10 〜そして、フリーズドライ〜
季節を問わず、食材を冷やし、凍らせるという手段をついに人類は手に入れました。
最初はなんでもかんでもとりあえずは凍らせたのでしょうが、凍らせることで著しく品質が下がる食べ物もありました。
その代表例がジャガイモです。みなさんも、カレーを凍結保存したら、具のジャガイモがとんでもないことになったという失敗談を聞いたことがあると思います。ジャガイモは凍結保存が難しく、火を通してからマッシュポテト状に完全に潰せば冷凍保存も可能となりますが、形が残っていると解凍時に水が浮き出してきます。
この水はドリップと呼ばれますが、そこに旨味などの成分が含まれています。なので、それが抜けてしまうなどのことから、できそこないのスポンジのような口当たりになってしまいます。
ところが、ジャガイモの原産地、アンデスではあえて凍らせていました。
標高の高いアンデスでは日夜の気温差が大きいことから、野外に放り出されたジャガイモは夜間に凍り、昼間には解凍されます。
凍結と解凍を繰り返し、ドリップが出てくると踏みつけてさらにそれを絞るのです。
原種に近いジャガイモは「ソラニン」を多く含み有毒です。ソラニンはその絞られた水に含まれていますから、この処理によって抜けてしまいます。毒が抜けた後は、天日干しをして保存します。
これはチューニョと呼ばれるものですが、数年は保つという極めて優れた保存食となります。欠点は、歯が折れるといわれるほど固く、ある程度きちんと水につけて戻さないと食べられないことです。
この凍結させると解凍時に水が出るという特徴は、他の食物でも起きる現象です。凍結する際に、氷の結晶が成長して「細胞膜」を傷つけ、解凍時に中の水分が流出してしまうのです。
先ほどのジャガイモの例であれば、細胞膜だけでなく細胞内部の「液胞」も傷つけられますから、液胞の役割りである細胞生産物の貯蔵庫からソラニンが流れ出してしまうのです。一方でデンプンは水に解けませんし、その状態で細胞内に存在していますから流れ出しません。
このように凍結は細胞を大きく傷つけますが、氷の結晶が細胞より大きく成長しないように、速やかに温度を下げることでドリップを減らすことが可能になります。
この氷の結晶が成長する温度は-1℃から-5℃の間ですが、それを「最大氷結晶生成温度帯」といいます。一般的に、商品として売られている冷凍食品の種類が幅広いのは、大掛かりな冷凍庫でこの最大氷結晶生成温度帯を素早く通り過ぎさせて-30℃まで冷やすことが可能だからです。マグロなどの冷凍魚介類の品質向上も、この温度低下の高速化の技術の確立によるものです。
なお、伝統的な自然凍結を利用した食品保存方法で、凍結させたまま保存し食用とするものは北海道のルイベなど例はあるものの多くはありません。チューニョのように凍結解凍を繰り返して水分の排出を前提としたものが多くなっています。
また、加工済み食品で細胞のような「構造」を失っていても、凍結による氷の結晶の成長と、結晶間の凍結していない水による成分濃縮と変性が起きるといった原理は変わりません。さらに、解凍時に氷の結晶分の水が抜けるということにも変わりはありません。
日本の高野豆腐、寒天などのスポンジ状態は、このようにして作られるのです。
さて、今までの説明では、食材、食品中のドリップや水分は出てしまうものでしたが、一方で品質を落とさないよう上手にそれらを出すことで、乾燥の効率化と品質の向上を目指した技術が「フリーズドライ」です。
これは、−30℃で凍結させた食材を真空中に置くことで、元の食べ物から上手に水分だけを取り除く技術です。
「気圧」が低くなると水の「沸点」が下がり、温度が低くても蒸発が進みます。
例えば、富士山の山頂では、水は87℃で沸騰してしまいます。富士山の山頂では、カップラーメンが美味く作れなかったという話を聞いたことのある方もいると思います。カップラーメンを作るのに、87℃は低すぎるのです。
気圧をさらに下げると、約0.006気圧の段階で、沸点は「融点」である0℃とほぼ同じになります。これを「水の三重点」といいます。気圧がこれ以下になると、氷が液体を経ずに水蒸気になるようになります。この現象を「昇華」といいます。
