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第六章  かくて戦姫は暗夜に躍る  その④



 昨日まで地上を明るく照らしていた月と星の群は厚い雲に隠されて、今宵のウェミール湖一帯は濃い闇と深い静寂に包まれていた。


 だがその夜半過ぎ。それまでの闇と静寂は馬蹄の轟きと兵士たちの気勢、そしてその手に掲げられた松明の灯火によって破られた。本営を進発した四騎士団が二手に分かれ、それぞれ湖の左右両岸沿いを進軍していったのである。


 女王軍同様、昼夜を通して相手の動向を監視していた同盟軍がそれに気づかぬはずもなく、たちまち陣内に「夜襲だ!」「敵が動いたぞ!」という兵士たちの叫び声が轟き、各所で緊急を告げる銅鑼どらが激しく打ち鳴らされた。

 

 その異音に自分の宿営内で熟睡していたクレメンス将軍はたちどころに目を覚まし、駆けつけてきた従卒の兵士に事情を求めた。


「な、何事だ、いったい!?」


「敵襲でございますぞ、閣下!」


「な、なに、敵襲!?」

 

 兵士の一語に文字どおり跳びあがって仰天したクレメンス将軍は、泡をくった態で宿営から飛び出すと湖の畔に立って遠眼鏡を覗きこんだ。

 

 たしかに蛍の発光にも似た赤い光点の群が、湖畔を沿うようにして動いているのが見えた。

 

 くわえて左右二手に分かれていることから、挟撃戦を仕掛けるつもりであることはクレメンス将軍にはすぐにわかった。


「お、おのれ、女狐め。夜襲とはこざかしい真似を!」

 

 クレメンス将軍は憎々しげに吐き捨てたが、ふとあることに気づいた。闇夜の中に揺らめく松明の数から判断するに、二手に分かれた軍勢の数があきらかにちがうのだ。

 

 自分たちの方から見て湖畔を右回りで進んでくる軍勢のほうが、どう見ても松明の灯火がすくない。同等の数をもって、呼吸を合わせて仕掛けるのが挟撃戦におけるセオリーなのだが……。


「妙だな、軍勢の数がちがうぞ。挟撃戦の仕掛け方を知らぬ女狐ではないはずだが……」

 

 なまず髭を指先で撫でながらクレメンス将軍はつぶやいた。

 

 女王を蛇蝎のごとく憎悪しているクレメンス将軍であったが、その用兵の才能だけは認めているのだ。

 

 そのとき、幕僚の一人が出陣の準備ができたことを将軍に告げに来た。この時点で用意が整っていなかったのは、いまだ寝着姿のクレメンス将軍だけである。

 

 そのクレメンス将軍はこのとき判断に迷っていた。軍勢をどう動かすかに、である。

 

 将軍の頭に真っ先に浮かんだのは、数の少ない方に全軍を進め、挟み撃ちされる前に各個撃破するという案である。

 

 セオリー通りの用兵を好むクレメンス将軍らしいセオリー通りの案であったが、そのセオリー通りの命令を下すことをためらっていたのは、戦いのセオリーを無視している女王の存在である。

 

 口惜しいことだが、あの女王が秀でた用兵家であることは認めざるをえない。その女王がなんとも中途半端な挟撃戦を仕掛けてきたことが、クレメンス将軍にはどうにも解せなかったのだ。

 

 あのバランスの欠いた軍勢の分け方には何か「裏」がある。【慎重居士】と称される将軍はそう結論づけた。しかし、その「裏」がなんであるのかがさっぱりわからない。

 

 遠眼鏡を覗きこみながら、ああでもないこうでもないと悩んでいる内にも、自身の幕僚たちが全員集まってきていた。


 ややあって、いつまでも進軍の号令を出さないでいる将軍に業を煮やし、幕僚の一人が出陣をうながした。


「閣下、お下知を。全軍、いつでも出撃できますぞ」


「う、うむ、わかった」

 

 と応えるも、あいかわらず遠眼鏡を覗きこみながら思案を続けている。

 

 そんな将軍の姿にさすがに憮然となった幕僚らが、口々に苛立ちの声をはりあげた。


「閣下、早くお下知をお願いいたします!」


「何を迷うことがございますか。一方に全軍を進め、各個撃破すればよろしいではありませんか!」


「夜襲などというこざかしい真似をする女王軍に、目にものを見せてやりましょうぞ!」

 

 どことなく非難調で口々に出陣をうながされて、ようやくクレメンス将軍は決断した。

 

 従卒の兵に甲冑と武具をもってくるように命じると、周囲をとりかこむ幕僚に続けて命じた。


「よし、全軍をもって湖畔右側より攻めてくる敵軍勢を討つぞ。アルセコとパジェス両名に先鋒を命じる。私も用意ができしだいすぐに合流する!」



       †



 同盟軍がようやく動きだした同時分。ヒルデガルド、パトリシア、ペトランセルの三将軍に率いられた女王軍は、すでに湖畔の中腹付近にまで軍勢を進めていた。

 

