馴染みのない海水浴場で初対面のカップルと探す夏
水族館を昼過ぎまで満喫してから、近くのコンビニに入った。
お昼は適当にお弁当で済ませてしまうことになった。
僕は焼きそばとおにぎり、陽花梨さんはサンドイッチとサラダを手に取る。
「ねえ、海水浴しちゃおうか?」
「は? 水着とか持ってないよ?」
「このコンビニ、男性用水着なら置いてるよ」
海辺のコンビニだからか、確かに水着やシュノーケルなどが置かれていた。思い付きで泳ごうと思う人は、少なくとも陽花梨さん以外にもいると言うことなのだろう。
「陽花梨さんの水着がないじゃない」
「私はあるよ。持ってきてるもん」
「なんでそんなもの持ってきてるの?」
「そりゃ夏を探す旅に来てるんだもん。水着くらい持ってくるでしょ」
結局勝手に水着も購入されてしまい、僕たちは近くにある海水浴場に向かう。
泳ぎたくないわけではない。しかしなんでも勝手に決めてしまう陽花梨さんの強引さに少し辟易して、それが少し態度にそれが出てしまった。
「なに? 感じ悪っ。もっと楽しもうとかいう気はないわけ?」
陽花梨さんもややふて腐れる。こういう時は無言で遣り過ごすのが僕の処世術だ。空気は悪くなるけれど、決定的な衝突は避けられる。
せっかく水族館で深まりかけた僕らの親交も、一瞬で気まずいものに変わってしまった。
大きな道を渡り、松の林を抜けると目の前には想像以上に広い砂浜が広がっていた。ここは関西でも人気の海水浴場なのか沢山の人で賑わっている。せっかく遊びに来たのに僕たちは会話もせず、海の家の更衣室へと向かった。
(なんで陽花梨さんが機嫌悪くなるんだよ。自分勝手すぎる)
納得いかないものを感じながらも、不安になってしまったのも事実だ。
どうやって仲直りするかということを考えながらも、ちっぽけな僕は向こうから謝ってこなければ許さないと腹に据えていた。
先に着替え終わった僕は、波打ち際ではしゃぐ人達を見るともなく眺めていた。
空には入道雲も浮かんでおり、夏だなぁと思わされる景色である。でもちっともはしゃぐ気にはなれなかった。
(別に陽花梨さんとこのまま気まずいままでも問題はない。元々一昨日まではろくに話したこともなかった間柄だし)
ちょっと面倒になれば付き合いを断てばいい。今までもそうやって生きてきた。
でも何故かそう考えても胸の中のモヤモヤは晴れなかった。
気付くといつの間にか僕の隣には同じくらいの年代の男子が立って女子更衣室の方を眺めていた。きっと彼も彼女が着替えるのを待っているのだろう。
「お待たせ-! 遅くなってごめん」
陽花梨さんの弾んだ声がして振り返る。まるで先ほどまでの険悪な空気なんてなかったかのような、晴れ晴れとした嬌声だった。
「あ、うん……大丈夫だよ」
もう陽花梨さんの中では怒りは消化できたのだろうか。喧嘩も自分勝手に終わらせてしまうのが、陽花梨さんらしい。
一人モヤモヤの中に取り残されていた僕は気持ちの持っていく先を見失ってしまった。
「どう? 可愛い? 似合ってる?」
花柄のオフショルダービキニに着替えた陽花梨さんは、わざとらしく馬鹿そうに腰を捻ってポーズを取る。不意に今朝方見てしまった漫画喫茶での着替えを思い出してしまい、顔が熱くなった。改めて思う。彼女は着痩せするタイプだ。
「に、似合ってる、と思う。一般的に見て」
「なにそのびみょーな言い回し。一般的じゃなくて鳩羽君の意見を訊いてるの」
「似合ってるよ。可愛いと思う」
自棄気味にそう伝えて、正視しがたいその姿から目を逸らす。
「『と思う』ねぇ。ふぅん。変な言い方」
口振りは不服そうだったけれど、表情は満足げだった。
