第五章 かくて戦姫は大望を抱く その⑥
直接の原因は大雨による河川の決壊で一帯の水田が使い物にならなくなり、代官所に年貢の軽減を訴えたもののまるで相手にされなかったことに憤った農民たちが、なかば自暴自棄になって抗議の一揆を起こしたことにある。
むろん鎮圧のための軍勢が現地に派遣されたのだが、カルマン大公に一揆の鎮圧を命じられた有力将軍の一人のアンドレス将軍は、しょせん農民どもの悪あがきと事態を軽視していたのか。鎮圧するどころか逆に農民たちからしたたかに反撃をくらい、自らもその際に深手を負わされたあげく、率いた国軍兵にも多数の死傷者をだすまでにいたった。
この一件で蜂起した農民たちはますます勢いづき、当地のみならず周辺の農村にまで騒動は拡大。その結果、一揆の規模はあれよあれよという間に、当初の千人未満から数万人にまで膨れあがってしまった。
さすがにここまで騒動が拡大すると、それまで「よきにはからえ」に徹してほとんど無関心だった女王もそ知らぬ顔はできず、ランマルを含めた周囲の説得もあって渋々ではあったが代官所を通じて、農民たちが願い出ていた年貢軽減を了承する触れをだした。
これにより蜂起した農民たちも矛を収めて騒動は収束に至ったのだが、一人おさまらないのはフランソワーズである。
なにしろ「自尊心と矜持がドレスを着ている」とまで称される性格だけに、自分自身の失態でというのならともかく、他人の失態で傷つけられてにっこり笑っていられるはずもなかった。
おまけに一連の事件に関して、国民の間ではまるでフランソワーズの女王としての無能さが招いた騒動とまでささやかれる始末。そして、その種の声には超絶的な聴覚力を発揮する女王の耳に届かないはずもなく、
「よくもよくも、この私の……女王の威厳に泥を塗ってくれたわね。この恨み、晴らさずにおくべきかあぁぁ……!」
と、怨嗟の声をふるわせて激怒。
かくして自分に恥をかかせた二人の当事者――鎮圧命令とその人選にあたったカルマン大公と、自分の腹心という理由からカルマン大公にアンドレス将軍を推挙したダイトン将軍を許すはずもなく、今回の「懲罰人事」につながったというわけである。
個人的な私怨が理由とはいえ、確かなことは今回の一件は結果としてフランソワーズの権力基盤をさらに強固なものにしたということであろう。
宰相の権限は事実上、新設される三人の副宰相に移り、大将軍の軍権もまた同様に四人の新しい騎士団長に剥奪された。こうなっては、文武それぞれの頂点に立つ二人の重臣は、もはやお飾りの人形も同様である。
彼ら自身はもちろんだが、二人を擁してひそかに女王の治世をひっくり返すことを夢見ていた反女王派の人々にしてみても、まさに悪夢のような展開であろう。
宰相と大将軍の権力剥奪という衝撃の人事で幕を開けた一連の国議は、それでもようやく静けさを取り戻そうとしていた矢先。一人の衛兵が息せききって広間内に駆けこんできた。
ただならぬ衛兵の態度に、たちまち参列者たちがざわめきだす。
「お、おそれながら女王陛下に、急ぎご報告したいことがございます!」
「何事かえ?」
「たった今、北部アダン地方の代官所からの急使が城に到着いたしました。急使の報告によれば今から五日前、同地方においてふたたび農民の蜂起が生じたとのことにございます」
「な、何と!?」
衛兵の報告に、広間内を満たしていたざわめきがどよめきへと昇華した。
北部アダン地方といえば、先頃農民の蜂起が起きた地域であり、たった今、そのときの稚拙な対応を理由に、二人の重臣が「処断」されたばかりである。参列者たちが驚きにどよめくのも当然であろう。
ランマルは玉座のフランソワーズをちらりと見やった。どよめく参列者たちとは対照的に、特に表情を変えることもなく落ち着きはらっている。
ややあって、そのフランソワーズが衛兵に質した。
「それで、連中の今度の要求は何かえ?」
「はっ。急使の話によりますれば、年貢の大幅な引き下げと、さらには同地方の農村帯における自治を求めているとのことにございます」
(な、なにぃ、自治だってぇ?)
蜂起の理由を知ってランマルはさすがに驚いた。
古今東西、天災などで食糧難におちいったり、年貢が高すぎて困窮したりといった理由を端に蜂起した事例は星の数ほどあれ、農民が自治権を求めて蜂起した話などランマルはこれまで聞いたことがない。
ともかく衛兵の報告に、フランソワーズの口もとに優美なまでの嘲笑が広がった。
「まったく、身のほど知らずの欲深い百姓どもにも困ったものね。ちょっと甘い顔を見せればすぐにつけあがるのだから始末におえないわ。でも、まあいいわ。四将軍の初陣を飾るにはもってこいかもしれないわね」
玉座で誰にともなくつぶやいたフランソワーズは、口を閉じるとまたしても思案の淵に沈んだがそれも長いことではなかった。
にわかに玉座から立ち上がると、片膝をついた姿勢でかしこまる四人の騎士団長たちを見やり、やがてその視線が一点で止まった。
背中まで伸びた、美しい光沢のある黒髪の女騎士の姿が視線の先にあった。
「ヒルデガルド将軍!」
「はい、陛下」
「そなたに命じます。麾下の騎士団を率いて、身のほど知らずの不埒な農民どもを懲らしめてきなさい。現地での作戦などはすべて任せます。よろしいわね?」
「はっ。勅命、謹んでお受けいたします」
ヒルデガルドは片膝をついたまま低頭するとすばやく立ち上がり、純白のマントをひるがして謁見の間を歩きだした。
広間を出るべく颯爽と参列者の間を闊歩する彼女の背中にはこのとき、立ち位置の異なる三種類の視線が注がれていた。
ひとつは、ランマルのように鎮圧の成功を心から祈る者たちの視線。
ひとつは、ダイトン将軍のように鎮圧の失敗を心から願う者たちの視線。
そしてもうひとつは、フランソワーズのように鎮圧の成功を知っている者の視線が……。




