8−1 〜火を通しましょう、高い温度で〜
食物の加熱には、いくつもの効果があります。
水分を減らす、熱による殺菌をする、タンパク質を変性させて固めるなどです。このあたりは燻製の技術と相乗的な効果となったものもあるでしょう。また、煮るという手段は体外消化の最たるもので、食物を柔らかくし、消化吸収を助け、人類の可食物の幅を大きく広げたことでしょう。
ただ、問題は、加熱それ自体が必ずしも食物の保存に結びつかないということです。
加熱殺菌はその場で活動している菌は殺しますが、高熱に耐えられる「芽胞」を殺すことはできません。したがって、他の菌が死に絶えたのを良いことに、高温を生き延びた芽胞が一気に「発芽」し増殖するということがあるのです。
納豆はこの方法で作られていますし、夏にカレーが一晩で腐るということもこれが原因です。100℃で煮たから大丈夫というのは思い込みにすぎません。微生物の栄養となる有機物がない環境ならばまだしも、大豆もカレーも豊富な栄養がありますから。
ただ、菌の「生活環」の中で芽胞期以外であれば、加熱による殺菌は確実な方法です。
ここで、またもや軍事の登場です。
フランスのナポレオンは、ヨーロッパからエジプトに至る広い地域で戦争をしましたが、そのためには糧食の確保と輸送が最大命題でした。「軍隊は胃袋で動く」とは、「ナポレオン」の言葉なのです。
ナポレオンは、食品を常温で長期間保存ができる方法の開発に懸賞金をかけました。その結果、フランスの「ニコラ・アペール」が、1804年に「瓶詰」の方法を開発し、味付けの有無を問わず食材の長期保存が初めて可能になりました。
瓶詰めの殺菌方法を、最も殺菌が困難な「枯草菌」を想定して説明しましょう。先ほど例に挙げた、納豆を作る菌です。
枯草菌も生物ですから、100℃の環境には耐えられません。しかし、その「芽胞」は短時間であれば120℃にすら耐えるほど強く、100℃では長時間の連続加熱でも死滅しません。そのため、瓶に入れた食材を煮沸殺菌したのちに冷まし、生き残った芽胞が発芽するタイミングで再度加熱するのです。
芽胞も発芽後は熱によって殺菌されますから、このプロセスを複数回繰り返すことで完全に殺菌を成し遂げる「滅菌」が可能になります。
このような数回に分けて処理する方法を「間欠滅菌」といいます。また、一度滅菌した環境からは細菌が自然発生することはないと、パスツールの白鳥の首フラスコの実験による1861年の論文で証明されています。
ただ、軍隊で使うという条件を考えた時に、ガラス瓶は割れやすく、重いということも輸送面で問題となりました。
改良はすぐにされました。1810年にはフランスの敵国であったイギリスで、「ピーター・デュランド」が瓶詰めを「缶詰」に改良したのです。
これにより、食料の長期保存と輸送の両立がなされました。
当時、缶はハンダ付けで食べ物を封入していましたが、ハンダはスズと鉛の合金ですから、多食によって鉛中毒による健康被害の問題がありました。現在では二重巻締という、缶の蓋と縁を一緒に巻き込んで密閉する手段が用いられていますので安心です。
なお、フランスには昔から「コンフィ」という油脂の中で肉を低温調理し、そのまま油脂の中で保蔵するという保存食がありました。今ではフランス料理のメインディッシュの一つですが、昔はガチョウの豊富な油脂分で肉を密閉する保存食だったのです。油脂の特徴として温度が高くなれば溶けて密閉ができなくなりますから、よほど寒い時期でなければ軍隊の糧食にはならなかったでしょう。
ですが、フランスにはこのような密閉するという考え方がもともとあり、それが瓶詰めを作るヒントになったのではないでしょうか。なお、カナダ、アメリカ北部でも、ペミカンという同じ発想の保存食があります。
その後、缶詰は改良され、缶切りも開発され、糧食にとどまらない私たちの日常食としても利用されています。
最後に、缶詰の殺菌方法は瓶詰めのそれとは異なります。
「枯草菌」の芽胞は100℃では死滅しないため間欠滅菌が必要となるのですが、 120℃、2気圧で15分以上処理すれば枯草菌の芽胞も耐えられず、一回の「高圧蒸気滅菌」処理で完全な滅菌が可能となります。
ジャムやピクルスは酸性で金属を腐食する力が強いので瓶詰めが多用されますし、その酸によりより有効に殺菌されますから、基本的には高圧蒸気滅菌は使用されません。しかし缶の場合は、缶外部からの加熱によって中の食材は「高圧蒸気滅菌」され一回の処理で滅菌が完了します。また、缶自体の強度があることから、大量の同時処理が可能となっており、瓶詰めよりもはるかに利便性が高いのです。
そして、この缶詰の長所をより活かしたのがレトルトです。アメリカ陸軍で軍用レーションとして開発が進められ、NASAで宇宙食として採用されました。ただし、普及に関しては日本が先行し、1968年に発売されたカレー商品を受け継いで、今でもカレーが多くの割合を占めています。
なお、パッケージの強度が缶詰に比べて劣るため、自衛隊が糧食をレトルトに全面的に切り替えたのは2016年のことです。
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※皆さんはアーミーナイフというと、どんなものを想像するでしょうか。
ランボーという映画に出てきた、切っ先の鋭い大型ナイフを思い浮かべる方もいるでしょう。ですが、実際のところ、軍隊で兵士に支給してきたのは小型で品質の高いツールナイフでした。そこには栓抜き、缶切り、ワインオープナーがついているのです。
これは、兵士の食事を考えて作られていました。敵と交戦するための道具ではないのです。ヨーロッパの水は石灰分の多い「硬水」ですから、基本的にそのまま飲めません。
なので、ワインや瓶に入った飲料を飲むことになりますから、ワインオープナー、栓抜きが必要になり、それと缶切り、包装を開けるための小さな刃物、これで用は足りたのです。むしろ、この小さなアーミーナイフがないと、銃剣で無理やり缶詰を開けることになり、切っ先が欠けたり刃こぼれが生じたりして戦闘に支障をきたすことが心配されていました。
そのような道具ですから、アーミーナイフという呼ばれ方とは裏腹に刃物以外のツールも使う機会も多く、結果として日常生活の中でも極めて便利に使える道具です。
日本国内では刃物の規制が厳しくなかなか有効に使えないのですが、海外に遊びに行った時などは、「マーケットで売っている果物を一つずつ全種類買って味見をする」「部屋でワインを開けてつまみと飲む」というような時には極めて有効な道具になってくれます。
海外では「イージーオープンエンド」のような、道具なしでも開けられる缶詰が主流ではないことも多いのです。