なんだかいつまでも僕一人が怒りを引き摺っているのが馬鹿馬鹿しくて、不覚にも笑ってしまった。その怒りの消失テクニックは、手品師というよりは詐欺師的なものを感じた。
陽花梨さんはなぜか隣にいる見知らぬ女の子と仲よさそうに笑いあっている。
その様子に隣の男子も驚いていたので、あの女の子が彼の彼女であることは分かった。
「この子、サトちゃん。更衣室で話してたら仲良くなっちゃって。一緒に遊ぼうってことになったの」
「よろしくお願いします」
サトちゃんと紹介された女の子は半袖のラッシュガードにデニム風のショートパンツの水着を着ていた。
「え? 迷惑じゃないですか?」
サトちゃんとその彼氏を交互に見て確認する。
「別にいいよね、ヨシト」
「まあ、いいけど」
ヨシト君はぶっきらぼうに答えた。絶対迷惑に決まっている。
「すいません」
「いや。本当に構わないから」
一応謝っておくと、ヨシト君は気のよさそうな顔で許してくれた。
「うわ! アレ大きくない?」
陽花梨さんが指さしたのは海でよく見かけるシャチの浮き袋だ。ただ普段見かけるものより若干大きい気がする。どうやらレンタルできるものらしく、女子二人は早速借りに行った。出会ってすぐなのにあれだけ意気投合するのも陽花梨さんらしい。
「すいません。マイペースな人なんで」
無礼を謝るとヨシト君は首を振って苦笑した。
「むしろ助かったから」
「助かった?」
「暑いとか海で泳ぐと体がべたべたになるとか文句言ってたらアイツすげー怒り出して。気まずい空気だったのに着替えて出てきたら陽花梨ちゃん? と仲良くなって機嫌よさそうになってて正直ほっとした」
「ああ、なるほど」
どうやらヨシト君カップルも喧嘩をしていたらしい。だとすれば更衣室でどんな会話が繰り広げられていたのかも想像に難くない。
レンタルした巨大なシャチの浮き袋に女子二人が乗り、僕たちが引っ張って沖へと泳いでいく。サトさんとヨシト君は水を掛け合い、そこに陽花梨さんも加わってはしゃいでいた。
見ず知らずの人と浜辺で知り合い、いきなり遊ぶ。僕では絶対に思い付かないし、しようとも思わない行為だ。
「わっ!? ヤバい、落ちそう!」
「ちょっとヒカリ! 引っ張らないで! きゃあっ!?」
「そら!」
二人が落ちかけているのを見てヨシト君はわざとシャチをひっくり返して二人を落とした。
「ちょっとぉ! ヨシト君、わざと落としたでしょ!」
「気のせいだよ!」
「絶対わざとひっくり返した! サトちゃん、仕返ししよう!」
陽花梨さんはサトさんと二人がかりでヨシト君に襲い掛かる。
「うわっ!? マジでやめろって!」
人見知りする僕はまだそこまで打ち解けられていない。一人だけ取り残された疎外感を感じていた。
「ほら、鳩羽君隙あり!」
「わっ!?」
突然背後から迫ってきた陽花梨さんは僕の頭を掴んで沈めてきた。何かに掴まろうにもなにもなく、海の中に沈んでしまう。
足は付くから溺れはしないけれど苦しい。鼻に海水が入り、ツンッとした。
シュノーケル越しに上を見上げると揺らめく水面と太陽の光が眩しかった。
目の前に陽花梨さんの脚があった。
当然ながら普段はスカートで隠れている部分まで見えている。
見てはいけないと思いつつ見てしまうのは思春期の男子なら仕方のないことだ。
凝視するあまり、内ももに火傷だか傷の跡を見つけてしまった。別の意味で見てはいけないものを見つけてしまった僕は、慌てて目を逸らした。
海底を蹴って全力で浮上すると、僕を抑えつけていた陽花梨さんが背中から転ぶ。
「きゃあ!」と言ってはしゃぐ姿は、もっと反撃しろと言っているように見えた。
「仕返しね!」
