第26話 秋の二重奏
27.【大村ユキ 編】 秋の二重奏
すっかり底冷えするようになった夜、
コンビニで買って帰ってきたスムージーを片手に、
リビングで勉強を始める大村ユキ。
(・・・なんであんなことまで喋っちゃったんだろう・・・)
さっきまで初対面のヒトミちゃんと話していた会話の内容を思い出しながら、
ひとりでクスッと笑う。
(よっぽど、ヒトミちゃんと気が合ったってこと?)
「ただいま~」
ガチャリと玄関が空く音ともに、ドスリと重い音が響く。
「おかえりなさい~」
お母さんは、重そうなダンボール箱を床に置くと、
腰をトントンとたたいていた。
「いやぁ、音楽教室から家まで運んで帰ってきたんだけど、重かったわ。
これね、教室で残ってた楽譜をもらってきたんだ~」
コートを着たままで、
箱の中の楽譜のいくつかをペラペラとめくるお母さんの目は、
本当にキラキラとしていて。
「あ、今日オープンキャンパスだったんでしょ。どうだった??」
「うん、やっぱり、私はあそこの大学に行きたい!
それにすんごい気が合う同級生の子に会ったんだ~」
コートを脱いで、
冷蔵庫の中から適当な食材を探し出して出来合いの料理を作るお母さん。
「へぇ、それはよかったじゃない。じゃあ、塾でもしっかりとがんばらなきゃだね!」
「・・・うん」
お母さんには、新藤センセイとのことは言っていない。
数学の担任の先生を替えてもらったことも。。。
焼きそばをテーブルに運んできて、
麺をすすりながらさっそく楽譜をペラペラとめくり始める。
(まったく、お母さんは音楽のことになると、本当にすごい)
無邪気な母親をほほえましくおもうとともに、
音楽の道を選ばなかった私自身に対して、ちょっとだけ申し訳なく感じた。
「あ、そうそう。クリスマスに、音楽教室で生徒さんの発表会をするの。
しかも、市民ホールでよ。すごいでしょ!」
リビングテーブルで勉強をしていた私は、ダイニングテーブルのお母さんの方を向く。
「でね。ちょっと相談なんだけど・・・」
不意に申し訳なさそうに私の方をうかがう。
「・・・ユキも一緒にやらない?久しぶりにお母さんと音楽できればなあって。
もちろん受験勉強が大変なのはよくわかってるけど、気晴らしも必要よ」
はにかみながら言うお母さんを眺めながら、穏やかな表情でこう思う。
(いったいどこの家に、勉強しすぎもよくないわよ、とアドバイスしてくれる母親がいるのか)
「・・・うん」
でもまあ、10年以上ビオラをやっている身としては
気晴らしになるのは確かだった。
新藤センセイのこともあるし、モヤモヤが取れればそれはそれでいいかも。
「曲目によるかな。そんなに難しいのじゃなければ・・・。」
「本当?!やった、久しぶりにユキと演奏できるわね!!じゃあ、私が曲探してみるね。」
「でもお母さんは、音楽教室のセンセイでしょ。
クリスマスコンサートって生徒さんのための発表会なんじゃ・・・」
お母さんは満面の笑みで親指を立てるとうなづいた。
「うん。あなたは私の音楽教室のOGでしょ!」
次の週末、私はお母さんの音楽教室に向かった。
(本当に何年ぶりだろう・・・。)
久しぶりに背負ったビオラケースが肩にずっしりと重い。
今日は、お母さんが弾くピアノとの音合わせ。
勉強の合間に、家で個人練習をしてはいるけれど、
お母さんと一緒に演奏するのは今回は初めてだ。
「いらっしゃい!本当に久しぶりね。すっかりオトナの女性になって~」
音楽教室の1階は楽器屋になっていて、
自動ドアを入るなり、ヒトのよさそうなエプロン姿の店員さんに話しかけられた。
「ご無沙汰してます、杉内さん!4年ぶりです。」
「頭のいい高校に通ってるんだってね!お母さんからよくあなたの話を聞くの。」
平日は音楽教室、休日はリサイタルにと、朝も夜も遅いお母さんとは、
なかなか自宅では会話をすることがないけれど、
私のことを外で話してくれてることがわかって、なんだかこそばゆい気がした。
「えへへ。。。あの、母は、大村先生は来てますでしょうか?」
「ええ。でも前の生徒さんが延びてるみたいだから、練習ホールで待っていてちょうだい」