この昇華により水を抜くことにより、温度を上げないまま「蒸留」ができることになりますから、水以外の成分は食物中に留まることになります。これが、チューニョのように水に不溶性のもののみが残るという、昔からの方法と大きく異なる点です。
このため、食物中に含まれた香り成分や、栄養素は失われずに済むのです。
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※ 日本伝統のフリーズドライ食品として、今日もっとも重要なものの一つとして寒天があります。
みつ豆に入っている寒天ののほほんとしたイメージと裏腹に、みなさんにはこれが最先端の科学の実験に必要不可欠なものであり、一時は軍需物資であったという認識はあるでしょうか。
寒天は江戸時代前期に京都の旅館の主人が、捨てられたトコロテンが自然状態で凍結、解凍を繰り返して乾物状になったものを発見したことに始まります。煮溶かして味をみたところ、元のトコロテンよりもできがよく美味でした。
そこで、これを日本での黄檗宗の祖、隠元禅師(インゲンマメを日本に持ってきたとされている方です)に試食してもらった結果、精進料理の食材として評価され、「寒天」と名付けられて国内に広まっていきました。
その後、1881年に、パスツール と並ぶ細菌学の巨人、「ロベルト・コッホ」により微生物の「培養」に寒天が用いられるようになりました。
パスツールは液体の培地を使用しており、微生物の種類を「分離」し「同定」することはできませんでした。それに対し、コッホは、寒天の板に微生物を含む希釈液を白金耳で塗り広げ、発生してきた微生物の群れ(コロニー)からピックアップをし、それぞれの微生物の種による「純粋培養」に成功したのです。
この方法は微生物の密度が高いことで分離に失敗した場合、塗りつける量に対して菌体数が数個になるまで液の希釈倍率を上げて、同じ実験を繰り返せば必ず分離が可能ですから、極めて優れた方法でした。
そして、ついには特定の一種類の菌を取り出すことを「単離」と言います。
また、コッホの助手のユリウス・リヒャルト・ペトリは、この実験に適した寒天の容器であるシャーレ(ペトリ皿)を考え出しています。
寒天使用以前はゼラチンが使われていましたが、これはタンパク質なので培養中の微生物によって消化されてしまったり、溶融温度が低いため微生物の生育に最適な温度で解けてしまったりと使いにくいものでした。
それに対し、寒天は微生物に消化されにくかったうえ、溶融温度は90℃前後、凝固温度は40℃前後であり、微生物の培養に使われる温度範囲で解けることがありません。
コッホは、寒天培地によって「炭疽菌」「結核菌」「コレラ菌」を発見するとともに、「コッホの原則」を提唱しました。これは、
(1) ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
(2) その微生物を分離できること
(3) その分離培養した微生物を他の健康な動物に接種した時、同じ病気を起こすこと
(4) その動物から同じ微生物が分離されること
の四つで、現代においても病原体同定の重要な指針となっています。
コッホは、結核菌の発見とコッホの原則によるその病原性の証明を行い、「ノーベル生理学・医学賞」を受賞しています。
また、コッホは弟子も多く、ペスト菌を発見し、「破傷風菌」の培養と血清療法を確立した日本の「北里柴三郎」もそのうちの一人です。
このようなことから、寒天は細菌兵器の開発に使われる可能性があるものとして、第二次大戦中の日本は西洋に対して禁輸を行なっていたのです。
寒天は、その後も植物の「成長ホルモン」である「オーキシン」による「屈性」の研究、植物組織の「培養」のための「培地」、さらには「DNA」の二重らせんを「制限酵素」で切断したのち、その長さごとに分離する手法である「電気泳動」用の「ゲル」に使われており、現在の科学においてなくてはならないものであり続けています。