洋食店で探す夏
「この辺りにそういう名前の人は住んでませんでしょうか?」
僕が何者なのか見極める鋭い眼差しだった。何も答えないのが何かを知っている証だ。逸る気持ちを抑えながら落ち着いた声で訊ねる。
「十年ほど前、そこに双子の姉妹がいたんです」
「知ってるよ。陽花梨と、杏花梨だろ?」
「知ってるんですか!」
「ああ。幼馴染みだからな」
遂に知っている人を見つけた。それも彼女はいないと言っていた幼馴染みだ。陽花梨さんの喜ぶ顔が脳裏に浮かんだ。
「てか、お前は誰?」
「あ、僕は陽花梨さんの同級生で──」
「え? まじ? 同級生!? あいつらのこと、知ってんの?」
僕が知っているのは陽花梨さんだけで、杏花梨さんのことは今朝新幹線に乗る前まで知らなかった。しかしそれを説明する暇は与えてくれなかった。
「懐かし-。あいつら元気なのかよ?」
「はい。元気です。一緒に近くまで来てます」
「マジかよ! 会いてぇ! ちょっと呼べよ!」
いきなりばしんと背中を叩かれ、蹌踉めいた。別に悪気はなく、ただ喜んでいるだけなのだろう。ただちょっと僕とはその表現方法が違うだけだ。
電話をするとすぐに陽花梨さんは応答した。
「今どこにいる?」
「さっきのとこから鳩羽君が歩いていった方の反対側。私もしらみつぶしに探しているけど、駄目。全然見つからない」
もういいと言っていたけれど諦めずに探してくれていた。それを聞いて更に嬉しくなった。
「いま陽花梨さんの幼馴染みを見つけたよ」
「えっ、嘘? 誰だれ!?」
「えっと、名前は?」
金髪君に訊ねると「翔太」と教えてくれた。
「翔太君って言うんだけど」
「翔太君? あー。あの目つきが悪くて大人しい子か」
「え? そう、なのかな?」
目つきが悪いのは当たっているが、どう見ても物静かなタイプには見えない。しかし電話口で説明するのも面倒なのでとにかく一度合流しようということで電話を切った。
翔太君は先ほどまでの険しさがなくなって、ずっと笑っていた。アクセサリーをジャラジャラつけていることや、髪色が明るすぎるので気付かなかったが、笑っていると大人しかったころの面影もあるような気もした。
「陽花梨って彼氏とかいるの?」
そんなことを訊いてくるところを見ると、少なくとも僕はそういった関係に見えないのだろう。少しムッとしてしまった。
「さあ? 多分いないと思うけど」
「マジで? テンション上がる。実は俺、陽花梨が初恋の相手なんだよ」
「へえ。そうなんだ」
突然のカミングアウトに脈が若干乱れる。
陽花梨さんの男性の趣味は分からないが、意外とこういうタイプが好きという可能性もあるかもしれない。それに「いない」と諦めていた幼馴染みだ。そのへんもプラスに働くだろう。
「でも陽花梨さんだけが好きなの? 杏花梨さんは興味ないの?」
「は? なんで?」
「い、いや。ほら。双子だし見分け付かないかなって」
「あり得ねーし。間違うかよ、そんなもん。全っ然違うだろ?」
冗談ではなく本気でそう思っているようだった。
恋とはそんな微妙な差異も確実に分別できる力があるのかもしれない。
待ち合わせの駅前に着くと、既に陽花梨さんは到着していた。僕のことを見つけると手を振りかけたが、隣に金髪を連れているのに気付いてその手を下げた。
「おー!久し振り! 元気か?」
翔太君はそんな陽花梨さんの素振りなど気にした様子もなく、手を振りながら駆け寄っていく。
「え? 翔太君、なの?」
陽花梨さんはかなり衝撃を受けた顔をしていた。記憶の中の翔太君とは似ても似つかないビジュアルだったのだろう。
「って、陽花梨じゃなくて杏花梨の方じゃん」
翔太君の方もあからさまにがっかりした顔をした。
「え? いや、陽花梨の方だけど」
「えー!? うそ! すっげー変わってんじゃん! 分かんなかった」
お前が言うな。僕と陽花梨さんは同時に心の中でツッコんだ。
日も暮れてきたと言うことで、僕らは駅前にあった洋食屋で夕食を食べることとした。
僕はこの辺りの名物だという牛すじ肉を煮込んだぼっかけをデミグラスソースで煮込んだオムライスを注文した。
「懐かしいなぁ。元気だった?」
そう言いながら当たり前のように翔太君はタバコを咥える。その瞬間、陽花梨さんはビクッと怯えた。嫌煙家というより、タバコを恐れているようなリアクションだった。
「あ、ごめん。タバコ嫌いだった?」
そういう反応は感じ取れるのか、翔太君はタバコを箱に戻す。僕らと同い年だから普通にタバコを吸うのは問題だと思う。
それよりも過敏に反応した陽花梨さんがなんだか気になった。
「杏花梨は一緒に来てねぇの?」
事情を知らない翔太君は悪気なく訊ねてくる。
「実はね」と陽花梨さんは親元から引き離されて自分たち姉妹がどんな暮らしをしてきたのかを語り出す。
施設に保護されたところまでは知っていたようだが、引き取られて関東に引っ越したことを知ると翔太君はかなり驚いていた。
「それで久し振りに地元に帰ってきたってわけか」
「うーん、まあ、帰ってきた訳ではないけれど」
歯切れ悪く陽花梨さんが答える。
「でも陽花梨んちのおじさんおばさんはもう大分前に引っ越したぞ」
「え、そうなの?」
「陽花梨らが引き取られてから二年後くらいかな。見掛けなくなった。あとから親に訊いたけど、夜逃げしたんじゃないかって。あ、ごめん」
不確かな噂話を聞かせてしまい、翔太君は謝った。
「ううん。平気。それで、杏花梨は? 帰ってきた?」
「いや。杏花梨が帰ってきたのは見たことない」
「そっか」
そのタイミングで料理が運ばれてきた。
少し重い空気になってきたので、僕はオムライスに逃げる。
フワフワの卵のからはバターの芳醇な香りがした。名物である牛すじ肉は長時間デミグラスソースで煮込んだのか、スプーンでもほぐれる柔らかさだ。すじ肉と卵、そしてオムライスを匙の上に乗せて一口目を味わう。
「あ、美味しい」
肉の旨味と野菜が溶けた優しくて濃厚な味が舌に広がり、鼻から香りが抜けていく。
卵とすじ肉とデミグラスのトロトロ食感が重なり、米粒を噛むとそれらが混ざって複雑に絡み合う。
美味しいものを食べると思わず顔が綻ぶものだ。
そんな僕を見て厨房の髭を生やした丸顔のシェフが嬉しそうに目を細めてくれた。
その地域の美味しいものを食べるというのは旅の醍醐味の一つだ。
夏っぽくはないけれど、ぼっかけはこの旅の想い出の一つになるだろう。




