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凍える寒さに見つけた夏

「陽花梨さん」


 静かに呼び掛けるとカサカサッと草が揺れる音がした。

 いた。

 すぐそこに陽花梨さんが隠れている。

 僕はそう確信して、慌てて祠に駈け寄った。


「陽花梨さんっ!」


 陽花梨さんは社の軒下で蹲っていた。


「はとばくん……」


 惚けた視線を向けるだけで逃げる素振りはない。でも僕は野ウサギを見付けたときの用心深さでゆっくりと間合いを詰めた。

 多少雨は凌げたようだが、ふんわりしたはずのワンピースはぐっしょりと濡れ、体のラインをくっきりと表していた。


「陽花梨」


 遅れて来た杏花梨さんが声を掛けると、急に怯えた目をしてこちらを見上げた。


「あかりっ!?」

「ほら、帰るよ」


 怒鳴りつけるという宣言はどこへやら、杏花梨さんはちょっと呆れ気味の穏やかな声で手を差し伸べる。

 しかし陽花梨さんは全身で震えるように首を振りはじめた。

 まるで何かに憑かれたような、異様な動きだった。


「違う。私は、陽花梨じゃない」


 震えた声でそう訴えた。

 あまりに突飛な発言すぎて、頭が混乱する。雨に濡れた祠や苔の生したお地蔵さんがなにやら不吉な気配を感じさせた。

 何かに憑かれてしまったのだろうか。

 僕はその時本気でそんなことを考えてしまった。


「陽花梨さん、なに言ってるの?」

「陽花梨っ!! やめなさい!」


 杏花梨さんは突如大声を張り上げ、鬼の形相に変わる。こちらもなにか悪鬼が取り憑いたような形相だった。


「陽花梨じゃない……わたしは、陽花梨じゃないの……」

「君が陽花梨さんじゃないなら、一体誰なの?」


 陽花梨さんは泣き腫らして充血した目をカッと見開いて叫んだ。


「私は陽花梨じゃないの! 杏花梨なの!」

「え……?」

「その証拠を、見せてあげる」


 陽花梨さんはぐっしょり貼り付いたワンピースの裾を勢いよく捲った。

 深緑の薄暗闇の中、真っ白な彼女の肌が浮かぶように映える。動きを止めるはおろか、目を背ける暇すらなかった。


「これを見て」


 世間から見棄てられた祠に宿った神様に祟られたかのような、異様な気配を漂わせていた。


「この内ももに刻まれた火傷の跡が証拠よ」


 そこには丸く痛々しい火傷の跡が刻まれていた。海水浴をした時にも見た、痛々しい陽花梨さんの傷痕だ。

 これがなぜ『杏花梨さん』である証拠なのだろうか。

 見てはいけないという思いと、見なくてはいけないという相反する思いが絡まって、結局視線は釘付けとなった。


「これタバコの火を押し付けられたあと。私が、妹の杏花梨である私が、父親に虐待された痕なの。この火傷痕が証拠となり、私たちは保護されることとなった」


 陽花梨さんは悪い何かに取り憑かれたように、熱の籠もった目をしていた。


「やめてっ! 陽花梨、もうやめて!」


 杏花梨さんが叫ぶ声が辺りの林に響いた。その顔は悲痛に堪えかね、ぐちゃぐちゃに歪んでいる。

 その狼狽える姿を見れば、この話が嘘ではないことは明らかだった。


「まさか……そんな……」


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 瓜二つの双子の姉妹は、どこかのタイミングで入れ替わった。

 それがどのタイミングかは、言うまでもない。

 姉の陽花梨さんが養子として引き取られた、あの日のことなのだろう。


「私じゃない。本当は明るくて、聡明な、本物の『陽花梨』が引き取られるはずだったの」


 陽花梨さんは泣きながら杏花梨さんを見る。

 確かに旅の途中陽花梨さんは言っていた。

『引き取られた先では明るく振る舞わなくてはいけない』と杏花梨さんから言われ、それを実践していたことを。

 母親とさえお風呂に入らなかったということも言っていた。それはこの傷を見られないためだったのだろう。


 しかし今さら二人が逆だといわれても、無理だ。僕にとってクラスメイトで、旅の仲間で、思いを募らせる女の子の名前は陽花梨さんだ。僕はあくまで今まで通り彼女を陽花梨さんと呼ぶ。


「それが杏花梨の証? 笑わせないで、偽者」


 杏花梨さんは声を震わせ、レインコートを脱ぐ。そしてハーフパンツの裾を捲り、僕たちに見せ付けた。


「そんな傷痕、私にだってあるわ!」


 そこには陽花梨さんと同じ火傷の傷があった。陽花梨さんと同じ内ももだ。


「そ、それって、まさか!?」


 正気を逸した様子だった陽花梨さんも、それを見て顔を青ざめさせた。僕も思わず息を飲む。


「杏花梨の振りをするために、まさか自分で傷を作ったの!?」

「違う! これは私が虐待を受けてタバコの火を押し付けられて出来た火傷の痕よ!」


 陽花梨さんの頬を雨ではない雫が流れ落ちていく。

 杏花梨さんは完璧に入れ替わるために自らの内ももに一生消えない疵を作った。

 自分が杏花梨として生きていく、その決意を自らの脚に刻んだのだ。


「ごめん……ごめんなさい、お姉ちゃん……私のために、そんなことまで」


 陽花梨さんはしゃがんだままの姿勢で、這いながら擦り寄り、杏花梨さんの脚に抱きついた。


「なんで、なんでここに来たの?」


 杏花梨さんはその頭を撫でながら、嗚咽を漏らしながら問い掛けた。

 再会した陽花梨さんに酷い言葉をぶつけたのは、憎いからじゃない。入れ替わりの事実を陽花梨さんに漏らされたくないからだった。暴露される前に追い返したかったからに違いない。


「逢いたかったから……お姉ちゃんに会いたかったから……会って謝って、そしてお礼を言いたかったの。私をお父さんとお母さんのところに行かせてくれて、ありがとうって」


 杏花梨さんはその場にしゃがみ、泣きじゃくるその頭を抱き締めた。


「馬鹿。お姉ちゃんはあなたでしょ。それに私、謝られるほど惨めな人生送ってないから」

「うん。ごめん。ごめんなさい」


 瓜二つの二人が、違う生い立ちを経て、心を一つに抱き合っていた。

 ここにいるのは場違いだと思ったけれど、今さらどうしようもない。

 凍える寒さの中、胸は熱くなり、生き別れた姉妹の再会を見守る。

 これはまさに誰も見たことがない夏だろう。

 僕の旅は、ようやくその目的地に辿り着けた。そう実感していた。


 でもまだ、僕の旅は終わりじゃなかった。


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