 予想どおり三騎士団側に向かって移動をはじめた松明の群を遠くに眺めつつ、ペトランセルが馬首を並べるヒルデガルドに声を向けた。


「ようやく敵さんも動きだしたようね、ヒルダ」


「こちらの松明の数に差があることに疑念をもったのでしょう。【慎重居士】のクレメンス将軍らしいわ」


「ふん、優柔不断なだけでしょう、あのナマズ髭のおっさんは。どうせ、あーでもない、こーでもないと、なかなか決断できずにいるところを幕僚連中に尻を蹴られて、ようやく腰を動かしたに決まっているんだから」

 

 パトリシアの毒のこもった、だが事実を正確に見抜いた一語に他の二人がおもわず苦笑しかけたとき。偵察の任務にでていた一人の騎士が三人の前にやってきた。


「反乱軍、動きだしました。予想どおり全軍をもってこちらに向かってきます!」

 

 代表してヒルデガルドが応えた。


「ご苦労です。それでは、すぐにもその旨を本陣におられる女王陛下にお伝えしてください」

 

 指示をうけて偵察の騎士が去ると、ヒルデガルドは全軍にこの場での待機を命じた。


「ヒルデガルド将軍、軍勢をお進めになられないのですか?」

 

 そう問うてきた騎士にヒルデガルドは温雅な微笑でうなずき、自らの意を説明した。


「この先の湖岸沿いには湿地帯ぬかるみが広がっています。それほど深いものではありませんが、しかし足下をとられる湿地は馬だけではなく、騎乗する側にも疲労をあたえます。戦いを前に無用な疲労を抱える必要はないでしょう」

 

 同盟軍にあえて湿地帯を通過させ、人馬ともに疲労させたところで迎え撃つというヒルデガルドの考えを知り、麾下の騎士たちからは「なるほど」という得心の声が漏れた。

 

 ヒルデガルドはひとつうなずいてから、反対側の湖岸にに視線を投げた。


 タイガー騎士団が掲げる松明の灯火の群が、視線の先のほぼ同位置上に見える。


「あとはガブリエラの到着を待つばかりね」

 

 同時分。そのガブリエラのタイガー騎士団は、湖畔沿いに広がる雑木林の中を行軍していた。

 

 それほど密集して生え茂っているわけではなく、木々の間のみちもそれなりに開けているが、月や星の光のない闇夜の中を松明の灯火のみで馬を進めるのに騎士たちは苦労していた。

 

 悠々と馬足を進めていたのは、先頭を征くガブリエラくらいであろう。

 

 そのガブリエラのもとに偵察に出ていた騎士がやってきた。

 

 同盟軍が全軍を三騎士団側に向かわせたことを伝えると、ガブリエラは力強くうなずき、後背の騎士たちをかえりみた。


「全騎、これより全速行軍に移ります。湖畔をこのまま迂回し、敵の後背を突きます!」

 

 すると麾下の騎士たちは一瞬顔を見合わせ、内一人の騎士が懸念を口にした。


「しかしガブリエラ将軍。この闇夜の中、障害物の多い雑木林の中を馬で全速で走るのは危険すぎやしませんか?」


「大丈夫。私が先頭を走り、皆を誘導します。私の操馬を見ながら一列縦隊、等間隔でついてきてください」

 

 そう言うなりガブリエラは手綱を振るって馬首をひるがえし、片手に松明を掲げながら馬を走らせた。

 

 その姿に騎士たちも慌てて馬を駆りだし、指示されたとおりガブリエラの後背を一列になって後を追う。


 たちまち縦に長く伸びた隊列が、雑木林の闇路を速度をあげて駆けていく。


「心配しないで。お前も私が導いてあげるから」

 

 たてがみを優しく撫でながら愛馬に向かってささやくと、ガブリエラはさらに速度を上げた。

 

 ほとんど視界のきかない闇の中を速度を落とすことなく雑木の間を右に左に曲がり、かわしよけ、ときには跳んで足下の障害物をとびかわす。

 

 まるで太陽に照らされた、日中の平路を走っているようなガブリエラのあざやかな操馬姿に、後方を続く騎士たちの口から驚嘆の声が漏れでた。


「し、信じられん、将軍にはこの闇路が見えるのか!?」


「いったい、どういう目をされているんだ?」

 

 自分たちの指揮官が「フクロウ並に夜目が利く」という話は彼らもかねてから耳にしてはいたが、実際にその事実を目の当たりにすると驚きに声を失うしかなかった。

 

 そんな騎士たちの驚嘆の視線を背中に受けながら、これより十年の後、亡き主君の意志を継ぎ、ジパング帝国を再興して女帝となる小麦色の肌をした若き女騎士団長は、暗中の林路を愛馬を駆って颯爽と駆け抜けていくのだった。

 


 

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