練習ホールは、この音楽教室で一番大きな練習部屋。
パイプ椅子を並べれば30人くらいが座れて、私も中学のオケの練習もここでしていた。
ホールのドアを開けると、楽器教室独特のすえた匂いが鼻をかすめる。
部屋の両側を囲む窓からは、秋の高い日差しが長い影を作っていた。
ホールの一番奥にある檀上にあがると、くるっと回れ右して、
誰もいないホールを見渡すと深く一礼する。
ロンドンにいたころにみんなでやったアンサンブルのことを思い出す・・・。
切なさにちょっと胸が締め付けられるのを感じながら、
あははと不意に自分に対して笑ってみた。
すると、廊下側から本物の笑い声がした。
「あはは、センパイじゃん!!何やってんのこんなところで!」
開けっ放しにしていたホールのドアから顔をのぞかせたのは、
詰襟の学生服を着た中学生。背中にはトランペットケースを背負って。
誰かと思うと、多摩ゼミで、新藤センセイと一緒のコマで
個別授業を教えてもらっていた中谷ヤスオくんだった。
「あっ、あー、ヤスオくん!てか、なんでこんなところにいるの?」
「いや、オレも吹奏楽部でペット(トランペット)やってるから、週に一回レッスンに来てるんっすよ。
センパイこそなにやってんすか??」
さっきの姿を見られたと思うと不意に恥ずかしさがこみあげてきて、
あははとごまかそうとする。
ふと思い出したように、まじめな顔で尋ねる。
「センパイ、なんでコマ変っちゃったんですか?まじ、センセイ悲しんでますよ?」
純粋な中学三年生の目には、私はどう映っているんだろうか。
「・・・ううん。私、ちょうどあの曜日に都合がつかなくなっちゃってさ。。。」
「ちぇっ、ファミレスでのセンパイとセンセイとの補講は楽しかったんだけどなあ・・・
今は、門原センパイっていう、外人みたいな"あんちゃん"とペアになってさぁ。
大村センパイのほうが、なんていうか・・・癒し系でした(笑)」
何も知らずに頬を赤らめるピュアなリアクションが私にはまぶしい。
それでいながら、おじさんっぽく、やれやれと自分の肩をもむ姿が、
背伸びをしようとしている男の子という感じがして、とても穏やかな気持ちになった。
ちょうどその時、
レッスンを終えたお母さんがホールの入口に姿を見せる。
ちょっと意地悪な目をしながら、ヤスオくんをからかうように言う。
「あらっ、中谷くん、娘と知り合いなの~?いい雰囲気で話しちゃって(笑)」
「あ、大村センセイこんにちは。娘って・・・。
ああ!大村先生って、大村ユキセンパイのお母さんだったんですね!
塾でお世話になってます!」
ヤスオくんはお母さんとちょっとだけ会話をすると、
私の方を見てこう言って去っていった。
「また、一緒に新藤センセイと勉強したいっすね!」
ビオラをケースから取り出すと、
練習してきたいくつかの曲をお母さんのピアノと合わしていく。
このホールにあるピアノは
コンサートホール用の一番大きなグランドピアノ。
その音に負けないよう懸命に奏でていく。
決して親子関係が悪いわけではなく、むしろいい方なのだけれども、、
ロンドンからの帰国以来、なんとなく心と心で親子の会話をしていないように感じていて。
でも、いまこうして、
お互いの目を見てタイミングを取りながらアンサンブルをしていると、
音が作り出す空気の波長に、私たちの心の波長が共鳴して、
この秋の二重奏を奏でているような、そんな気がした。
3曲ほど演奏し終えて、
私がペットボトルの水でのどを潤していると、
お母さんが楽譜をペラペラめくりながら言う。
「うん。今のなかだと、シューマンが一番いいわね。
久しぶりにあなたのビオラをこのホールで聞いたけど、
やっぱりオトナな女性って感じの力強さが感じられるようになってきて、
うれしいわ。」
そういうお母さんの目は娘の成長した姿に喜びつつも、
どことなく寂しそうな気持ちも含まれているように感じた。
その時、ピアノの上に置いていたスマホの画面が明るく光って
メッセージが届いたことを知らせる。
「・・・どうして。。。」
<ちょっとだけ会えない?>
それは新藤センセイからのメッセージだった。
(28.【大村ユキ 編】 癒えないきずあとに続く)