰めの騎士が、にわかに天幕内に息せききって駆けこんできたのである。
「おそれながら女王陛下にご報告申しあげます。敵軍、動きだしました。騎兵を先頭にこちらに向かって進軍してきます!」
「来たわね……」
薄く笑って赤い舌で唇をひと舐めするとフランソワーズはソファーから立ち上がり、伝令の騎士をひきつれて颯爽と天幕から出ていった。
一方のランマルはというと、いぜん「とっておきの罠」に対するわだかまりにその場からすぐに動けなかったのだが、ややあってその気持ちを払拭するかのように頭を振ると、フランソワーズの後を追って天幕を駆け出ていった。
†
戦いの火蓋が切って落とされたのは、薄い雲の上で春先の太陽が中天に達した時であった。それまで自軍の本陣前に布陣していた同盟軍が、軍列を並べて進軍を始めたのだ。
騎兵と歩兵合わせて二千弱の軍勢が、遮るものもないままに平たんなアセナールの野を勢いこんで疾走していく。
その一団の先頭を駆ける指揮官は主将たるダイトン将軍ではなく、側近で先の近衛隊長ブレームス将軍であった。
当のダイトン将軍はというと、護衛の騎士五十人ばかりを従えつつ、本陣から遠眼鏡を覗きこむばかりですこしも動こうとしない。開戦に先立って開かれた軍議では、
「大将自らが戦場に赴くようでは、戦は負けたも同然である」
などと幕僚たちにその理由を語ったものである。
かわりに指揮官を託されたブレームス将軍は、さすがにダイトン閥きっての「戦好き」として知られている人物だけに、主将からのまさかの「指揮官代理要請」にも驚くどころか逆に嬉々として受け入れたものである。
ただブレームス将軍は、どちらかといえば「将」というより「戦士」タイプの騎士で、事実、百人ほどの近衛隊を率いたことはあっても一軍を指揮した経験はない。
くわえて【慎重居士】と称され、万事用心深かったクレメンス将軍とは対照的に「思案」とか「熟慮」といった類の言葉とは無縁な人物で、「戦いとは勢いと覚悟の産物なり!」を信条とし、およそ「策」というものを軽視しがちで、それは軍の指揮にも見てとれた。
いちおう横に隊列を伸ばしたまま鶴翼の陣形は維持しているものの、それはダイトン将軍からの指示をそのまま実行しているからであって、本人による兵士たちに飛ばす命令もただ一種類、「突撃しろ!」のみである。
端的でわかりやすく、兵士らも誤解しようもない。
そんな気勢と馬蹄を響かせながら突進してくる同盟軍の姿を、それまで女王軍の本陣内に設置された塔車の上から遠眼鏡越しに見ていたランマルは、ふと遠眼鏡から目をはずして横を見やった。
そこには同じように塔車の上に立ち、腕を組んだ姿勢で黙したまま遠景を眺めているフランソワーズがいる。
「陛下、敵は鶴翼の陣形のまま突進してきます。どうやら指揮官はダイトン将軍ではなく、先の近衛隊長ブレームス将軍のようですね」
「でしょうね。先の戦いでクレメンス将軍を筆頭におもだった将軍たちを失った今、あのヒゲの下にいる中で戦いの指揮を執れるのは、もうあのケツアゴくらいしか残っていないからね」
嘲るようなその一語にランマルは応えることなく、ふたたび遠眼鏡を覗きこんだ。
その先に見たのは応戦すべく出陣した四騎士団である。正確には三個半騎士団であったが。
ヒルデガルドのフェニックス騎士団とパトリシアのドラゴン騎士団とが軍列をならべて先頭を走り、二陣目にガブリエラのタイガー騎士団が続いている。
残るタートル騎士団だけは半数がヒルデガルドの指揮下に入り、残り半数がペトランセルの指揮の下、本陣の守備と女王の護衛に就いていたのだ。
横に隊列を伸ばして進軍してくる同盟軍に対し、女王軍はほぼ密集した陣形で野を駆っていた。
そんな自軍の姿を遠巻きに眺めやりながらフランソワーズは薄く笑った。
「さて、あとは彼女たち次第ね。三人とも上手くやってよ」
その一語を聞きとがめたランマルは遠眼鏡から目をはずし、フランソワーズに進言した。
「しかしながら陛下。このままではわが軍は、隊列を横に伸ばしている敵に左右から挟まれてしまいます。こちらも陣形を広げて対応された方がよろしいのでは?」
「さあ、それはどうかしらね。見なさいランマル。敵の動きを」
その言葉にランマルがふたたび野に視線を投げると、その先で同盟軍の陣形に変化が起きようとしていた。
それまで左右に広がっていた同盟軍の軍列が、三個半騎士団との距離が縮まるにつれて徐々に狭まり、やがて両軍の距離が数百メイルほどに近づいた頃には三個半騎士団と同じ密集隊形となっていた。
フランソワーズが看破したように、同盟軍の狙いは最初から中央突破にあったのだ。




