台湾風かき氷店で探す夏
陽花梨さんに連れて来られた表参道のこのお店には、目を疑うほどの長蛇の列が出来ていた。小学生の頃、子供会でかき氷を無料配布していたが、ここまでの行列は出来ていなかった。
陽花梨さんは戸惑うことなくその最後尾に並ぶ。
「え、これがかき氷屋さんの列?」
「うん。楽しみだねー」
「でもこれ、何分くらい待つんだろう?」
「あー、もう。そういう顔しない。夏を探す旅はこの炎天下での待ち時間も貴重なものなんだから」
確かにこの灼熱地獄の中、ただひたすら並ぶのは、痛いほど夏を感じられることだろう。気象予報士の『熱中症に充分ご注意下さい』という言葉を思い出す。
熱さもさることながら、それ以上にこのお洒落な街に不釣り合いな垢抜けない自分の服装も気になってしまっていた。
ジーンズにTシャツという無難なチョイスではあるが、少しよれた襟元が絶妙にダサさを醸し出している気がしてしまう。このお洒落な街並みにはそう気後れさせる威圧感があった。
いや、自分一人なら恐らく気にしなかっただろう。でもそれなりにこの場所でも様になっている陽花梨さんの隣に立つことで、彼女の足を引っ張っているのではないかという不安に駆られていた。
「ねえ、鳩羽君はどれがいい?」
しかし陽花梨さんは気にした様子もなく、テンションを上げてメニューを見ていた。教室でもよく見掛ける、いつもの明るい陽花梨さんの笑顔だ。
この店は並んでいるときに注文を決めさせるシステムらしく、まだ入り口の遙か手前のお客さんにまでウエイトレスさんが注文を取っていた。途中で帰る人などいるはずもないという自信を感じさせる経営形態だ。
仕方なくメニューを見た僕は、行列に続く二度目の衝撃に見舞われた。
「え? こんなに高いの!? ふたりでひとつ食べる的なものなの?」
「まさか。むしろ一人一つ注文しないと駄目なんだよ、この店」
「そうなの!?」
かき氷といえば縁日や海の家でしか食べない僕の価値観では、正直倍以上の金額だった。ましてや子供会ならタダか、それに近しい金額だ。それがこの店では夕食を食べられるくらいの金額で売られていた。
僕は完全にお洒落かき氷を侮っていた。
「大丈夫。お金は私が払うから」
「そうはいかないから」
「いいの。今度お金の心配したら、なんかペナルティーね」
本気で気分を害した顔をされ、返事に窮してしまった。
ひとまず使わせてしまった金額を覚えておき、あとで返すことにしよう。
一時間くらい待たされて、ようやく僕たちは店内に入れた。
そこまで待たされた上に僕の常識を遙かに超える高額なそのかき氷は、結論から言えば充分にその価値があった。
「うわ、何これ!? 美味しい!」
「すごいね、これは!」
僕はタピオカミルクティー味、陽花梨さんはマンゴー味を選んだ。台湾風かき氷とはマンゴーやミルクティーをそのまま凍らしたものを削っているらしく、とても濃厚な味だった。
それにかき氷というものはシャリシャリしたものだという概念を打ち破り、なんとフワフワしていた。
口の中に入れた途端にかたちは消え、全て味となって広がっていく。甘いけれどしつこくない、爽やかな味わいだった。
「ねえ、そっちも一口ちょうだい」
「あ、はい」
器を渡そうとする僕を無視し、陽花梨さんは餌を待つヒナ鳥のように口を開いた。
「いや、自分のスプーンで自分で食べてよ」
「えー? 『あーんチャンス』だよ?」
「そんなチャンスいらないから」
苦笑いで答えると、陽花梨さんは自らのスプーンで僕のかき氷を掬って食べた。はじめから僕がしてこないことを見越してからかったのだろう。
「んー、しあわせ」
タピオカミルクティー味を口にした彼女は嬉しそうに笑っていた。
「どう? 陽花梨さんは夏を見付けられた?」
「うん。見付かったよ」
陽花梨さんは企みを秘めた顔をして、自らのマンゴー味を掬って僕の口許へと向けてきた。
「今度は私からの『あーんチャンス』だけどどうする?」
「じ、自分で食べるよ」
「駄目。マンゴー食べたいならあーんしないと。はい、あーん」
