10.クタマにフィジィ
実際、わたしの練習は、そう難しいものではなかった。
というか、言ってしまえば、簡単だった。
わたしに与えられた魔法は、全部で五種類。
①クタマ。これは回復魔法。
②フィジィ。これは速度を早くする魔法。
③サブーマ。この魔法はわたしたちを包み込み、ドラゴンのブレスを弱める効果がある。
ここまでが補助魔法で、あとの二種類は攻撃魔法だ。
④アレーブ。炎を放つ魔法。
⑤バーズ。これは氷を放つ魔法。
この他にもう一つ、「クタマルガ」という魔法もあるらしい。
その効果はクタマの上位版。
ただ、最適化の結果、戦いには使わなくていい魔法となったそうで、覚える必要はないとモーファは言っていた。
わたしの練習は、この五つの魔法を順番に唱えていくこと。
ただそれだけだった。
正直、ものすごく地味だ。
それになんだか恥ずかしい。
魔法は音声認識で発動するらしい。
そしてそれに、わたしが何か関与する、ということはない。
ただ、「クタマ」とか「バーズ」とか、はっきり発音よく言ってやればいいだけ。
「クタマ」
そう声に出すと、わたしの少し前方の空間が、何やら緑色の光でキラキラと輝く。
ただそれだけ。
「アレーブ」
そう言うと、やはり少し前方の空間が、激しい炎に包まれる。
ただ、今は練習なので、本物の炎のように熱くはなく、リアリティのある映像効果が出てきておしまい。
一通りできるようになると、次はモーファの指示に従って魔法を出した。
それも、まあ、復唱をするだけのこと。
「クタマ」とモーファがいえば、わたしが「クタマ」という。
「フィジィ」とモーファがいえば、わたしも「フィジィ」という。
ただそれだけ。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
いつか聞いたことのある、そんな詩の一フレーズが頭の中に蘇るぐらいには、わたしはヒマにしていた。
一時間ほど、その退屈な時間が続いただろうか。
最初の休憩に入ったとき、わたしはモーファに言った。
「ねえ、モーファ。本当にこれで、竜に勝てるの? ていうかさ、これのどこが、わたしじゃないとダメなわけ? こんなの、誰にでも出来るじゃん」
石造りの地面にちんまりと座りながら、モーファは困ったように首を傾げた。
「わたしにそう言われても……」
確かに。
モーファがその答えを知っているわけがない。
同じことを少し離れたところで見ていたロイシュテバに言ってみた。
「いいえ、誰にでも出来るわけではありません」ロイシュテバは、そう言い切った。「フィルターの話は聞きましたか?」
「うん。昨日聞いた」
「なら、話が早い。あなたは誰にでもできる単純なことしている。そう思っているかもしれませんが、それはフィルターを通った結果でしかない。実際には、他の誰にも出来ないことを、あなたはしている。たとえばぼくらが開発したこれらの魔法は、他の人間には使えない」
そう言われても、わたしにはその実感がない。
「でもそれ、なんか、騙されている気になるんだよね。見ているものや、やっていることが、実際には違う意味を持つ、ってのはさ。何を信じていいかわからなくなる」
素直にそういうと、ロイシュテバは困り顔をしていた。
「あんまり深く考えないでください、としか言いようがないですね」
うーん。
解決不能ということらしい。
モーファのところに戻ると、彼女もなんだか心配そうに、わたしに聞いてきた。
「どうでした?」
「なんかよくわからないけど、わたしにしか出来ないことだから、深く考えないでおけってさ」
「……ちょっとモヤモヤしますね」
「あっ、わかってくれる?」
「ええ。でも、実際、ロイシュテバの言う通りなんでしょうね。明日には終わりますから、我慢してくれると、助かります」
ま、モーファがそう言うのなら、そうするか。
それからしばらく、わたしは退屈な魔法の練習を続けた。
そのうちにモーファは、部屋の反対側にいた、本橋くんとキーファへ目を向けはじめた。
本橋くんは単調な動作で、あんまり速くもなく、剣を振るっていた。
不意にモーファが、魔法を読み上げるのをやめた。
「キーファたちも結構進んでいるみたいですし、そろそろ合わせてみますか」
わたしが本橋くんに目を向けると、彼もこちらを見ていた。
本橋くんがこちらに手を振る。わたしも手を振り返した。
たぶんあっちも退屈なんだろうな、とそんなことを思った。
そしてはじまった本橋くんとの合同の練習も、大したことはなかった。
本橋くんは、キーファの指示に従って、剣を振っているらしかった。
その法則性は、少し眺めていただけのわたしにもすぐにわかった。
キーファは突き、という言葉か、あるいは時計の時刻を口にする。
①「十二時」は真上から真下への切り下げ。
②「三時」は右から左への横薙ぎ。
③「九時」はその反対。左から右へと剣を振る。
④「突き」はそのままの意味。剣をまっすぐ突きだす。
わたしよりも一種類少ない、四種類の動きだったが、わたしよりも動くテンポは速かった。
とはいえ、めまぐるしく動き回る、というわけではない。
一つ一つの指示の間には、五秒か六秒ほどの間がある。
そして本橋くんの動作もそう速くはない。
ゆっくり構えて、振り下ろす。
たぶん、犬だって簡単によけてしまえるぐらいの速度の攻撃。
本当に大丈夫か、というわたしの疑問には、キーファが答えてくれた。
「戦いの最初に、下妻さんの魔法がかかりますから。それで十分、戦えるはずです。教えてもらえいましたよね、速度を早くする魔法」
「フィジィ」とわたしがつぶやく。
すると目の前の空間が赤くキラキラする。
「そう、それです」
本橋くんは魔法を使ったわたしを、感心したように見ていた。
「すごいな、下妻。本物の魔法使いみたいだ」
「いや、これ、スマートスピーカーみたいなもので……ただ、呪文を言ってるだけなんだよ」
「なんだ、そうなんだ」
少し本橋くんは残念そうだった。
もう少し夢のあることを言った方がよかったのだろうか。
練習の間、わたしは本橋くんの三メートルほど後ろで、モーファの指示のとおり、魔法の名前を復唱していた。
本橋くんは、キーファの指示に従って、剣を振り続ける。
キーファも、モーファも、手元にある紙を読み上げている。
そしてロイシュテバが少し離れたところで満足げにわたしたちの練習を見ている。
何の緊張感もないまま、ただ時間が過ぎ去る。
なにこれ、とわたしは思っていた。




