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旅への誘い

『今年の夏は記録的な猛暑となるでしょう。熱中症には十分注意して下さい』


 昨日テレビで気象予報士が天啓を得た予言者のような顔でそう言っていた。

 『今年の夏は暑い』『熱中症に気を付けろ』と毎年同じことを聞かされている気がする。

 夏が暑いというのは当たり前だ。気象予報士がなんて言おうがそれは変わらないし、言われなくても僕たちは知っている。

 

「しっかし、本当に暑いなぁ」


 照りつける太陽を仰ぎ見て、恨みがましく呟く。

 想像力はないけれど被害妄想の強い僕は、『暑いよりは寒い方がまだマシだ』とため息をつく。

 夏休み初日だというのに僕は早くも夏バテ気味だし、時間も持て余し気味だった。これでは一ヶ月も続く夏休みの先が思い遣られる。


 結局僕が選んだのは、普段の週末と変わらない図書館に行くことだった。

 高校一年生の行動としては、やや健全すぎる気もする。ある程度不健全な方が、むしろ健全な男子高校生なのかもしれない。


「きゃー!」「あははは!」「冷たーい」

 水遊びをする子供たちのはしゃぐ声が重なって聞こえてくる。

 視線をそちらへと向けると、服のまま川ではしゃぐ子供たちの姿が見えた。

 僕も小学生の頃は男子も女子もなく、ああして水浸しになって遊んだものだった。

 それがいつからか、男子と女子は互いにまるで理解しあえない生き物のように分かれて遊ぶようになった。しかし高校生にもなると今度は恋人として付き合う男女が増えてきた。


 みんなはどのタイミングでそんな風に意識を切り替えられたのだろう。それが分からない僕は、未だに男女の機微を理解できずにいた。

 人並みに女の子を見れば可愛いとか思うことはある。けれど付き合うとかそういうことは、未だに自分とは無縁なこととしか思えなかった。


鳩羽はとば君?」


 不意に名前を呼ばれ、汗を腕で拭いながら視線を川から声のした方へと向ける。


「こんにちは」

「あ、姫川ひめかわさん」


 そこには大きめの麦わら帽子を被ってゆったりとした白いワンピースを着た姫川陽花梨(ひかり)さんが立っていた。

 僕が人並みに『可愛いと思う女子』の一人がいきなり目の前に現れ、少し驚いた。『ひかり』という名前に負けない、眩しいくらいに明るい女の子だ。


 姫川さんはどこか旅行にでも行くのか、大振りなキャリーバッグを引いている。

 『避暑地に行くお嬢様を描け』といわれれば十中八九こうなるだろうという涼しげな装いだった。


「今から旅行?」

「うん。夏をね、探しに行くの」


 あまりに曖昧で詩的な響きに、聞き間違いかと思った。


「夏を探しに?」

「そうだよ。一緒に行く? 夏を探しに行く旅」

「え? 僕と?」

「そうだよ。楽しそうじゃない?」


 いきなりの提案で頭が混乱する。僕と姫川さんはクラスメイトだけれど、ほとんど話したこともない。

 姫川さんは美人で性格も明るく、人も自然と集まってくるクラスの中心にいるタイプの人だ。僕のようなシダ植物系男子とは接点がない。


 それなのに姫川さんはまるで長年の友人のように、僕を旅に誘ってきた。それも『夏を探しに行く旅』という、聞いたこともなければ想像もつかない『旅』へと。


「夏を探す旅、か」


 そもそも夏なんてものは、わざわざこちらから探しに行かなくても、あちらこちらに転がっている。

 木にしがみついて鳴いている蝉も、うんざりする陽射しと入道雲の空も、川ではしゃぐ子供も、通りにある喫茶店のかき氷のポスターも、自販機で販売しはじめた夏季限定のロング缶の炭酸飲料も、アスファルトから照り返す熱だって、言ってしまえば全部夏だ。

 夏は至る所にある。時に迷惑なほど溢れかえっている。

 わざわざ探すという意味が分からなかった。


 今すぐ行くのか、どこまで行くのか、なぜ特に親しくもない僕を誘うのか、ゴールはどこなのか、何時くらいまで探すのか。

 色んな疑問があった。

 けれど『夏を探しに行く旅』という言葉のインパクトと、断らないで欲しいと訴えてくるような彼女の目が、それらの疑問を僅かだけ上回った。


「面白そうだね。いいよ、僕でよければ」


 そう答えると姫川さんは少しホッとしたように笑って「よかった。断られなくて」と頷いた。僕みたいな男に断られてはプライドが傷つくから安心したのだろうか。


「よし、じゃあ出発!」


 そんなキャラだったっけ? と感じるテンションで拳を上げ、姫川さんは歩き出した。

 キャリーバッグの車輪は滑らかに転がり、多少の段差などものともしない。なにが入っているのか知らないけれど、随分と大荷物だ。


「ねえ鳩羽君。スタンドバイミーって知ってる?」

「アメリカの映画の?」

「そう! なんかあれみたいじゃない?」

「え? あれって男の子四人の話じゃなかったっけ? もしかしてあと二人誘うとか?」

「まさか。二人で探すんだよ。そうじゃなくてあの映画も夏に探しに行く話でしょ」

「探すって……あれは確か死体を探しに行く話でしょ?」

「細かいなぁ。そこは『似てるかも』って適当に同意してくれてらいいのに」

 

