表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/48

第七章  かくて戦姫は戦野を焦がす  その③



 ブルーク城を占領した日からこの日で十日余りが過ぎていた。

 

 この間、両軍ただの一度も交戦することなく平穏な時間が流れていたのは、両陣営の内部事情によるところが大きい。

 

 ウェミール湖でまさかの(と彼らは考える)敗北を喫した王侯同盟は、ブルーク城に籠もる味方に援軍を送ろうとした矢先、そのブルーク城が女王軍に占拠されたばかりか、クレメンス将軍をはじめとする幹部将兵らが一人残らず討ち死にした(正確には部下に裏切られた)という一報に激しく動揺。近日のうちにも国都に進軍してくるであろう女王軍への対応にああでもないこうでもないと、結論のでない議論を延々と続けるなど混迷を極めていた。

 

 他方、勝利した女王軍も、新たな橋頭堡と定めたブルーク城にすべての兵力と物資を集約するため、カナン城に貯め置いている残りの物資を運び移すために全軍の半分以上を投入していたため、国都に進軍する余裕はなかったのだ。 

 

 そんな一日の夜。ブルーク城内の廊下を歩いていたランマルは、その一角でヒルデガルドに呼び止められた。

 

 前線とはいえ、城の中ということもあってヒルデガルドは甲冑姿ではなく、すらりとした細身の身体を上はフリルのついた薄手の白いブラウス、下は黒革のズボンに膝近くまであるロングブーツという軽装である。

 

 美しい光沢のある長い黒髪は束ねられることなく解放されていて、背中の上で軽く揺れている。

 

 まさに「男装の麗人」という言葉がぴたりとくる姿で、腰に吊したサーベルがこれまたその装いに絶妙のアクセントをもたらしている。できればドレス姿も一度お目にかかってみたいものだとランマルは思った。


「ランマル卿。今、ちょっといいかしら?」


「何事でしょう、ヒルデガルド将軍?」

 

 そうランマルは訊ね返したものの、ヒルデガルドが何を訊きたいのかおよその見当はつく。

 

 案の定、入城して以来、まるで動こうとしないフランソワーズについてであった。


「陛下は何をお考えなのかしら。この城に入ってもう十日。カナン城からの物資の搬入も終えているというのに、ただの一度も軍議を開こうとされないし……あなた、何かご存じではない?」


「それが私にもまったく……とにかく何を訊いても上の空といいますか、空返事ばかりで要領を得ないのです」


「やはり陛下は、国都での決戦をためらっておいでなのかしら?」


「まあ、常識で考えれば当然かと。どう戦っても国都住民への被害が大きすぎます」


「かといって、彼らが降伏勧告に応じるとは思えないわ」


「同感です。あの勧告文の内容では、とうてい期待薄かと」

 

 じつのところ、ブルーク城に入城して間もなく、ヒルデガルドらの強い勧めもあってフランソワーズは王城に使者を送り、同盟側に降伏を勧告していたのである。

 

 無益な戦いが避けられるならそれに越したことはない、というランマルたちの進言を素直に受け容れ、フランソワーズ自ら筆をとったのだが、問題は彼らに送った勧告文の内容であった。

 

 それというのもフランソワーズが提示した降伏の条件というのが、


「謀反に与した貴族は全員、爵位は剥奪、領地も没収。騎士は騎士号を剥奪のうえ平民に。財産は残してやるけど、その額は全財産の一厘・・ね」

 

 という厳格なものであったので、ランマルなどに言わせると「これでは降伏するなと言っているようなものでしょうが」ということになる。

 

 「これでは当分、この状況が続くわね」というヒルデガルドのため息まじりの見解にランマルもまったく同意見であったが、その状況に変化が生じたのは翌日の昼のことであった。正午までもう少しという時分にブルーク城に急報がもたらされたのだ。


 同盟軍が王城を進発し、そればかりか国都をも出て、女王軍に決戦を挑もうとしているというのである。

 

 昼過ぎに招集された軍議の席で、そのことを知らされたランマルやヒルデガルドら四将軍はその一報に心底驚かずにはいられなかったが、そのことを告げたフランソワーズはというと特に驚いている様子は見られなかった。

 

 否、それどころか愉悦の色が目もと口もとに見え隠れしている表情は、「してやったり」といった顔つきである。


(さてはこの女王様。何かやりやがったな?)

 

 動物的直感でそのことを察したランマルは、フランソワーズに質した。


「もしかして、陛下が秘かに何か手をお打たれになられたのでは?」


「まあね。ちょっと古典的な方法だけど、連中には効果があったようね」

 

 というフランソワーズの口調と顔つきは、戦略家というよりはちょっとした賭け事に勝ちをおさめた賭博師ギャンブラーのものだった。


「古典的な方法と言いますと?」


「王城に居座るなんちゃら同盟の連中を挑発してやったのよ。何度もね」

 

 フランソワーズによれば、降伏勧告の使者にそれとはまた別の書状も持たせたという。

 

