夕立に濡れながら探す夏
小学校の脇を通り、小川を超え、鬱蒼とした木々に囲まれた坂を上り、ようやく駅に着いた頃には、シャツは絞れそうなほどぐっしょりと重たくなっていた。
「陽花梨さん。大丈夫?」
声を掛けながら駅舎に入る。しかしそこには年老いた夫婦が一組いるだけで陽花梨さんの姿はなかった。
まさか僕を置いて帰ってしまったのかと時刻表を見たが、一番最近出た電車でも三十分前だ。時間的にその電車に乗れるわけがない。
「あの、すいません」
ご夫婦に声を掛けると、気のよさそうなおばあさんが「なにかしら?」と僕を見あげた。
「ここに女の子は来ませんでしたか?」
「女の子?」
「僕と同じくらいの年頃の、髪が長くて、可愛らしい子です」
二人は顔を見合わせて首を傾げる。
「私たちはだいぶ前からここにいるけど、そういう子は見なかったねぇ。ごめんね」
「いえ」
陽花梨さんは駅に来ていなかった。まさか僕が途中で追い抜いたとも思えないし、陽花梨さんが迷子になったとも思えない。
(どこに行ったんだろう)
五分ほどその場で待ってみたが、来る気配はまるでなかった。
先ほどの杏花梨さんの反応を見て、相当傷付いているのは間違いない。
やけに胸騒ぎがした。何もせずに待っているだけの時間はチリチリと焼ける焦燥感を感じた。
僕は陽花梨さんを守る。そう約束したし、自分でも決意した。
陽花梨さんはすぐにからかってくるし、自分勝手だし、失礼なこと言ってくるし、僕に恋愛感情を抱くことはないとまで平気で言い切る無神経な女の子だ。
でも放っておけない。
僕はどうしても陽花梨さんを放っておけなかった。
またキャリーバッグを引っ張りながら来た道を戻っていく。
どこかで転んで怪我しているかもしれないし、熱中症で倒れているかもしれない。
もしくは悲しくて泣きじゃくって蹲っているかもしれない。
最悪のことは想定しないように、辺りを見渡しながら施設へと戻る。
しかし結局陽花梨さんを見つけ出せないまま、また施設まで戻ってきてしまった。
(もしかしたら陽花梨さんは施設に引き返してきたのかもしれない)
都合よく解釈した僕は「失礼します」と断ってから敷地内へと入る。
玄関から声を掛けると先ほどの植村さんが電話で誰かと話している姿が見えた。
僕の姿を確認すると「ちょっと待ってて」と手でジェスチャーをして会話を纏めて電話を切ってくれた。
「陽花梨ちゃんは? 見つかった?」
首を振って答えると、植村さんの顔から微かに灯っていた笑顔が消えた。
植村さんもこの周辺を探したけれど見付からなかったらしい。
駅にもいない、この周辺にもいない。陽花梨さんは一体どこへ消えてしまったのだろうか。
「僕もう一度探してきます」
「ちょっと待ってて。上がって麦茶だけでも飲んでいって。熱中症で倒れたら元も子もないから。それに地図があったはず」
一刻も早く探しに行きたかったが、確かに地図はありがたい。
言われるままに上がると、遊戯室のような部屋に通された。
「あっ……」
そこにはたくさんの子供に囲まれた杏花梨さんがいた。
子供たちはみんな杏花梨さんが大好きなようで、みんな奪い合うように彼女にじゃれついていた。まだ僕に気付いていない杏花梨さんは、先ほどの険しさが嘘のように笑いながら子供たちと遊んでいた。
でもその笑顔は時おり陽花梨さんが見せる嘘笑いのように、テンションだけで心ここにあらずの笑い顔だった。
着ているのは中学の時の運動着らしく、ハーフパンツにTシャツは色褪せていて、サイズ感もやや合っていない。
「先ほどは、どうも」
声を掛けるとようやく気付いたのか、杏花梨さんは息を飲んだあと険しい目に変わった。
僕は鈍感な馬鹿を演じることに決めてその前に座る。
杏花梨さんは剥き出しになった脚を見られまいと思ったのか、慌ててタオルケットで脚を隠した。
「どこ見てんだよ、すけべ!」
「ご、ごめん。見てないから」
言葉遣いも表情も陽花梨さんとは似ていない。
それでもやはり二人はそっくりだった。
「まだ帰ってなかったのかよ?」
キツい口調は慣れていないのか、そのセリフはやや抑揚がおかしい。普段はきっとこんな喋り方をする人ではないのだろう。
子供たちは状況を理解してはいないのだろうけれど、杏花梨さんの態度から見て僕を『敵』だと認識している様子だった。
杏花梨さんの視線より子供たちの刺すような瞳の方が痛く感じた。
「陽花梨さんがいなくなったんだ」
「ふぅん。あっそ」
動揺もなければ、喜んでいる様子もない。自分とは無関係のことといったリアクションだった。
「今から探しに行くんだけれど、陽花梨さんが行きそうな場所って知りませんか?」
「放っておけば?」
杏花梨さんは近くにあったおもちゃを一つ手にとって、つまらなさそうに弄ぶ。
「あの子はいっつもそう。そうやって人の気を惹けば構って貰えるって思ってるの。しっかし、まだそんなことしてるんだ。三つ子の魂百までだねぇ」
「ねー?」と近くにいた未就学児らしい女の子に同意を求める。
僕と目を合わす気はないようだった。
女の子は訳もわからずに「ねー?」と笑いながら同調していた。
お茶を一杯頂いたあと、地図を片手に外に出る。早く見つけないと大変なことになる気がした。
念のためと前置きを着けてこの付近の断崖のある場所も確認した。
真っ先にその崖に行ったが、人気はなく、崖の下を覗き込んでも波が岩を洗うだけで人の浮かんでいる気配はなかった。
(どこに行っちゃったんだよ、陽花梨さん)
いつの間にか雲が空一面を覆っていた。
陽が照らないのはありがたいが、天候が持ってくれる気配はゼロだった。
断崖から彼女が通っていた小学校へ向かっている最中、遂に雨は降り出す。
ぽつんぽつんと顔に滴がかかってから程なく雨は本降りに変わる。
遠くで雷鳴が轟いていた。
陽花梨さんは濡れない場所にいるのだろうか?
雷が極端に嫌いとかないだろうか?
そんな心配ばかりが浮かび上がる。
雨宿りをしている暇はなかった。
なるべく木陰を通って雨を凌いでいたが、雨脚はどんどん強くなっていく。
ジーンズというのはどんな服装でも無難に着こなせる万能アイテムだけれど、雨の日には向かない。
「うわっ!?」
肌に張り付いたデニム地が走りづらいことこの上なく、脚がもつれて転倒してしまった。
がむしゃらに走っていたから受け身も取れず、ジーンズが破れて膝を擦りむく。せっかく古着屋で買ったアバクロンビーのTシャツも泥塗れだ。
立ち上がろうとして脚に激痛が走りまた蹌踉けてしまう。
「くそっ!」
こんな時でもヘマをする自分が情けなくて、地面を殴る。




