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動物園で探す夏

 はっきり言ってしまえば僕は姫川さんのことをほとんど知らない。

 クラスメイトとはいえ喋ったことは数回だし、その数回も何を話したか思い出せないレベルのものだ。


 黒目がちな目と笑うと出来るえくぼが特徴的な美人。

 その割に気取らない明るい性格だからクラスの女子の中心人物。

 だけど男子とはあまり喋っているところを見ない。

 頭もよく、期末テストも学年指折りの成績。

 それが僕が知っている姫川さんの情報の全てだ。


 簡単に言えば絵に描いたように煌びやかなクラスメイトという印象で、僕のようなこれといった取り柄のない人間とは縁のない世界の人間だと思っていた。

 何故そんな人と僕は一緒に東京に向かっているのだろう。冷静に考えればあり得ない状況だ。

 

 僕のそんな困惑をよそに姫川さんは平然とした様子で、やって来た車掌さんから乗車券と特急券を購入した。驚くべきことに僕の分まで。


「ごめんね。電車下りたらお金下ろして払うから」

「いいのいいの。この旅のためにお金貯めてきたんだから」

「でもそれは姫川さんのお金だよ。僕の分は僕が払うから」

「ううん。二人分のお金を貯めてきたの。心配しないで」

「二人分?」


 不思議な物言いに首を傾げた。もともと一緒にに行く誰かがいて、その人のお金も貯めていたということなのだろうか。

 そしてその人が行けなくなり、僕がその代わりになった。そういうことなのだろうか。

 だとしても僕なんかでよかったのだろうか。たまたま道で会っただけの付き合いもないただのクラスメイトなのに。

 夏を探す旅というのは思い付きなんかではなく、ずっと前からお金を貯めてまで計画するものだったのだろうか。

 そんな疑問を問い掛けるより先に姫川さんが口を開いた。


「それよりこれから先は『姫川さん』じゃなくて陽花梨ひかりって呼んでね」

「え? なんで?」

「なんでって。一緒に旅するんだよ。普通じゃない?」


 どういう原理でそれが『普通』なのか、よく分からない。でも彼女の中ではそれが『普通』らしかった。


「私も鳩羽君じゃなくて三七十みなと君って呼ぼうかな」

「い、いいよ。鳩羽で」


 鳩羽三七十。どちらも船舶が停泊するような、冗談のような名前だ。遊び心のある親というのも一長一短である。


「じゃあ練習ね。はい。陽花梨ちゃんって言ってみて」

「ひ、陽花梨ちゃ、さん……」


 口に出して言ってみても、やはり馴染まない。しかし彼女は嬉しそうに大きく頷いて「うん、六十点」と微妙な点数をつけてきた。何点が合格なのかは知らないが、やり直しはさせられなかった。


「『誰も見たことのない夏』って言ってたけれど東京なんて人が沢山いるんだから、ほとんどのものを色んな人が見ちゃってるんじゃない?」


 照れ臭い展開に堪えかねて、話題を旅行のことに変える。


「同じ景色でも見る人によって違って見えるでしょ。誰と見るかでも変わるし、どんな気分かでも変わってくる。だから場所がどこかとか、そういうのは関係ないの」

「ふぅん」


 曖昧に頷いたけれど、陽花梨さんが何を言っているのかはさっぱり分からなかった。

 生返事で答えたことを察したのか、陽花梨さんは何にも言わずに窓の外の景色に視点を転じてしまった。


 夏を探す旅とは一体何なのか。一人で五分ほど考えてみたがやはりよく分からない。

 東京に着いたら何をするつもりなのかも気になった。

 お金をいくら下ろせばいいのか確認する意味でも今後の予定を訊いておこう。そう思ったとき、僕の肩に陽花梨さんの頭が寄り掛かってきた。


「え?」


 いきなりの急展開に驚いたが、これはもちろん甘酸っぱい何かのはじまりの合図なんかではなかった。僕に寄り掛かる陽花梨さんは、油断しきった顔で目を閉じ、寝息を立てていた。


