11話 聖教国の闇
11話 完了です。
遅くなりまして、申し訳ありません。
唐突に聞こえた声に、特に身体の方で反応を返す事はせず、目の前の男を見据えながら応答する。
(まあ、宿は取りたいからな。母さんにも会いに行かないと、二日連続で約束を破る訳には行かないからな)
(主様は時の魔術適正をお持ちです。それを行使されれば、何の問題も無く、終わるかと)
(なるほど。少し試してみるか。気になる事もあるんだ。)
(白水は、常に主様の思いのままに)
白水との会話はこれで終わったが、男の方は、俺が白水を抜くのを今か今かと、心待ちにしている。
既に背のクレイモアを抜き放ち、いつでも切り込んでいける体勢を整えていた。
「じゃあ、私も準備できたわ。始めましょうか」
「やっとかよ。何だったんださっきの間は」
「気にしないで、精神集中なの」
ふふっ、と笑みを浮かべ、男を見据える。両の手で握るクレイモアは、彼の呼吸の度に、ゆらりと揺れる。
腰を屈め、頭も共に低くする事で、完成するのは抜刀の構え。漫画等での見様見真似ではあるが、形にはなっている筈だ。
この構えを見て、男ははぁ?とクレイモアを肩に担ぎ、セリエを見やるのだが、彼女は先程からずっと、俺に対してのみ視線を送り続けている。
少し異様な光景を見るように、男はまた両手でクレイモアを正眼に構え、開始の合図を待つ。
「実戦形式での戦闘です。相手が降参するか、相手の武器を破壊して、勝利とします。では、始め!」
セリエの合図と共に、俺を風が襲う。男の風の魔術が俺に向かって、竜巻の様に緑色の風が渦巻き、左右への逃げ道を覆い隠した。
その上で、クレイモアを突き出す様に構え、地を蹴り、暴風の中を男が疾駆した。
「そんな武器を持っているのに、振り下ろしたりするんじゃないのね?」
「あぁ!?知った事か!俺には俺の戦い方があるんだよ!」
暴風の中を駆ける男に、この状況にとても不似合な落ち着いた声色で告げるのだが、男の身体は止まらない。
戦い方こそ大雑把ではあるが、理に適った方法ではある。
「早く終わらせるつもりはない、と言う割に、私の意見を聞いてくれてありがとう。嬉しいわ。だけど、もう終わり」
言葉を告げると同時に、俺の全身から、暴風を相殺する為の魔力が迸る。
一瞬にして、自身が作り出した風の道を掻き消されて呆然とする男の首元に、白水の切っ先が置かれる。男の風が消え去ると同時に、閉ざされていた視界も回復し、男に向けて薄く笑みを浮かべてやる。
「・・何をした」
「答える義理はないわ。冒険者は自分の手札を簡単に明かさないものでしょう?それで、まだ続けるの?」
「いや、俺の負けだ」
「試験終了!勝者、ファルミア!」
セリエの終了の合図と共に、白水を鞘に戻す。チン、という鈴の音の様な音が、フロア全体に響き渡る。
男に背を向ると同時に、膝を着く音がした。エリスの元に歩を進めるのだが、その中で気になったのは、やはり、セリエの目が俺をどこまでも追い続けていた事だ。
男の風の魔術を霧散させた時、風の中は見えていない筈にも関わらず、彼女の目は、俺を完璧に捉えていた。
「終わったわ、エリス」
「お疲れ様です。姉さん」
まだ姉妹は続いているようだ。これ、男の身体だったら兄さん、と呼んでくれるのだろうか、と、少し妄想を浮かべていると、戦った男ではなく、セリエの声に現実に戻された。
試験の終了、いや、試験開始前、男に耳打ちをした後から、彼女が代わった、様に思えた。勘、という信憑性に欠けるものではあるが、事実、彼女から感じる気配が、受付に居た彼女とは違うモノとして、俺に認識させた。
「お疲れ様です、ファルミアさん。これで試験は終了です。先程宿を取らないと、と仰っていましたが、此方でも手配出来ますよ。如何でしょう?」
何となく、だけど、感じるのは違和感。模擬戦の試合であるのにも関わらず、膝を着いた男が、まるで、死を前にした様な有様なのである。
俺とエリスは揃って男の豹変した姿に、眉を顰める。すると、俺達の反応を見てか、セリエが男を見もせずに口を開いた。
「あぁ、彼は元々Sランク冒険者の方なのですが、今回、この模擬戦で負けてしまいましたので、Aランクに降格となりました」
どういう事だろう。冒険者のランクというのは、狩れる魔物のレベルや、依頼の成否によってしか左右されないのではないのだろうか。
「模擬戦に負けたからといって、ランクが下がるの?」
