地図で指をさせない村を眺めて探す夏
次の僕たちの目的地は決まった。陽花梨さんと杏花梨さんが一年程度の期間、肩を寄せ合って暮らした施設。そこがきっとこの旅の終着点になる。そう思うと不意にうっすらとした寂寞の思いが湧いてきた。
もっと二人で旅を続けていたいと思う自分がいて驚いた。でも陽花梨さんのために旅を終わらせたいという気持ちも強かった。
陽花梨さん姉妹が暮らしていた施設は日本海側となる。
神戸は瀬戸内海側に面しているから、ちょうど真裏だ。一気に兵庫県を縦断しなくてはならない。
ターミナル駅である三宮から日本海側へと向かって走る特急に乗り込む。帰省時期なので車内はそこそこの乗車率だった。
「ねえ、本当に行くつもりなの?」
特急電車に乗ってから陽花梨さんは落ち着かない様子だった。
視線はうろうろと彷徨い落ち着きがなく、缶ジュースを持つ手も時おり少し震えていた。あの無鉄砲な陽花梨さんとは思えない。
さすがにその手を握って落ち着ける程の度胸も厚かましさもない。それに共に旅をしているとはいえ、僕はただのクラスメイトだ。そんな暴挙に出たらこれまで築いてきた信頼関係まで壊してしまいそうで怖かった。
でもそんな風に支える立場になりたいという想いも、芽生えていた。
「大丈夫。取り敢えず僕が一人で施設まで行ってみるから。そこにもし杏花梨さんがいたら、陽花梨さん連絡するから。それまで駅で待っててもらったらいい」
僕の作戦を聞くと、陽花梨さんはなるほどと頷く。
「見た目は双子だからすぐ分かるだろうし、もしいなかったらそれとなく情報を聞き出してみる」
「大丈夫? そんなにうまいこといくかな?」
「どうかな? とにかく頑張ってみるよ」
頼りないことこの上ない僕だけれど、陽花梨さんは望みを託すように頷いた。それだけで頑張ってみようと勇気が湧いてくる。
施設の場所や内部の構造を紙に書いて教えて貰う。当然だけれど、部外者は容易に入れないらしい。
変な小細工はやめて杏花梨さんの昔の友達だと称して会いに行くことに決めた。
夏休みの間おばあちゃんちに行くんだと騒いでいる子供たちを見て、陽花梨さんは微笑んでいた。
「ああいうのも、夏の風景だね」
「うん。鳩羽君も帰省とかしていたの?」
何気なく聞かれ、僕は自分の無神経さに気付いた。幼い頃に親と引き離された陽花梨さんは、そんな経験をしていないのだろう。そんな気まずさが表情にも出てしまっていたらしい。
「そんな顔しないで。どうせ私には帰る故郷がないのに余計な話しちゃったな-、とか思ってるんでしょ? そういう腫れ物に触るようなリアクション、一番嫌なの」
「ごめん」
「私は可哀相な子なんかじゃないよ。もしかしたら勘違いしているかもしれないけれど、お父さんとも、お母さんともすごく仲がいいの」
スマホを操作して家族で遊びに行った写真を僕に見せてくる。河原でバーベキューをしていたり、ボーリング場でハイタッチをしていたり、父娘でデュエットしていたりと、確かにそれは仲睦まじい家族の写真だった。血の繋がりなどなくても、もっと大切なもので繋がっている。それがその写真から伝わってきた。
「素敵な写真だね」
「でしょ? 私可愛くない?」
「いや、そういう意味じゃないけど」
それも事実だったけれどサラッと否定する。この二日で僕もだいぶ陽花梨さんの扱いに慣れてきた。
「仕方ないなぁ。じゃあとっておきのやつね。ほらこれ、中学の時に友達と撮った浴衣のやつ」
もはや仲良し家族の写真でもない自慢の一枚を見せてくる。あじさい柄の浴衣は普段の陽花梨さんより少し大人っぽく見え、ドキッとしてしまう。
でもここで可愛いと認めてしまったら負けのような気がした。
「本当だ。可愛いね、このお友達」
「へぇ。鳩羽君ってこういうタイプが好きなんだ。確かに可愛いもんね。じゃあ言っといてあげる」
ツンと拗ねた演技も陽花梨さんらしい。
「優しい両親で陽花梨さんも幸せだね」
「まあ、たまにお母さんと喧嘩しちゃうけど。でも仲良しで幸せだよ」
そんな仲がよくて大切な両親に心配をかけている。陽花梨さんも苦しんでいるのだろう。微かに歪めた眉を見てそう察した。
それでもいま妹さんを探さなくては本当にて遅れになる。そう思って今回の旅に出たのだろう。
会話が途切れ、僕は窓の外に目をやる。いつの間にか電車は濃い緑に囲まれたところを走っていた。
窓の外には名前も知らない小さな町があって、そこに営む人達の姿があった。
不意になんでもないその景色が、なぜだか堪らなく愛しく思えた。
その瞬間トンネルに入り、その景色は名残惜しむ暇もなく一瞬で消えてしまう。
窓は黒一色になり、反射する陽花梨さんの顔が映り込んでいた。
反射越しに目が合うと、陽花梨さんは窓に映る僕に手を振ってきた。
「なんか不思議だね」と僕が言う。
「なにが?」と彼女が訊いた。
僕たちは窓越しに目を見て話しあった。
「たまたま道で会っただけなのにこうして旅をしてるなんて、不思議じゃない」
もう遠い過去のことにさえ思える二日前のことを思い出す。
「なぁんだ」
窓際に座る陽花梨さんはくるりと振り返り、直接僕を見る。
「まだたまたま出会しただけって思ってたの?」
「え? 違うの?」
「そんなわけないでしょ。あの日、私はあの場所で鳩羽君が来るのを待ってたんだよ」
「えっ……」
あまりにも意外な事実に、僕は言葉を失ってしまった。
訳が分からず、訊きたいことが洪水のように溢れ、何から口にしていいのか分からなくなる。
「どうして僕があそこに来るって分かったの?」
「逆に訊くけど鳩羽君はどうしてあの場所にいたの?」
「どうしてって。することもないし、いつもの週末と同じように図書館で……って、え? まさか、僕が図書館に頻繁に行くって知ってたの?」
驚くのが嬉しいのか、調子に乗った様子の陽花梨さんは素人探偵のようににやりと笑って頷いた。
なぜ陽花梨さんは僕の行動パターンを知っているのだろうか。彼女が読書家で、よく図書館で見掛けていたというなら納得もいく。
でも陽花梨さんを図書館で見掛けたことはおろか、学校で本を読んでいるところすら見たことがない。
となれば、あと思い付く可能性は──
「言っておくけど尾行されていたとか自意識過剰な発想しないでよね」
「じ、自意識過剰かな? だってそれ以外想像つかないんだけれど」
「よくミステリー小説読んでいる割には想像力が乏しいんだねー。この謎が君に解けるかな?」
挑発するようにふっふっふっと笑う陽花梨さん。名探偵のつもりみたいだが、小悪党の犯人という雰囲気がある。
「ほれほれ。よぉーく考えてよ?」
トンボを捕まえるように人差し指を僕の目の前でくるくると回してきた。僕は思わずその軌道を目で追ってしまっていた。