 『死体』と『夏』を似てると言えるほど僕は大雑把な人間ではなかった。けれどもどうでもいいことで我を通すほど強い意志のある人間でもないので、「まあ、似てるかな?」と適当に答えておく。

 そんな会話をしているうちに僕たちは駅に辿り着いた。姫川さんは迷わず改札へと向かう。


「え? 電車に乗るの?」

「そうだよ」

「わざわざ電車移動なんてしなくても夏なんてその辺りにあちこちにあるのに。八百屋にはスイカもあるし、あそこには花火大会のポスターもある。少し遠いけど歩いて海にも行けるよ? 全部夏ならではじゃない?」

「違うの。私が探しているのは、『誰も見たことのない夏』だから。ありきたりなのじゃ駄目なの」


 憧憬の眼差しで姫川さんはそう言った。目の前にいる僕にではなく、もっと遠くの誰かに話し掛けるような、そんな雰囲気だった。


「ふぅん。そっか」


 よく分からないのに分かったような生返事を返す。僕の悪い癖だ。


「どうする? やめておく?」

「ううん。いいよ。行ってみよう」


 よく分からないけれど、『誰も見たことのない夏』というのはなんか興味がそそられるパワーワードだ。どうせすることもない僕は、軽い気持ちで姫川さんに従った。


 ホームのベンチに座り、電車を待つ。

 蝉が騒がしく鳴く声は、忙しないのに心が落ち着く不思議な音色だ。

 やがてやって来たのは東京行きの特急列車だった。

 当然見送るものだと思っていたが、姫川さんは立ち上がる。


「え? 姫川さん、それ特急だよ?」

「もちろん分かってる。さあ、早く」

「ええーっ? 嘘でしょ?」


 停車時間は短い。先に電車に乗り込んだ姫川さんは少し不安げな表情で僕を見詰めていた。冗談で言っているわけではない。その視線からそれは伝わってきた。

 何故だか、このまま一人で彼女を行かせてはいけないという気持ちに駆られた。


「本気で乗るの?」

「お願い。一緒に行こう」


 その言葉を聞いて、僕は反射的に姫川さんの後に続く。それを待っていたように、ドアはゆっくりと閉まった。

 あり得ない行動をしてしまい、ちょっと胸が騒がしい。電車が動き出すと、姫川さんは悪戯が成功した子供のように、にんまりと口角を上げて笑った。

 

「ありがとう。一緒に来てくれて」

「姫川さんってこんな無茶する人だったんだ?」


 皮肉のつもりで言ったつもりだったけれど、彼女はまるで褒められたかのように「たまには思い切ったこともしないとね。高校生最初の夏なんだし」とよく分からないことを言って軽く胸を反らした。

 

 特急は全席指定で、乗車料金の他に特急料金もかかる。

 特急列車に乗ること自体はもちろん初めてではないけれど、特に親しいわけでもないクラスメイトと二人きりで乗ると妙な胸騒ぎがした。


「一体どこまで行くつもり?」


 程よく冷房の効いた車内に入り、取り敢えず空いている席へと座った。英語の車内アナウンスがリズミカルに途中停車駅を告げていた。


「まずは上野かな」

「上野!?」


 僕たちの住むこの町からは百キロ以上離れたところだ。


「夏を探す旅なんだよね?」

「そうだよー?」


 驚く僕に、わざとらしく姫川さんは間延びした口調で答えて麦わら帽子を脱いだ。それで軽く扇ぐと、長い髪がふわっと空気を孕んで軽く膨らんだ。


「なんていうか、その、そういう季節感って田舎の方が見付けやすいんじゃないかな?」

「情緒的なこと言うねー! さすが鳩羽君。なんか文学青年って感じだもんね」


 姫川さんはやけに明るかった。そう、まるで何かを隠しているかのように。

 でもこの時彼女の異変に気付いたところで、きっとその後の展開は大して変わっていなかっただろう。だから僕は鈍感だった自分を責めるつもりはない。

 この電車に乗ってしまった時点で、いや図書館に行く道中で姫川さんと出会った時点で、きっと僕はこの奇妙な旅から逃れることは出来なかったのだろう。


 とにかくなにか凄いことが起こりそうな、そんな予感に包まれる旅の始まりだった。



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