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漫画喫茶で見てはいけないものを見て探す夏

 静かなところだから会話も憚られる。


「なにを持ってきてくれたの?」


 意味深なくらいの潜めた囁き声で訊かれたので、僕は声を出さずに表紙を見せる。

 ゲームをしていたら凄腕の剣士と勘違いされた高校生が異世界に連れて行かれ、その世界を救うというアクションコメディだ。勘違いから始まった救世主だが、戦いを通じてそのうち本当の英雄になっていくのが面白い。


 一方陽花梨さんが持ってきてくれたのは『鏡の向こうの私』という作品だった。

 赤を基調とした装丁で、表紙絵もたくさんの花が描かれた、いかにも少女漫画という感じのものだった。なるほど。これは僕が自分で選ぶことは絶対になさそうな作品だ。

 早速僕たちはお互いの本を交換して読み始める。


 コンタクトを外したのか、陽花梨さんは眼鏡をかけていた。

 ぼんやりとした薄明かりの中で見る眼鏡をかけた横顔は、いつもの陽気な彼女とは別人のようで、なんだかとても知的に見える。いつもが馬鹿っぽいと言うわけではないんだけれど。


 『鏡の向こうの私』は予想していたような恋愛漫画ではなく、不思議なストーリーだった。

 伯父がフランスの蚤市で見付けたという古い鏡を貰うところから物語は始まる。

 趣のあるデザインが気に入った主人公は毎日その鏡で身だしなみを整えていた。

 ある夜、鏡の向こうの自分から話し掛けられ、入れ替わろうと持ちかけられる。

 好奇心の強い彼女はノリでそれを了承してしまった。


 少女漫画特有のうるさいくらいの線の多さやコマ割りを無視した構図が最初は慣れなかったが、そのうち気にならなくなるほどのめり込んでいった。


 荒れ地が広がり、食べ物もなく、不思議な獣が跋扈する。そこで命からがら生きていく。

 元の暮らしに戻りたいと鏡の向こうに呼び掛けるが、聞き入れてもらえない。

 そんな暮らしを続けていくうちに仲間も増え、生きる術を学んでいく主人公に僕は共感と興奮を覚えた。


「ふふふ」


 時おり隣からは陽花梨さんの飾り気のない笑い声が聞こえてくる。

 自分の選んだ本を楽しんで貰えているのは嬉しかった。

 僕も陽花梨さんの選んでくれた物語の先を読み進める。


 ある日鏡の向こうのもう一人の自分の方から戻りたいと訴えてきた。

 鏡の向こうの彼女は嘆く。

 『こっちの世界は安全で豊かな素晴らしい世界だと思っていたけど、全然違う。最低の世界ね。なんの自由もなく、非暴力で人を追い詰めていく醜悪な世界よ』と。

 はじめは聞き入れなかった主人公だが、最終的にはまた入れ替わり、お互いが元に治まり終わるという話だった。


 寓話的だが押し付けがましくないので、鼻につくこともなく一気に読んでしまった。なぜこの本を陽花梨さんが選んだのか、その理由は分からない。自分から自己紹介的な作品として選んで持ってきたのだから、何かしらの意味はあるのだろう。

 しかしそんな彼女の忍ばせた意図など気にならないほど、普通に面白い作品だった。

 最終巻をぱたんと閉じると、待ち構えていたように陽花梨さんが僕の顔を覗き込む。


「どうだった?」

「とても面白かったよ」

「よかった。この漫画の良さが分かる人、意外と少ないんだよね。鳩羽君なら分かってくれると思っていたけど 」

「鏡の向こうとこちら。どちらが幸せかなんて分からないけど、同じ人物でも環境が違うと生き方も変わるんだね」

「うん。不思議だよね」


 そこで一旦休憩となり、陽花梨さんはシャワーへと向かった。

 ようやく一人になれた僕は今日一日の非現実的な出来事を落ち着いて振り返る。


 午前中、僕はいつもの週末と同じように図書館に行くはずだった。

 でもその途中で陽花梨さんに出会したことで、その後の予定が大幅に変わってしまった。


 東京に来て、動物園を見て、台湾風かき氷を食べ、お洒落な古着を買う。それもクラスで一番可愛い女の子と一緒に。そしてその子と今から漫画喫茶の狭いブースで就寝する。

 当たり前だけれど、そんなこと今朝の時点では予想もしていなかった。

 これは確かに『誰も見たこともない夏』なのかもしれない。


(いったいなんで陽花梨さんは僕なんかとこんな旅をしているのだろう)