僕は甘酸っぱくも濃厚なマンゴーの香りに負け、口を開く。
でも彼女の匙が唇に当たり、緊張で味わうどころではなくなってしまった。
「美味しい?」
「うん、美味しい」
本当は緊張でその美味しさを半分も楽しめなかったけれど、取り敢えず無難にそう答えておく。
「鳩羽君が旅の道連れに向いている理由その三。ちょっと無茶振りしても引かずについてきてくれること」
「なにそれ? 押しに弱くて流されやすいだけでしょ」
「そこがいいんじゃない」
「というか、無茶ぶりだっていう認識はあったんだね」
陽花梨さんはまた嬉しそうに笑って僕の肩を軽く叩いた。
店を出るとまた夏の暑さに灼かれる。午後四時過ぎくらいでは日が傾いたことさえ感じられない季節だ。かき氷を求める長蛇の列は、僕たちが並んだときより長くなっている気がした。
「さて、次は洋服を買いに行こうか」
「え? もうそろそろ帰らないとやばいでしょ?」
これから急いで帰っても家に着く頃には七時を回りそうだ。さすがにこれから買い物というのはスケジュール的に厳しい。
「なに言ってるの? 旅はまだ始まったばかりでしょ?」
「は? どういう意味?」
陽花梨さんは僕の質問に答えず、さっさと先へと行ってしまう。
この時の僕はこの陽花梨さんの台詞が冗談でもなんでもないということを知らなかった。
本当に僕たちの夏を探す旅は、まだ始まったばかりだった。
「鳩羽君ってなに系の服が好きなの?」
「僕? 買い物って陽花梨さんの服じゃなかったの?」
「はあ? 私の服のわけないじゃない。私は服を沢山持ってきているんだから」
そう言って旅行鞄を指差す。どうやらあの中には着替えなどが入っているらしい。
キャリーバッグの中身としてはごく一般的なものだが、そんなものが入っているとは知らずに驚いてしまった。
「着替えないで旅するつもり? そんな不潔な人とは旅したくないなぁ」
「ちょっと待って。旅って泊まるの?」
「当たり前じゃない。夏を探しに行くんだから」
当然のことのように言われて絶句した。
夏を探す旅というのは宿泊が前提だなんて知らなかった。
「それはまずいでしょ、いくらなんでも」
「なんで?」
「なんでって。理由が多すぎてなにから言えばいいのか分からないくらいなんだけど」
陽花梨さんだって自分が無茶苦茶なことを言っている自覚はあるんだろう。しかし敢えて平然を装って、驚く僕をキョトンと不思議そうな顔をして見ていた。なんとなく腹の立つ表情だ。
「まず親にも外泊するなんて言ってない」
「今から言えばいいじゃない?」
「夏を探しに行くって言うの? 絶対許して貰えないし、捜索願いを出されるよ。そしたら警察が僕たちを探す旅が始まる」
「そんなわけないって。そもそも警察が真面目に捜してくれないと思うし」
「そういう問題?」
「無事に帰れば親も許してくれると思うよ」
事後報告的な楽観主義に呆れてしまう。
そもそも陽花梨さんの両親はこんな荒唐無稽な旅を本当に許したのだろうか。
だいいち僕はあまり他人と長時間一緒にいるのが好きではない。泊まり掛けの旅行なんてもっての外だ。ましてや特に親しくもないクラスメイトの女の子と二人で宿泊なんて気が遠くなる。
もちろん違う部屋に泊まるのだろうけど、そういう問題じゃなかった。
「お金もないし、着替えもないし、泊まるところもない」
「だからそれは今買いに来たんだし、お金は私が払うって言ってるし、泊まるところなんて、それこそいくらでもあるよ」
陽花梨さんは予め予定されていた答弁のように、落ち着いた様子で一つひとつを否定してきた。
理由の問題じゃない。ただひたすらに外泊したくないだけだ。それなのに下手に理由をつけて論理的な反論をしようとするから、いいように陽花梨さんに言いくるめられてしまう。
そう分かっていても単純に嫌だと拒否できない僕は、もっともらしい言い訳を考えてしまっていた。
それにしても陽花梨さんの食い下がり方は異常だ。もしかして自覚していないだけで、僕は誘拐されているのだろうか。そんな疑問さえ頭を過ぎった。