レインコートで隠れた横顔に探す夏
雨はそんな僕を嘲笑うように勢いを増し、地面が煙るほど跳ね返っていた。
こうしている間にも陽花梨さんはどこかで震えている。寒さに、悲しさに、堪えきれずに震えている。
(こんなところでいじけている場合じゃない)
痛む脚を庇いながら立ち上がる。
別に陽花梨さんは僕を待っているわけじゃない。それは分かっている。
僕が駆け付けたからといって喜ぶこともないだろうし、ましてやそのことが原因で僕に恋をすることもないだろう。
でもそれでいい。見返りがあるから人に優しくするわけじゃないし、頑張るわけじゃない。
大切な人を守りたい。それだけだ。人に優しくするのに理由なんてない。
「ひかりさぁぁーんっ!」
突然の豪雨で誰一人外を歩いていない中、僕は大声を張り上げて呼びかける。
共に旅をして、色んな陽花梨さんを見てきた。
可愛いということ以外は何も知らなかったクラスメイトには、実は色んな悩みがあって、事情があって、苦しみがあった。
そして旅をすることを通じて素敵なところや、愉快なところ、案外優しいところや、案の定イジワルなところを知った。
「おーい! ひかりさぁーん! いたら、返事してぇー!」
鬱蒼とした林の中、雨で視界の効かない田んぼのあぜ道、僕は声を張り上げて陽花梨さんを呼ぶ。
簡単に言ってしまえば、僕は陽花梨さんに恋をした。
僕は彼女が目したとおり、恋に疎く、距離を置いて生きてきた。
でも人に恋をするというのは驚くほど簡単で、気がつけば自然と僕の心の中は陽花梨さんで埋め尽くされてしまっていた。
あっさりと恋に落ちてしまう僕は、結局陽花梨さんの望むような旅の仲間ではなかったということだろう。
プールに落ちたみたいに僕の服はずぶ濡れだった。せっかく借りた地図も無茶苦茶にしてしまったし、スマホも生活防水レベルの限界を超えてしまっているかもしれない。
それほど広い町ではないけれど、かくれんぼをするエリアとしては広すぎた。
雨は少し弱まってきたが、まだまだ止みそうにない。
つい数時間前まで茹だるほどの暑さに苛まれていたのに、今は寒さで震えていた。
真夏なのに寒さに震える。これはなかなか誰も見たことのない夏なのかもしれない。
もう二時間近くこうして雨の中を彷徨っている。もはや気力だけで足を前へと進めていた。
怪我をした脚が痛み、お地蔵さんのある木陰に蹲る。
気力さえ尽きかけていた、その時だった。
「そんなに必死になって、馬鹿みたい」
冷めた声をかけられ、顔を上げる。
「陽花梨さん……」
そこにはレインコートをすっぽりと被った陽花梨さんが傘を持って立っていた。
「はあ? 私は杏花梨」
呆れながらそう言うとレインコートのフードを脱ぐ。
明るい栗色の髪は確かに杏花梨さんのものだった。
「ごめん」
「ったく。好きな女の顔も分かんないわけ?」
「す、好きな女って」
「あー。面倒くさいんで誤魔化さなくていいから。ただのクラスメイトを雨の中何時間も傘も差さずに探し回る馬鹿はいないでしょ」
杏花梨さんは傘を開いて僕に渡してくれた。
「まあ今さらだと思うけど」
「ありがとう」
立ち上がりながらそれを受け取る。
「本当に馬鹿だよね、あんたも、陽花梨も」
相変わらず口は悪いが、その顔は姉を慮る表情だったので余計な言葉は喉で止めて腹に戻した。
「陽花梨さんが行きそうなところは知ってる?」
「多分あそこ」
指で示したのは鬱蒼と木々の生い茂る小高い丘の中腹だった。
説明は歩きながらというように杏花梨さんは歩き始める。
「あそこには結構大きめの祠があるの」
「祠って、神様を祀っている、お地蔵さんが入っている小屋みたいなものだよね?」
「そう。結構大きくてね。子供二人くらいならその軒下で秘密基地を作れるくらいの広さはある。そこでよく私たちが遊んでいたの」
レインコートに覆われたその表情は横からでは伺えない。
でも声色からして過去を懐かしがっているのは伝わってきた。
「この辺りも昔は栄えていたみたい。漁港があって、人もそれなりに住んで。だからお寺とか神社とか、そういうのもそれなりにあった。でも人がどんどん減っていき、祀られている神様がそれを参る人の数と釣り合いが取れなくなってきたみたいで。その祠みたいに放置されているものがあるの」
坂道に差し掛かり、痛めた足がズキンと響く。でも弱音は吐かない。
「なるほど。それを見つけた二人が遊び場にしていたんだね」
「陽花梨が行きそうなところといえばあそこだと思う。っていってもいなくても恨まないでよね」
「まさか。恨むわけないよ。ありがとう」
闇雲に探しても見付かるはずない場所を教えて貰い、素直に感謝した。そんな僕を振り返り、すぐにばつが悪そうに視線を逸らした。
「なんなの?」
「へ?」
「私は陽花梨に散々酷いこと言ったんだよ。それにあんたにも。それなのになんでそんな簡単にありがとうなんて言えるわけ?」
怒ってるのか、戸惑っているのか、よく分からないテンションだった。
「そりゃ、まあ。二人の間には僕には分からない色んなことがあるんだろうし。僕は罵られたというか、普通に駄目なやつだから」
「はあ? もしかしてドM?」
「ち、違うし!」
「駄目な奴なんかじゃないでしょ。こんな雨の中、何時間も陽花梨を探してくれてるんだから。相当な根性だと思うよ」
舗装された道は終わり、踏み固められたような獣道に差し掛かった。
鬱蒼とした木々に覆われているため、傘はいらないので閉じる。
子供なら難なく歩くのかもしれないが、草が足に絡まって歩きづらい道だった。
雨はかなり小降りになっていたが、林の中は激しい雨音がこだましていた。
木々の葉に溜まった雫が落ちる音らしく、大粒の滴が無数に注ぐ雨音がする。しかし実際には木の枝から枝へと落ちているだけなので雨粒は降ってこない。
音と状況が一致せず、不思議な感覚へと陥った。
「もうすぐだから」
杏花梨さんは僕の膝の傷を気遣うように声を掛けてくれた。
「分かった。ありがとう」
「陽花梨の奴、こんなに迷惑かけて。絶対怒鳴りつけてやるんだから」
「やめてよ。それよりむしろ許してあげて欲しい」
その願いは聞こえなかったかのように流されてしまった。
足許が悪い斜面を登ること十分程度。目の前に祠が見えてきた。
辺りの景色と溶け込むように苔生し、風化した、古びたものだった。




