それぞれの理由
彼女に僕のシャツとジャージを渡し、着替えが終わるまで僕は小屋の外に立っていた。
雨はまだ強く降り続けている。一応は軒があるので、ある程度雨に濡れることを回避は出来ているが、それでも足下から特に濡れていく。
一体彼女は何なんだ。
入り口の横には銀色の自転車が停めてある。自転車でここまで来たようだ。学校証明のシールを確認すると、隣の街の中学校のものであることが確認出来た。
やがて、小屋のドアが開いた。
「雨の中ごめんね~、もう大丈夫だから君も入りなよ」
どことなくマイペースな空気を醸し出していることが気には掛かるが、お言葉に甘えて(元は僕の方が先だが)再び小屋の中へと足を踏み入れた。
彼女は着替えてすっきりした表情をして窓際の床に座っている。彼女は自分の髪の毛先を手でいじることに夢中になっていた。
「で、君は一体誰なんだ」
開口一番、僕は追及した。彼女は目をこちらに向け、にんまりと笑って見せた。
「あたしは亜希、四之宮 亜希。あ、でもこういう時は、自分から先に名乗るのがスジってものなんじゃない? って何かで言ってたの聞いたことがある!」
「確かに……って、後から来たのは君だろ。この場合は君から名乗って正解だろ」
「あれ、合ってる? 何だか良く分かんないや」
「まったく。僕は佐久間 聡一郎、家出を理由に今日からここに三日間滞在する予定だ」
「聡一郎くんかぁ。長いからソーイチくんで!そっかぁ、ソーイチくんは家出少年なのかぁ」
言葉のマシンガンと他の追随を許さない世界観。これは俗に言う天然マイペース、天真爛漫、純粋無垢で天衣無縫。ヤバいヤツだ。
「ソーイチじゃない、聡一郎だ」
「あたしが呼びにくいからソーイチくんで良いの。三日間か、じゃあその間よろしくね」
「な、何を勝手に――」
亜希はお構いなしに話し続け立ち上がる。そして窓枠に手をかけてこちらを振り向いた。
「あたしも家出だから」
口元は口角を上げ、優しく微笑んでいた。でもどことなく、彼女の目はもの悲しく感じられた。家出と言うくらいだ、きっと彼女にもそれなりの理由はあるのだろうと推察した。
「と、とにかくだ。三日間も、しかも女と一緒だなんてごめんだね。そもそもここは僕が家出をする為に元々計画していた場所だ。家出するならどこか別の所で家出してくれ」
そんな言い訳をするが、本当のところ一人よりは二人の方が心強い。いざ家を出てみると、夜この山は人一人来ない、ここへ向かう間に夜を想像すると少しずつ胸が小さな恐怖に埋められていくのが分かったから。
しかし問題は女ということ。あまり女への耐性がない僕にとってこの状況は極めて未知数であり……何より恥ずかしい。正直どうして良いか分からない。彼女の賑やかな様ももちろん若干のストレスではあるが。
「あたしだってそうだよ~。でもさ、別の場所って言っても……」
彼女は窓の外を指差す。雨が未だ止む気配を見せず、屋根の雨音も激しいままだ。
「こんなヒドイ天気のときにか弱い女の子に出て行け、は男らしくないと思うなぁ」
「う、それは……」
「それに服も借りたまんまだし。ちゃんと返すから、特別にあたしの匂い付きで」
「う、うるさいな!分かった、分かったよ、三日間な!」
「えへへ、ソーイチくんは可愛いなぁ」
彼女との会話はどうも調子が狂う。一人きりよりは心強いが、いちいち面倒だ。
僕はもう呆れるしかなかった。考えるだけ時間の無駄だと諦めることにした。
***
日が沈みかけ、小屋の中にも夕陽が綺麗なオレンジ色の線を足していく。
一昨日の大雨は一時的なゲリラ豪雨。昨日と今日は打って変わって天候は良好、夏だから暑さは否めない。
そろそろ亜希がコンビニ弁当ぶら下げて帰ってくる頃だ。
家出生活にはそれぞれに簡単なルールを作った。