 一日歩き回った疲れが心地よく、うつらうつらとしてくる。

 壁により掛かり目を閉じると、あとはとぷんっと沈むように眠りに落ちてしまっていた。



 目が醒めるとここがどこなのか、一瞬本気で分からなかった。

 目の前で机に突っ伏して寝ている陽花梨さんを見て、瞬時に状況を思い出す。


 どうやら昨夜は彼女がシャワーにいっている間に寝てしまったらしい。


(今何時なんだろう)


 窓もないこの場所では、おおよその時間すら分からない。スマホで確認すると朝の七時前だった。


 スースーという陽花梨さんの寝息が聞こえてくる。結局あのあと読破してくれたのか、漫画は全て棚に戻してくれていた。


 今までまともに会話をしたことがなかったから、陽花梨さんはもっと取っ付きづらい人なんだと思っていた。その印象は昨日一日で大きく変わった。

 とはいえ『自分勝手で人を巻き込む人』というアップデート内容だから、別に印象がよくなったわけではない。


「あ……」


 母さんからメールが入っているのに気付き、戦慄が走る。

 どんなお小言がしたためられているのだろうと覚悟しながら確認すると、意外と一行だけしか記されていなかった。


『人生に本当の夏は、一度だけ』


 教訓めいているようで、怒りを一行に濃縮したようにも読み取れる得体の知れないワンフレーズだった。

 何十行にも亘り説教を書かれるよりも、ある意味僕を震え上がらせた。


(ヤバいよなぁ)


 ひとまず落ち着こうとドリンクバーへと向かう。自分の分のオレンジジュースと、陽花梨さんの分のレモンティーを淹れてブースへと向かう。

 ドアを開けると陽花梨さんがTシャツを脱いで着替えようとしているところだった。


「きゃっ!?」

「ご、ごめんっ!」


 慌ててドアを閉める。でも網膜に彼女の白い肌や、それ以上に見てはいけないものが焼き付いてしまっていた。


「も、もういいよ」


 震える声がして、僕はドアを開けた。デニムのショートパンツサロペットにTシャツというボーイッシュな服装に着替えた陽花梨さんは真っ赤な顔をして僕を睨んでいた。


「ごめん。でも何にも見てないから」

「絶対? もし嘘だったら絶交だからね」

「絶対、本当。なんにも見てない!」


 思わず声が大きくなってしまうと、隣のブースから迷惑そうな咳払いをされた。

 慌てて声のトーンを最小まで下げる。


「昨日いつの間にか寝ちゃってたみたいで。ごめんね」

「ううん。いいよ、そんなこと」


 持ってきたレモンティーを渡すと笑顔で受け取ってくれた。

 それほど怒ってはいないようでホッとする。

 根に持たない性格は、旅のパートナーとしては向いているようだ。


 ひと息ついてから漫画喫茶を出ると早くも東京の街は熱が籠もっていた。


「どうする? すぐ帰るの?」


 帰ること前提でそう訊いたが、それには何も答えてくれなかった。

 夏休みだと浮かれているのは学生だけで、今日も街や電車には忙しそうに仕事に向かう人で溢れかえっていた。

 山手線は自立できないほど混み合っており、詰め込まれた姿勢で窓の外を流れる都会の景色を眺めていた。

 高いビルや入り組んだ高速道路の高架、大手企業の看板などが東京にいるんだなと実感させる。


 陽花梨さんに誘われるままに着いたのは東京駅だった。

 この駅から、僕たちの地元に向かう電車が出ている。

 せっかく東京に来たのだからもう少し何かを見て帰りたい気もしたが、彼女の気が変わらないうちに帰路に着くのも悪くないとも思った。


 しかし僕のそんな考えは、甘過ぎると言わざるを得なかった。

 みどりの窓口についた陽花梨さんは驚くべきことを僕に告げた。それもまるでサプライズプレゼントを渡すかのような笑顔で。


「夏を探す私たちの旅、二日目。今日はこれから神戸に行きます」

「……は?」


 僕の思考回路の範疇に陽花梨さんは収まらない。

 そう思い知らされた瞬間だった。



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