『家族』という繋がり
「あの、すいません」
場の空気を壊したくなかったが、このまま消える術もないので声を掛ける。
三者三様の表情が僕に向けられる。
「僕が、悪いんです。きちんとご両親に連絡を差し上げるべきでした。すいません」
お父さんはどう反応していいのか分からない様子だった。しかしお母さんの方はニマニマと笑い、僕の顔を見てきた。
「鳩羽君、って言うのよね。陽花梨を助けてくれてありがとう」
「助けるだなんて、そんな」
「ここの所長さんからの電話で聞いたわ。心細い陽花梨を支えてここまで来てくれたことも、雨の中を何時間も陽花梨を探してくれたことも。ありがとう」
「いえ。僕なんて陽花梨さんに迷惑ばっかりかけただけですから」
どんな風に伝えてくれたのかは知らないが、ご両親の反応を見る限り悪いようには報告してないみたいで安心する。
でも陽花梨さんは両親を誤解されたくないと焦ったのか、庇うように僕の前に立つ。
「鳩羽君は悪くないの。私が騙して無理矢理連れて来ただけだから。色々と助けてくれたし、本当に感謝してるから」
あまりに真剣な顔をしてそんな説明をしたのがよくなかった。
せっかく笑顔になりかけていたお父さんは、その言葉の先にある娘の感情を読み取ってしまったらしく、表情を険しくしてしまった。
「あらあら。それじゃ鳩羽君にはお礼をしなくちゃねぇ」
一方お母さんは例の『恋の話をするときの女子顔』になって僕をからかった。
言い訳をしようとした瞬間、くしゃみが連発してしまい話は中断となった。僕はそのまま布団に寝かされ、陽花梨さん親子は談話室に移動した。
防音性の低いドアの向こうからは陽花梨さんの笑い声が聞こえてくる。
僕の話もしているのだろうか。気になって耳をそばだてたものの、話の内容までは聞き取れなかった。
でも家族団らんの声を聞いていると、心が穏やかになっていく。
少し微睡みはじめた頃、遠慮がちにノックがあり、「はい」と声を掛けるとおずおずと杏花梨さんが入ってきた。初めて会ったときの険しい表情が思い出せないほど、優しく穏やかな顔をしていた。
「具合、どう?」
「うん。だいぶマシになってきた」
「そう。よかった」
彼女もスウェットとジーンズに着替えていた。ラフな恰好でも様になる。
陽花梨さんの両親が来たことで居場所をなくしてここに来たような気がした。
「で、どうなの? 陽花梨とは」
「えっ?」
「まさかなんの進展もなかったの? せっかく二人きりにしてあげたのに」
平静を装うとしたけれど、近付いてきた陽花梨さんの唇を思い出してしまった。その瞬間、顔が燃えるように熱くなった。それが見た目にも現れてしまったようで、「やるじゃん、鳩羽君」と布団をぱしんと叩かれる。
「あー、でも陽花梨を泣かせたら殺すからね」
「泣かせるわけないから」
「おー。幸せオーラが凄い」
「病人をからかいに来たわけ?」
離れて育っても、やはり二人は似たもの姉妹だ。僕をからかって楽しむ姿はそっくりだった。
「ごめんごめん。お礼を言いに来たんだよ」
「お礼?」
「鳩羽君がいなかったら、絶対に陽花梨と話し合えなかったと思う。本当にありがとう」
杏花梨さんは先ほど陽花梨さんが手持ち無沙汰で弄んでいたリンゴを手に、はにかんだ視線をそこに向けていた。
この姉妹は照れ臭さの誤魔化す為にリンゴを弄ぶ癖があるらしい。
「ちょっとお父さん! マジで信じらんない!」
一際大きな笑い声と共に陽花梨さんの弾んだ幸せそうな声が談話室から聞こえてきた。
「血が繋がってるとか、繋がってないとか、そんなことはどうでもいい。家族はそんなもので繋がっているんじゃない。私はそう思うの」
杏花梨さんはドアの方を振り返って目を細めて笑う。
「ここを出て、陽花梨は新しい家族と出会った。私はここの人達と家族になった。家族って生物学上の言葉じゃない。一つ屋根の下で暮らす人と人との繋がりを表す言葉なんだよ」
「そうだね。きっとそうだよ」
「私みたいな境遇だとさ、血の繋がりみたいな言葉を聞くと反発しちゃうの。家族はそんなもので繋がっているんじゃないって」
家族のかたちなんて一つじゃない。それは壁越しに聞こえてくる陽花梨さん親子の笑い声が証明してくれている。
「だから血の繋がった姉妹も固執することじゃない。そんな片意地を張っていたのかもしれない。可愛くない奴だよね」
「そんなことない。杏花梨さんは、ちゃんと陽花梨さんを愛してくれていた。愛してくれていたからこそ、関係を絶ちたかったんでしょ?」
二人が頻繁に連絡を取っていれば、入れ替わり発覚する恐れも増えてしまう。秘密を守ろうと必死だった幼い杏花梨さんは、陽花梨さんと関係を絶つという思い切った行動に出た。
たとえ今さら陽花梨さんのご両親が入れ替わりに気が付いたところで、取り違えを正すことはないだろう。しかし複雑な思いになることは間違いない。
様々な憂いを絶つため、杏花梨さんはまさに断腸の思いで陽花梨さんを突き放した。そんな悲しい愛もあるのだと知った。
「杏花梨さんもここで家族を作ったんだね」
「そう。ここが私の家で、ここに住んでいる子供たちも、所長の植村さんも、みんな私の家族なの」
杏花梨さんはこんなに素敵な人に育ったんだ。きっと素晴らしい家族に違いない。
急に僕も父さんや母さんに会いたくなった。
当たり前だと思っていた家族というものが、得難くありがたいものだと感じる。
今の気持ちを何か気の利いた言葉に代えて伝えようと考えているうちにドアが開いた。
「あら、ここにいたのね杏花梨ちゃん」
やって来た陽花梨のお母さんは杏花梨さんに優しい笑顔を向ける。
一方杏花梨さんの方はどう対応するか決めかねている、表情を変える途中の顔をしていた。
「こっちに来て一緒にお話ししましょう。陽花梨ったら面白いのよ」
おばさんはその杏花梨さんの態度に気付かなかった訳はないだろうが、知らん振りして手招きをした。
「行ってきなよ。僕はもう少し寝ていたいから」
どうせこの時間では今日中に関東へ帰るのは無理だ。僕は今夜中にこの風邪を治してしまうつもりで布団を被り目を閉じた。
しばらく経った後に、また笑い声がこの部屋まで聞こえてきた。先ほどより一人増えたその賑やかな声に安心してから、僕はもう一度眠りについた。