彼女は自己所有の自転車がある為、コンビニへの買い出し係。彼女は構わないらしいが、僕はたとえ三日間でもあまり顔を見られる訳にはいかない。だから彼女にその任務を託した。彼女はお金もほとんど持っていなかった為、お金は僕がすべて出すことにした。
家出の割に何も持ってない亜希の為に、彼女には持ってきた寝袋を渡した。僕は持ってきたブランケットを敷いて寝ることにした。
あとは着替える時はお互い外に出るとか、少し静かにするとか、そんなところだ。シャワーは無いので近くの川を利用している、夏だから出来る技だ。
「ただいまー」
彼女がコンビニの袋を両手にガサガサと音立てながら、器用にドアを開けて帰ってきた。
「おかえり、あんまり乱暴に扱うなよ。いつも中身が偏ってて食い気が失せる」
「自転車っていう時点でそれは難しい相談だねぇ、山道だし」
「だからといって帰ってきても適当で良いというわけじゃない」
「はいは~い、ごめんなさ~い」
たった二日なのに、いつの間にか僕たちは自然にやり取りをするようになっていた。いや、亜希は多分常に自然体だから、多分僕が順応したのだろう。人間とは不思議なものだ。
弁当を広げて、お互いに食事の準備をする。
いただきまーすと元気に亜希は言う。今日で二日目の夜、こうして亜希と食事するのは最後かもしれない、と考えると意外にも少し寂しさを感じた。
僕も亜希が買ってきてくれた弁当に箸をつけながら、ふとあることに気が付いた。亜希の家出の理由を、そう言えば僕は知らない。最初の時も彼女の勢いに押されて聞きそびれたからだ。
「亜希、お前はどうして家出をしたんだ?」
おもむろに僕が聞いた。彼女は箸を止め、どこを見る訳でもなく僕に返答する。
「……そういうソーイチくんはどうして?」
「僕か、僕は……」
僕は家出についての経緯を彼女に話した。彼女の表情はいつになく真面目で、何より静かに聞いていた。どこか哀しい、それはあのとき、家出だからと言ったあのときの目に見えた。
「そっかぁ。ソーイチくんみたいな人でも家出を考えちゃうんだね」
「みたいな、とはどういうことだよ」
「分からない? 自分がどれだけ贅沢なことを言ってるか。何もかもを産まれながらに持っていて、何の不自由もなく与えられて、常に行き先を明示されて、そこを歩いて行けば確かに安心だと分かっていて……親の愛情だって、余すことなく注いでもらっているのに」
いつになく淡々と言葉を並べる亜希。
言っていることは分かる、分かっている。ただそれは与えられない他者からの視点、隣の芝生に近いようなもので、実際は当事者になってみないと分かるものじゃない。分かってたまるか、お前は僕じゃないんだ。
「一方通行の愛情なんて、そんなのは愛情じゃない。ペットと一緒だよ。他人に自慢するだけの作品に仕上げられ、どこかが欠けたら直せと叱責される。今まではそれに従うことが生きる意味だったけど、違和感に気付いてしまったとき、それは僕自身の人生ではないんだ、両親の人生を――僕は生きているんだって気付いたんだ」
「それでも――」
彼女が咄嗟に言葉を挟む。彼女はまた青いビー玉を手に取り覗き込んでいた。
「ソーイチくんは幸せだよ、生きているって実感しているから、そう考えるの」
「それはどういう――」
言いかけて、彼女はおもむろに立ち上がり干してあったバスタオルを手に取る。
「水、浴びてくる」
散らかしたまま、彼女は小屋の外へと出て行った。外の陽は完全に山の端に隠れ、辺りは闇に落ち行くのを待つだけだった。
しばらく彼女の言葉の意味を考えながら呆然とし、僕は後片付けをした。
お読みいただきましてありがとうございます。
次話、最終話は11月4日午後9時投稿予定となっております。
どうぞお楽しみくださいませ。