僕は陽花梨さんの頭を抑えて沈める。
「ちょっとぉ!」
陽花梨さんは笑いながら抵抗した。それを助けようとサトさんがシャチの浮き袋で僕を叩く。やられた振りをして僕も背中から海に沈んだ。
一人拗ねたように白けていた僕を、陽花梨さんが助けてくれた。そんな陽花梨さんの明るさと優しさが嬉しかった。
ひとしきり遊んだあと、海の家に戻り並んで座ってかき氷を食べる。
東京で食べたフワフワのかき氷とは違い、昔ながらのシャリシャリの普通のかき氷だけどやけに美味しく感じた。
「へえー。付き合って初めてのデートだったんだ?」
二人の関係を聞いた陽花梨さんは意外そうに声を上げた。
「まあ、昔から知り合いだったから今さら付き合ったからってそんなに変わんないけどね」
舌を緑色に染めたサトさんは照れと喜び半々の顔をして笑っていた。
「いや、少しは変われよ」
ヨシト君はツッコミ担当らしくサトさんの頭をぽんと叩く。仲がいいんだなと羨ましく思った。
人付き合いが希薄な僕は小学校はおろか、中学の友達すらほとんど付き合いがなくなっている。
「陽花梨たちは?」
「なにが?」
「陽花梨と鳩羽君。付き合ってどれくらい?」
「そうだなぁ。ねぇ鳩羽君。私たちは、どれくらいだっけ?」
ややこしい質問を僕に振った陽花梨さんは腹黒そうに笑っていた。付き合っていないと答えればいいのだけれど、なぜかそう答えたくはなかった。
「僕たちはね、夏を探す旅をしているんだ」
代わりに僕はそう答えた。
「夏を探す旅?」
サトさんとヨシト君は同時に復唱した。さすが昔からの仲だけあって息もぴったりだ。
「そう。それも普通の夏じゃない。誰も見たことのない夏を探しているんだ」
「なにそれ? 面白そう!」
サトさんは興味津々で身を乗り出してきた。
「見付かったの?」
「うーん。夏バテする動物とか、台湾式のかき氷とか、イルカのショーで濡れてもすぐ乾くとか、そんな夏は見つけられたけど」
陽花梨さんは指折り見つけた夏を数えて答える。
その隣で僕も夏を数えていた。
それほど親しくもない同級生とネットカフェで一泊する、生まれて初めての土地にふらりと訪れる、見ず知らずのカップルと海水浴をする。
どれも普通では考えられない夏の出来事だ。
この先、僕と陽花梨さんはどんな夏を見付けられるのだろう。
海の家の椅子に座り、足をぷらんぷらんと揺らして笑う陽花梨さんを見ながら、僕はそんなことを考えていた。
サトさんヨシト君のカップルと別れて海水浴場をあとにしたのは午後三時過ぎ。
日焼け止めクリームを塗っていたとはいえ、陽に晒された肌はピリピリと滲みる痛みがあった。
「なんか素敵な二人だったよね」
駅に向かう道中、陽花梨さんは笑いながらそう言った。
昼下がりの陽があちこちを反射させて眩しい。陽花梨さんの麦わら帽子が羨ましかった。
「幼馴染みから恋人になるって、ある意味理想的だよね」
陽花梨さんのキャリーバッグを引きながら僕は答えた。
「鳩羽君にも今でも交流のある幼馴染みとかいるの?」
「いや。昔の友達はまったく付き合いがないよ」
「そうなんだ。よかった」
「よかった?」
「私もいないからさ、幼馴染み。なんか一緒でホッとした。私だけじゃないんだぁって」
「幼馴染み、いないんだ?」
意外に感じたが、その理由はすぐに気付いた。小学三年生から養子として学校に編入したのなら、恐らくその経緯は周囲に知られていたのだろう。
「『橋の下で拾われた子』『親に捨てられた奴』。小学生の頃はそんな風にからかわれてね。橋の下じゃなくて、ちゃんとした施設で拾われたのにね。失礼しちゃう」
陽花梨さんはスベらない鉄板ネタみたいに愉快そうに笑って語っていた。