「はい、今回は特例ですので、そうなります。おめでとうございます。ファルミアさんは、たった今Sランク冒険者として認定されました」
信憑性の無かった俺の勘が、確信へと、徐々に傾き始める。おかしい。張り付いた様な笑顔で、淡々と語るセリエの目が、やはり受付に居た彼女とは別の何かを思わせた。
男の言葉を思い出す。「全力で行く」とはこういうことか。そう思うと、知らず内にだが、確かな苛立ちを覚えた。
「ランクSに認定されましたので、ギルド5階のフロアにも入れます。こちらの証め「いらないわ」」
今も淡々と語るセリエの言葉を遮り、己の答えを吐き捨てる様に口に出す。セリエの眉が一瞬、ひく、と動く。
「何故でしょう?冒険者になるために、試験を受けに来たのではないのですか?」
確かに、冒険者になりたいが為に、俺はギルドに来た。母さんに教えてもらった半年の間、これを念頭に置いて準備をしてきた。
だが、他者のランクを剥奪する事が試験の合格を意味するのなら、俺はそれを望まない。
「他人のランクを奪って、合格なんて御免だわ。それに、貴方、誰?セリエ、って子じゃないでしょう?」
俺の言葉に、反応したのは模擬戦をした男だ。セリエを見据え、眉を顰めた。どういうことだ。と言いたげに、セリエから視線を俺に向ける。
あの男も、なんとなく、ではあるが、彼女の様子がおかしい事に薄々とは気づいていたのだろう。
「何を根拠にそんな事を仰っているのか、わかりませんが、本当によろしいのですか?」
「だから、彼女の身体を乗っ取ってまで、私をSランクに推す、貴方は誰なのよ?質問に質問で返さないで」
根拠はある。先程から、彼女の眉が反応し、焦りを覚えた際だろうか。
彼女の魔力が乱れ始め、さらには、彼女の魔力とは別の魔力が見え隠れする。多分、あれが彼女の身体を乗っ取り、私に口上を述べている相手の魔力なのだろう。
「・・なるほど、魔力を視るか。ふむ、だが、惜しい。実に惜しい」
腕を組み、顎を撫でるその姿は、やはりセリエのものではない。忙しなく、おどおどとした彼女ではない。
「で、どこの誰なのかしら。人の身体を使ってしか、会話もできない陰湿なお方」
「ふん、貴様程度に私が姿を見せる必要などない。身分が違うのだ。くく、惜しいよ。その力、美貌、私の言う通り、Sランクになっておれば可愛がってやったものを。エルフの愛妾とは、そうそう手に入る物ではないからな」
深く、深く溜息を吐く。どんな世界に行っても、やはり、己の身分を傘に着て、こういう事をする輩が横行するのかと。
そして、同じように落胆した。どこに行ったとしても、人のやる事はどれも一緒だ。
「貴様が今、私の命に従わねば、冒険者ギルドだけでなく、国からも凶悪犯として追われるだろうよ。貴様に、もはや選択肢などないのだ」
心底愉快そうに、セリエの声で下種な物言いをする。そして、次の言葉に、俺はさらに、セリエを乗っ取る「それ」に対しての嫌悪感を募らせる。
「よもや、聖女殿まで御一緒とは、くくく、試しの森からどう生還したかわからぬが、さて、どうでしたか、私の用意しました御旅行は、お楽しみ頂けましたかな?お飾りの聖女殿」
ふらり、とエリスの身体が揺れる。すぐに身体を支えるが、彼女の身体に、既に自分を動かす力も無く、そして何より、意思すらも消失している事に、今更ながら気付かされた。
聖女として、国の為に自分を捧げていた彼女にとって、その国の者から裏切られた悲しみは、測り知れない。
「おや、体調でも悪いのですかな?あぁ、そうでしたな。御身には呪術による呪いがかかってましたか。くく、実に滑稽であったよ。民の不安を払拭する為だけの、ただの人形風情が」
エリスの身体を、そっと地に寝かせると、俺は言葉を発する、人間の下へ歩き始める。
今の心境、嫌悪、憎悪、落胆、怒り。全てあるが、それでも、俺の心は穏やかだ。心の中に、何も無い。
俺は、失敗した。やはり、エリスをこの国に連れて来るべきではなかった。
「おぉ、漸く理解できたかね?さあ、この証明書を受け取れ、そして、私に下るのだ」
何か言っている。だが、何を言っているのか、わからない。
足取りは覚束ない。全てがクリアなのに、思考に靄がかかっているかのように、何も、考えられない。
「ふむ、近くで見れば見る程、やはりエルフは見目が良い。ほら、受け取れ。証明書だ」
人間の目前に来た。まだ、何言か喋っているが、俺の耳には雑音としか、認識されない。
靄が黒く、染まっていく。漆黒のそれは、俺の身体を徐々に侵し始める。
