第七章 かくて戦姫は戦野を焦がす その②
「ご歓談中、失礼いたします。ご所望のワインをお持ちいたしました」
「うん? 誰ぞ、ワインを持ってくるように命じたのか?」
いぶかったクレメンス将軍は周囲の幕僚たちを見まわしたが、その幕僚たちも互いの顔を見交わしていた。副官の騎士も含めて、どうやら誰も心当たりがないらしい。
「これは失礼いたしました。こちらの手違いでございましたか」
兵士たちが一礼して去ろうとすると、クレメンス将軍がそれを呼び止めた。
「いや、よいよい。ちょうど一杯やりたい気分であったところだ。入ってくるがよい」
「はっ、では失礼いたします」
配膳係の長らしき男の指示で、部下の兵士たちはクレメンス将軍や幕僚たちの前に手際よくグラスを置き並べ、赤ワインをそれらに注いでまわった。
やがてグラスを手にとったクレメンス将軍がそれを眼前に掲げた。
「では皆の者。来たるべき女王軍との再戦とその勝利を期して……乾杯!」
「乾杯!」
幕僚たちも同じようにグラスを眼前に掲げると、中のワインを揚々と干した。
彼らの身に「異変」が生じたのは、それからまもなくのことである。
「……な、なんだぁ?」
それは突然であった。クレメンス将軍が手にするグラスを床に落とし、次いで膝から床に崩れ落ちると、たちどころに声をあげて苦しみだしたのだ。
否、それは将軍だけのことではなかった。場にいるすべての幕僚たちが床に倒れ、うめき声をあげながら苦しみだしたのだ。
突然の異常事態に、だがワインを運んできた配膳係の兵士たちは、そんな将軍たちの姿を動じることなく黙して見つめている。
やがて兵士長の男が、足下で悶え苦しむクレメンス将軍に静かな声を向けた。
「おそれながら将軍閣下。われわれは思うところあって女王軍に投降することを決意いたしました。そのためにも方々の首級が手土産として必要なのです。どうかお許しください」
「き、貴様……ま、まさかワインに毒を……!」
クレメンス将軍の問いに兵士長は小さくうなずくと、ゆっくりと片手をあげた。
それを端に周囲の兵士たちがいっせいに腰の短剣を抜いた。これから何をする気なのか明白であった。
血の気を失った顔で、クレメンス将軍が呪詛の声をはりあげた。
「き、貴様らぁぁぁ……!」
「それでは御免つかまつる……殺れ!」
兵士長の合図をうけて、部下の兵士たちは手にする剣を、苦しみもがく将軍たちの頭上に振り落としていった……。
†
それは城を包囲して四日目の朝のことであった。
「へ、陛下! あれをご覧ください!」
感心にも朝早くから城側の動きを遠眼鏡で窺っていたランマルが、ふいに声を高くさせた。
それまで固く閉ざされていた城の正門がにわかに開きだしたのである。
すわ出撃かと、ざわめく女王軍の兵士らが見守る中、やがて中からは同盟軍の兵士と思われる男たちがぞろぞろと歩き出てきた。
全員麻作りの平服姿で甲冑は身に着けておらず、剣や槍で武装もしていない。
そのかわり手にしていたのは、純白の布を先端にくくりつけた棒――白旗であった。
ランマルは遠眼鏡から目をはずすと、傍らに立つフランソワーズに声を向けた。
「陛下、あれは白旗ではありませんか?」
「まあ、赤い旗には見えないわねえ」
そう冗談めかして応じると、フランソワーズも自前の遠眼鏡を覗きこんだ。悦に入った声がその口から漏れたのは直後のことである。
「それよりランマル。先頭を歩く男が手にしている物を見てごらん。なんだか面白そうな物を持っているわよ」
「面白そうな物……ですか?」
そう言われてふたたびランマルは遠眼鏡を覗きこんだ。
そして一団の先頭を歩く男が頭上高く腕に掲げている物を遠眼鏡越しに視認したとき、ランマルはギョッと目玉をむいた。
それも当然であろう。男が両腕に抱え上げていたのは首から切断された人間の首――クレメンス将軍の生首であったのだ。
それ以外にも数人の男たちがそれぞれの手に、将軍の幕僚たちの生首を抱え上げていた。
「へ、陛下。あれは首です、クレメンス将軍の生首です!」
動揺にひび割れた側近の声をうけて、後背に立つフランソワーズは薄く笑ったものである。
「言ったでしょう。味方の血を一滴も流すことなく城は落とせるってね」
「はあ……」
「さてと、それでは入城するとしますかねえ。野営もさすがに飽きてきたし、そろそろ厚いベッドの上で眠りたいわ。あっ、そうそう。ランマル、すぐにカナン城に早馬を走らせて、城を守っているグレーザー男爵の兵士たちに、急いで城内の物資を全てこのブルーク城に運び移すよう伝えなさい」
そう言うなりすたすたと歩きだしたフランソワーズの背中を、ランマルはしばし呆然と見つめていたのだが、やがて我に返ると慌ててその後を追っていった。
かくしてブルーク城は女王軍の手に落ちたのである。
ウェミール湖畔で戦端が開いてから、わずか五日目のことであった。
 




