洋食店で探す夏2
しかし陽花梨さんは食事を楽しむ気分ではなかったらしく、義務的に半分ほど口に運んで、ナイフとフォークを置いた。
やはり妹さんの安否が気になるのだろう。
「きっと杏花梨さんもどこかで元気に暮らしているよ」
「うん……」
つまらない慰めしか言えない自分が情けなかった。どこかで元気に暮らしているのは当たり前だ。どこでどんな風に元気なのか、それを陽花梨さんは気にしている。
「お前ら杏花梨を探してるの?」
「いや。僕たちは夏を探している。誰も見たことのない、夏を」
「なにそれ?」
翔太君は水を煽りながら笑った。
確かに僕もなんのことだか理解はしていない。でも夏はきっと見つかる。そう感じていた。
「夏なんて、探してない」
ポツリと陽花梨さんが呟いた。まるでオムライスに話し掛けているかのように、視線は斜め下に向いていた。
「え?」
「鳩羽君、ごめんね。嘘をついて」
「いや、別にいいけど。でもなんで夏を探す旅なんて嘘を?」
「だって妹を探すために関西まで行こうって言われたら断るでしょ?」
「まあ、そりゃそうかもしれないけど」
今日のここまでの流れで、僕もそれくらい分かっていた。彼女が探しているのは夏ではない。妹さんだ。
分かっていたつもりだったのに、陽花梨さんの口からはっきりとそう聞かされると裏切られたように心がチクリと痛んだ。
「そっか。陽花梨でも杏花梨がどこにいるのか、知らないんだ」
翔太君はこれまでのふざけた態度を消して、難しい顔をして呟く。不安げな表情をした陽花梨さんは翔太君の目を見て頷いた。
その様子を見て、僕の胸はまた不穏にざわついた。いい加減その黒い感情を認めてしまおう。
僕は成り行きで付き合わされているだけで、彼氏はおろか友達なのかも怪しい存在だ。それなのに図々しくも翔太君に嫉妬めいたものを覚えてしまっている。
「そのお前ら姉妹がいた施設とやらには連絡したのかよ?」
「ううん」
「なんでだよ。それが一番手っ取り早いだろ」
翔太君の意見に乗っかるように僕も「そうだよ。まずは施設に連絡してみないと」と付け加えた。
「それは出来ないの。杏花梨と約束したから」
「約束?」
「うん。あの施設に連絡しないって杏花梨と約束したの」
陽花梨さんは治っていない傷口に触れたように顔を歪めたあと、強がるように笑った。
「え? 施設を出てから一度も連絡を取ってないの?」
驚いて訊くと、陽花梨さんはコクンと頷いた。
「杏花梨がね、そう言ったの。『いつまでも私たちが寂しそうに連絡を取っていたら、新しいお父さんお母さんに嫌われるから』って」
「まさか。そんなことないだろ?」
「うん。お父さんもお母さんも杏花梨に連絡しないの? してもいいんだよ? って何度も言ってくれた。でも私は絶対にしなかった。これは試されているんだ、本当にしたら絶対に嫌われるって、そう疑っちゃったの」
幼い頃の自分に呆れたように笑っている。でも声はところどころ震えていた。
実の父に折檻された恐怖も、恐らく関係しているのだろう。幼くして人の顔色を窺う癖がついてしまったに違いない。不安そうに作り笑顔を浮かべる九歳の陽花梨さんを思い、胸が痛んだ。
「私があまりにも拒むからか、お父さんもお母さんも次第にそのことについてなにも言わなくなった。試験は合格したんだって、ホッとしたことを今でも覚えている。なんの試験だよって話だよね」
冗談でも言ったつもりなのか、陽花梨さんはバラエティー番組の付け足された笑いに似た声を上げて、僕と翔太君を交互に見た。もちろん僕も翔太君も笑わなかった。
「もういいだろ? 連絡してみろよ」
翔太君の言葉に陽花梨さんはゆるゆると首を横に振った。
「もうあそこに杏花梨はいないの。だってあそこにいられるのは、中学生までなの。だったらそれまでに連絡するよね、普通。私って本当に馬鹿で卑怯で自分勝手」
その一言に返す言葉を、僕も翔太君も知らなかった。「施設に訊けば今いるところを教えてくれる」とか「まだ施設にいるかもしれない」とか、そういう言葉が不適切なことだけは分かっていた。
恐らく陽花梨さんは妹さんを見殺しにしたという罪の意識に苛まれている。
「取り返しがつかないところまで来てしまって、ようやく私は気付いたの。このままじゃ嫌だって。妹と、杏花梨と逢いたいって」
今まで見てきた陽花梨さんと同じ陽花梨さんなのに、ずっと遠くにいるように見えた。どんな声を出せば彼女まで届くのか、僕には見当もつかなかった。
凍った空気に閉じ込められた僕を助けるように、スマホが震えた。
ディスプレイには午前中に登録したばかりの西村さんの名前が表示されていた。
新幹線で陽花梨さんの言葉に涙したあのおばあさんなら、今の陽花梨さんにどんな言葉をかけてくれるのだろう。
助けを求めるように受信を押した。
「はい」
応答しながら席を立つ。
「あ、鳩羽君? 何時くらいにこっちに来られそう?」
「え?」
「嫌だわ。もう忘れたの? 神戸にいる間に遊びに来てくれる約束でしょ?」
西村さんはお嬢様がそのまま歳を重ねたような、コロコロとした声で笑った。
「今から、ですか?」
「そうよ。ホテルとか予約してないって言ってたでしょ? うちに泊まりに来なさい」
「そ、そんなわけにはいきませんよ」
「あら? 私の家に泊まるのは何か都合が悪いのかしら?」
西村さんの冷やかす口調が何を意味するのか理解して顔が熱くなる。
「そういうわけではないですけど。今日知り合った人の家に今日泊まりにいくなんて、さすがに厚かましいですから」
「若い人がそんな遠慮するもんじゃないわ。それに」
一秒足らずの間を開けて、西村さんの声はツートーン下がった。
「陽花梨ちゃん、元気にしてるかしら?」
「え?」
見透かした言葉に心臓がばくんっと震えた。
動揺する僕まで見えているように、西村さんは受話器の向こうで笑っていた。先ほどの女学生の声とは違い、優しいおばあちゃんの声で笑っていた。
恐縮しながらも僕は西村さんのお宅へお邪魔する話を纏めさせてもらった。
悔しいけれど今の僕では陽花梨さんの心に届く言葉はかけられそうにない。でも西村さんなら今の陽花梨さんに必要な言葉を知っている。そんな気がした。
席に戻ると二人はこの辺りがどのように変わったのかという無難な話で盛り上がっていた。
取り敢えず会話の流れだけでも変えられた翔太君が、なんだか羨ましかった。
「へぇ、じゃあもうあの駄菓子屋もなくなったんだ」
「ああ。ま、別にあっても行かないんだろうけど、なんか凹むよな。想い出の場所がまた一つ消えた的な感じで」
僕が椅子に座ると二人は「誰からの電話だった?」という視線を向けてきた。
「新幹線で出逢ったおばあちゃん、西村さんが泊まりにおいでって」
「え? いいの? やった!」
途端に陽花梨さんは目を輝かせる。僕の予想通り、あの人は陽花梨さんを笑顔にする力があるみたいだった。