「なんだ。寝てるのか」


 起こしてしまうのも申し訳ない気がして、しばらく僕の肩を宿り木にさせておいた。

 長い艶やかな髪からは、南国を思わせるような甘いフルーツの香りがした。これも夏を感じさせる一つ、なのだろうか。誰も嗅いだことのない香りなのかは知らないけれど。


 間もなく上野というアナウンスと共に陽花梨さんが目を醒ます。


「んあ……ごめん。寝てた」


 陽花梨さんは口許を拭いながら、時計を見るような目で窓の外を確認する。

 紫外線をカットしている窓ガラス越しに見るの景色は、少し曇ってて涼しげに見えた。


「まずはどこに行くつもりなの?」


 高架を走る車窓から、下町の風景を眼下に望みながら問い掛けた。僕たちの街と違い、少ない土地を惜しむように家やビルが密集している。


「まずは上野の動物園ね」

「動物園?」


 意外なチョイスに感じたが、お洒落な店に連れて行かれるよりは気が楽だ。

 動物園の情報でも調べるのか、陽花梨さんはスマートフォンを取り出す。

 一緒に見ようと身を乗り出すと「見ないでよ、えっち」と睨まれてしまった。未だに僕は陽花梨さんのキャラを掴みきれずにいた。


 駅を降りると東京の酷暑が挨拶代わりの熱気を浴びせてくる。

 大勢の行き交う人の体温、アスファルトの輻射熱、車の排ガス、エアコンの室外機から放出される熱風、そよぐ程度にすら吹かない風。

 熱は逃げ場所をなくしたように、澱んで溜まっていた。


「暑っついねぇ」


 鞄を引きながら、陽花梨さんは上手に人混みを掻き分けて進んでいく。僕は置いてかれないようにそのあとを追っていた。

 ほとんどの学校では夏休み初日だからか、動物園口の改札は沢山の人で賑わっていた。

 人の流れに押されるように歩き、動物園まで辿り着く。さすがにここは僕が二人分の入園料を払った。


「ありがとう。でもお金は大丈夫だからね」

「あとで電車料金も返すから」

「そんなのいいのに」


 入園してすぐにやたらと混んでるパンダの列に並んだ。けれど散々長い時間並ばされた割に、パンダが見られたのは僅かな時間だった。国王に謁見させて頂いた平民といったところだ。

 そのあとは人も散らばっており、僕らは順路に従い園内を回る。真夏の灼熱はやはりあまり動物観賞には向いていない。


「ねえねえ、見て! ライオン、凄く暑そう。夏バテかな?」


 心配そうな顔をした陽花梨さんに指差されたライオンは、確かにぐったりしているように見えた。


「ライオンって暑いところに住んでるんでしょ? 暑さに強いんじゃないの? 日本の夏は湿気が多いから辛いのかな」


 陽花梨さんは心配そうに眺め、ライオンの気を惹こうと手を振っていた。でもライオンはまるで見えてないように無視を決め込んでいた。


「うーん。どうだろう? それもあるかもしれないけれど、一年中あんな感じなのかもしれないよ。ライオンって一日のうち二十時間くらい寝そべって過ごしてるらしいから」

「嘘!? 二十時間ってほぼ一日中じゃない! それは怠け者だね」


 陽花梨さんは先ほどまでの同情の色を消して、批難がましくライオンを冷眼に見る。根本的な生態なのに見下されるのも理不尽な話だ。


 「ちなみに」といって道の反対側にあるキリン舎を指差す。


「キリンは真逆でほとんど座らない。睡眠も立ってすることが多くて、熟睡するのは一日で数分程度らしいよ」


 そんな豆知識を付け足してみると陽花梨さんは大きな目を僕に向けて固まっていた。


「え? どうしたの?」


 まさかキリンの生態が気に触ったのだろうか。

 未だにその性格を掴み切れていない陽花梨さんの生態の方が僕には脅威だった。


「やっぱり私の目に狂いはなかった。鳩羽君をこの旅のお供に連れて来て正解だったよ」

「え?」


 陽花梨さんは大きく頷きながら、想定外の言葉を告げてくる。夏を探す旅とキリンに何か関連性があるのだろうか。


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