18.もうめちゃくちゃ
「本橋さん、何やってるんですか!」
ロイシュテバの慌てた声が耳を打つ。
閉じていた目を、わたしは開いた。
最初に目に飛び込んできたのは、青い空だった。
そしてその下にある、本橋くんの苦し気な表情だった。
力なく本橋くんが、わたしに倒れこんでくる。
どさりと預けられたその体は、重い。
状況が状況なら、夢のようなシチュエーションなわけだけど、ふざけている場合じゃないと、こんなわたしでもわかっている。
本橋くんはわたしに覆いかぶさるような体勢でいた。
わたしを、かばってくれたのだ。
「下妻さん、落ち着いて」とモーファの声が聞こえる。
そう落ち着かなきゃ、と考えながらわたしは、先ほどからお腹のところに妙に温かい感触があるのが気にかかる。
見ちゃいけないと思いながらも見てしまった。
真っ赤な液体、つまり、本橋くんの血が、わたしの体を濡らしていた。
「クタマ」とモーファから指示が出る。
だけどわたしはつい、言ってしまう。
不要だとわかっていてもなお、最強の回復呪文を唱えてしまう。
「クタマルガ」
「ああっ、もうめちゃくちゃだ」とロイシュテバの声。
「クタマ」よりも強い、輝く光がわたしたちを包み、本橋くんがびくりと体を震わせる。
そして彼はすぐに顔をあげた。
「下妻、無事か?」
うん、とわたしはうなずいてみせる。
「上です!」とキーファの、聞いたことのない指示が出る。
本橋くんは上空を見上げる。
そこには、片翼のドラゴンがよろよろと浮かんでいた。
「勝率は、変動しているか!」とロイシュテバの声がする。「再計算、早くしろ!」
本橋くんが立ち上がる。
わたしの学校ジャージは、彼の血で真っ赤になっていた。
そしてわたしは、なぜだか、体の力が抜けている。
本橋くんが危機に瀕したからだろうか。
それとも、安心したからだろうか。
いや、そんな心理的な要因じゃない、もっと明確に、だるい。
「モーファ、なんか、すごく眠いんだけど……」
「クタマでよかったのに、クタマルガなんて使うからです。この魔法は忘れてください、っていったのに」とモーファは早口で言った。彼女も焦っているらしい。「下妻さんは限界を迎えつつあります。まだ魔法、唱えられますか」
「まあ、なんとか」
だるさを感じる中で、なんとかわたしは言った。
「キーファ、どうしたらいい?」
空を飛んだドラゴンを見上げながら、本橋くんがたずねる。
「知りませんよ」とすねたようなキーファの声。「あれで、とどめだったのに。本橋さんのせいです」
「だって、下妻、危なかっただろう」
「クタマですぐに治りましたよ」とモーファ。
「下妻に痛い思い、させたくなかったんだ」
本橋くんは、やっぱり、優しい。
「それでとどめを刺すチャンスを逃して、負けたら元も子もありませんよ」とキーファ。
「なんだ。俺たち、負けるのか?」
あんまり動じてない風な声で、本橋くんが言う。
やがて、キーファが答える。
「そういうわけにもいきません。あなたたちの勝率は百パーセントなんだから。もう、チャートは狂っちゃいましたが、なんとかしましょう」
「頼むよ」
竜はわたしたちを見下ろし、その場でホバリングを続けている。
手が出せないで見上げているうち、その体の傷は、徐々に塞がっていっているように思える。
「本橋さん、もう一度あの胸の傷、狙えますか」
「あいつが地面まできてくれるなら」
「それは、無理ですね。あのまま、竜は回復を図るつもりのようです」
「空飛ぶ魔法とかないの?」
「ないですよ」と答えたのはモーファだった。「竜をけん制する、ぐらいならまだ、下妻さんの魔法で可能だと思いますが」
「下妻、いけるのか?」
「うん、まあ」と曖昧な返事しか出来ない自分が何とも情けない。
本当に大丈夫か、という空気が流れ、会話が一瞬止まる。
「投げてください、本橋さん」とロイシュテバの声がする。「剣を投げて、胸を貫く。再計算が済みました。依然として、あなたたちは、間違いなく、勝てるんです」
本当かな、疑わしいな、とぼんやりしながらわたしは考えている。
勝てるんです、って言葉はなんだか、願望のようにも聞こえる。
「なら、行けるか」
しかし本橋くんはそう言った。
本橋くんって、案外、楽天家なんだな。
そんな新しい一面を発見する。
素敵。
という感想も変だな。
ああ、眠い。
「じゃ、せめて、下妻さんの魔法で援護しましょう。アレーブで燃やしますよ、下妻さん」
「はい」
「本当に大丈夫かよ、下妻」
たぶんね。
本橋くんが剣を肩に背負うように構えた。
わたしはやっとこさ立ち上がる。
魔法の杖に体重をあずける。
「じゃ、いつものとおり、わたしの指示からいきますよ。聞いてます? 下妻さん」
「わかってるって」
「では、カウント。3、2、1……アレーブ」とモーファが言う。
「アレーブ」
そう唱えると、空飛ぶ竜は炎に包まれる。
すっかり疲れ切り、力を失ったわたしは、魔法の杖から両手を離す。
地面に尻もちをつきながら、本橋くんの投げた剣が飛んでいく先を見る。
剣はまっすぐ、竜の胸をめがけて飛んでいく。
狙い通り、胸の深い傷のところに命中し、竜が唸り声をあげながら、空でバランスを崩す。
ずずーん、と竜が落ちた、地を揺るがす音を聞きながら、わたしの意識は睡魔に包まれた。