 その内容はというと、フランソワーズいわく、


【恥知らずにして不忠者の極みたる反乱軍の賊党たちよ。のみほどの勇気があるのならわれらとの決戦に挑んでみよ】


【すでにお前たちの醜態のかぎりは、オ・ワーリ国民すべてが知るところであり、嘲笑と侮蔑にまみれたその名は、永遠にわが国の正史に刻まれことになろう】


【これ以上、自らの家名と先祖の名誉を貶めたくなければ、国都を出てわれらとの戦いに臨むべし。それに勝利することこそが唯一回避の道である……】


「ま、そんなところね」


「な、なるほど……」

 

 淡々と自らの「裏工作」を話すフランソワーズに、ランマルは内心であ然とするしかなかった。

 

 そりゃ、そんな挑発をされたら彼らも態度を硬化させて、降伏勧告など一蹴するわなと話を聞いた今では納得するだけだが、フランソワーズの「裏工作」はこれだけにとどまるものではなかった。

 

 紅茶をすすり、フランソワーズは語を継いだ。


「もちろん、それだけでは連中を国都から引きずりだすには不足と思って、ことのついでに城下にもばらまいてやったわよ。連中を煽るためのビラをね」


「ビラ?」


「そうよ。なんちゃら同盟の貴族どもは去勢されたブタも同然の臆病者。吠えるだけしか能のない口だけ番長だ、とかね。間者を使ってけっこうな枚数を街中に流したから、もうほとんどの住民が目にしているんじゃないかしら」

 

 番長ってなんだろう? とランマルは思ったが、ともかく同盟側が動きだした理由はこれではっきりした。

 

 すなわち、女王の名ばかりの降伏勧告とそれに続く家門を標的にした罵詈雑言に、もともと感情の沸点が低かった彼らが「ふざけやがって!」と激怒し、女王軍との戦いを決断させたということを。


 しかしである。ランマルの見たところ、おそらく彼らの最有力選択肢は国都に籠もり、女王軍を迎え撃つことだったはず。


 先のウェミール湖での敗北によって主力の軍勢を失った今、国都に残る残存兵力は多く見積もっても二千人に届かないはず。しかもその大部分は歩兵ときている。


 こと戦略とか戦術といったものにとんと疎いランマルですら、これだけ兵力で不利な状況に陥った今、国都を一つの城と見立てて立て籠もり、そこで女王軍を迎え撃つのが最良の選択であることぐらいわかる。


 さらに思考を一歩進めてみれば、国都の住民をいわば人質にして、女王軍との間に有利な和議ないし譲歩を引き出すことも考えていたはず。


 国民を人質にするという卑劣な策に良識家たるカルマン大公などは拒否するかもしれないが、この戦いに負けたら爵位から領地から家門から全て失うことになるダイトン将軍やペニンシュラ公爵らであれば、カルマン大公を押し切って迷うことなくその策を選んでいてもおかしくない。


 にもかかわらず彼らの選んだ選択肢は、国都の外で女王軍に決戦を挑むというものだった。

 

 度重なる女王の挑発もたしかに効果はあったであろうが、それが全てとはランマルには思えない。


 いったい王城内で盟主カルマン大公を中心にどのような議論が交わされ、そして今度の結論に至ったのか。ランマルは激しい興味に駆られていた。


 そんなことをぼんやりと考えていると、フランソワーズの声が耳を打った。

 

「斥候からの報告では、連中は現在、国都西端のラゴーレ地区に軍を集結させているとのこと。おそらくはアーセン城を拠点にして戦いに挑むつもりなのでしょう」

 

 アーセン城は国都の西端に建つ、騎士団所有の駐屯城である。

 

 文字どおり騎士団が滞在するためだけに築かれた城で、防壁や壕の類はいっさいない。

 

 そのアーセン城を拠点と定めたことからも、敵は籠城戦ではなく野戦で勝敗を決するつもりなのであろう、というのがフランソワーズの見立てであった。

 

 それまで無言を保っていたヒルデガルドがはじめて口を開いた。


「それで陛下。敵の狙いが野戦での決着にあるとしまして、想定する戦場はどのあたりになりましょうか?」


「もう定めているわ。ランマル、地図をお持ち」

 

 ランマルが持参した地図をテーブルの上に広げると、フランソワーズが白魚のような白皙の指で図上の一点をしなやかに指し示した。


「ここで連中を迎え撃ちます。奴らの墓場にふさわしい場所ですからね」

 

 フランソワーズが指し示した場所。それは国都の北西、件のアーセン城から西に十フォートメイルほどの距離に広がるアセナール平野だった。

 

 場所によっては多少の高低差はあるが、五フォートメイル(五キロ)四方にわたってほぼ平たんな地が広がる場所で、そこには一本の樹木も生えておらず、霧などの自然現象を除けば視界を遮るものは何一つない場所である。

 

 フランソワーズは顔をあげ、四人の騎士団長たちを見まわした。


「四騎士団長に命じます。各自麾下の兵力を整え、戦いの準備に取りかかりなさい。出陣は明日の早朝といたします」

 

 誰が音頭をとったわけでもないのに、ランマルと四人の騎士団長たちは同時に立ち上がり、そして同時にうやうやしく低頭した。

 

 かくして決戦の舞台は整ったのである。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