4.ぐっときた
制服の胸ポケットに入っているスマートフォンを取り出すと、圏外になっていた。
どうやらやっぱり、ここは異世界らしい。
時刻は午後五時と表示されている。
本橋くんを呼びだしたのは、午後四時のすこし前だったから、あの妙な子どもたちとの話に一時間ほど使っていたらしい。
夕食まではあと一時間ほどかな。
そう考えながら、わたしは鏡を眺め、櫛で髪をとかしはじめた。
せっかく本橋くんと一緒にご飯が食べられるんだから、少しぐらい外見を整えておかないと。
「手伝いますか?」
モーファがそう言い、わたしは断りかけたが、やっぱりお願いしてみることにした。
他人にくしけずってもらうなんて、普通なら美容院ぐらいでしかやってもらえないし。
あとは良家のお嬢様ぐらいなものだし。
姿見の前に座ったわたしの髪を、モーファがとかしてくれている間、わたしはぼんやりと考え事をしていた。
この部屋で、テレビとかも見られるのかな、とか。
圏外だけど、なんとかユーチューブにアクセスできないかな、とか。
モーファにそんな話をしてみると、ロイシュテバに相談してみてくれるらしい。
と、そんなとき不意に、部屋のドアをノックする音がした。
「下妻。起きてる?」
「うん、ちょっと待って」本橋くんの声にそう返事をしてから、小さな声でモーファに言う。「ありがとう、モーファ。もういいよ」
モーファがわたしの髪から手を離す。
心なしか、自分でやるよりもさらさらとしている。
部屋の扉を開くと、本橋くんが立っていた。
本橋くんは、制服姿ではなかった。
黒い長そでのTシャツに、ブルージーンズという、ラフな格好をしていた。
わたしは本橋くんの私服を見たことがなかった。
正直、ぐっときた。
「本橋くん、着替えたんだ」
「ああ、用意できるっていうからさ。これ、俺の」
「へえ……」少し迷ってから、わたしは付け加えた。「似合うじゃん」
本橋くんは少し照れたようにうなずいてみせた。
まさか私服を見せに来たというわけでもないはずなので、わたしはたずねた。
「もうご飯食べるの?」
「ううん。あれ、下妻はもうお腹すいてる?」
夕食にしては、少し早い時間だった。
「まだ大丈夫」
「だよな。いや、せっかく異世界に来たんだから、観光にでも行こうかと思って。下妻も一緒に行かないか」
「いいね。行く行く」
「下妻も、着替えるか?」
少し、迷った。
普段見せない私服を着れば、本橋くんだってぐっと来てくれるかもしれない。
とはいえ、わたしは本橋くんの趣味がわからない。
ダサいと思われる可能性より、安定をとることにした。
「ううん、このままでいい」
観光案内は、キーファがしてくれるそうだった。
本橋くんが半ば冗談のつもりで、ダメ元で頼んだら、あっさりと引き受けてくれたそうな。
「ただ、どこに行ってもサイズはこの世界の人間に合わせてるから、すこし窮屈かもしれないんだってさ」
「わたしはまあ、大丈夫かな」
女子にしても小柄な方なわたしは、狭いところに入り込むのを得意としていた。
「俺は果たしてどうかな」
わたしたちの部屋の入口にある、狭い扉を抜ける。
それから、石造りの廊下をキーファとモーファの後について歩く。
キーファとモーファは、なんだか仲がよさそうだった。
歩きながら、くだけた口調で話をしたり、お互いの肩を叩きあったりしている。
「なんだか前の二人、やけにいい感じじゃない?」
わたしはこっそりと本橋くんに言った。
本橋くんは、だろうな、そのわけも聞いてる、と言った。
「なんか二人は付き合ってるんだって」
わたしは色々複雑だった。
本橋くんは一体何を聞いてるんだろうか、とか。
子どもたちのくせにもう恋人がいるのか、とか。
いや実際は子どもではないらしいけど。
でも見た目は子どもだし。
「近々結婚もするらしいよ。……どうした、下妻」
わたしは下を向いてうなっていた。
自分でも理解しがたい敗北感にまみれていた。