「白水、魔力の流れを辿れ」
(・・・御意)
紙片に手を出すのではなく、人間の肩に、そっと手を置いた。
この人間の様に、魔力に意思を載せるのであれば、魔力の糸が途切れることは無い。この人間の物ではない、歪んだ魔力の主へと、必ず繋がっている。
「何をしておる。紙を受け取れと言っているのだぞ?」
(対象を発見致しました)
白水の言葉と共に、魔力の繋がりを、音速にも勝る速さで切り裂いた為、操られていた女は意識を失くした。
伏した女を一瞥し、用は無いと言いたげに踵を返す。歩む先にあるのは、己の生に意味を失し、意識を手放した聖女。その表情は悲しみに染まり、涙の跡が薄らと残っていた。
「そこの男」
背を向けたまま、聖女を眺めたまま、いまだ呆然と地に膝を着いた男に声をかける。
男の目に、焦燥が溢れ出る。汗という汗を、身体の至る所から吹き出し、呼吸をする事さえ、適わない。
「お前、聖女を守れ。すぐに戻る。俺がいない間に、少しでも聖女に傷を付けたその時は、死してなお、闇に喰らわれるものと知れ」
意識があった頃に抑えていた魔力は、俺の意識という制御を外れた今、全開のまま、男に襲い掛かる。
漆黒の、どこまでも淀み、歪みきった魔力と、隠す事もしない、ただ純然たる男への殺意だけが、呪言の様に纏わりつく。
「わ・・か・・・た・・・・」
自分の持てる全てを持って、男は霞んだ声で返事を返す。息をする事すら許されない。
この状況において、言葉を発する事が出来たこと、ただそれだけが、冒険者上位、Sランクに名を連ねた男に出来た唯一の行動だった。
瞬間、莫大な魔力によって己を縛り付けていたファルミアの姿が消え失せる。
「私の魔力が絶たれるとは・・・くそっ!どういうことだ!」
聖教国において、教皇の次に権力を持った人物、4人の大司教と、2人の枢機卿。
そして今現在、聖教国、教会区に屋敷を構える大司教、ヴェイン・ルースヴェンは、自身の執務室において、憤慨していた。
冒険者ギルドに、新人としてエルフが現れた。曰く、見目麗しく、魔術適正においても、新人とは思えぬ結果を出した。と。
愛妾、愛玩奴隷。数多くの者を陥れ、自身の下へ頭を垂れる事を余儀なくし、そして自身の欲望の、ただの捌け口として、扱った。
「ちっ・・エルフとは残念だが、まあ良い。惜しいが、仕方ない」
聞き入れなかった場合の対処、自分の息のかかった冒険者、騎士団員に追わせ、陥れる。許しを請うまで、追い詰める。
お決まりとなっていた所作。連絡用の水晶に手を翳す。
「まあ、待て。此方からも提案があるんだ」
「誰だ!」
今のこの部屋には、自分以外の存在はいない筈であり、執務室においては、己の裏の片棒を担いだ者にしか侵入を認めていない場所でもある。
その中に、凛とした声が響く。驚愕し、声を荒げるのだが、侵入者の姿を見て、言葉を失くす。
「何故、貴様がここに・・・いや、それよりも何故、ここが・・・・」
「あの女を操っていた、魔力を辿った。それだけだ」
淡々と答えるエルフの女。自分に害を成すであろう者の侵入を、今まで一度たりと、許したことは無かった。
屋敷の前に立つ近衛兵は、部屋の前にいる従士は、何をしていたのだ!
激昂する。だが、あくまでも平静を保つ。水晶を通して外部に助けを求めるだけで、この場は制圧される筈だ。
「ふん・・ここまで来るとは、莫迦め、すぐに私の私兵、騎士団も来る。お前は終わりだ」
外からの鎧の音。だが、一足先に、この部屋の扉を開けて入ってきたのは、メイドだった。
「大司教様!!」
メイド達はすかさず、私とエルフの間に立つ。後ろからは、遅れて自身の私兵達が、エルフの逃げ道を閉ざした。
この状況に思わず、口角が上がるのを押さえ切れない。
「残念であったなぁ。ここまで来れたのは褒めてやるが、所詮、そこまでだ」
勝ち誇り、悦に浸り、エルフを見据える。身体もだが、やはり、その顔が美しい。勿体無い、そう思うが、しかし、己の意思に従わぬ者など、必要はない。
私兵の者達の指揮を上げる為に、一つ、餌をやろうではないか。
「お前達、このエルフは好きにして良いぞ。許して、と泣き叫ぶまで、精々楽しむが良い」
その言葉に、私兵の男達は下卑た笑みを浮かべる。実に操り易い連中だ。たまにこうして餌を与えるだけで、忠実な剣が手に入るのだから。
「お前も、私に最初から従えば、くくく」
前に立つメイドの胸を、背から手を回し捏ね繰り回す。
あん・・・、と熱の篭った声を微かに上げるが、構わずにその手を動かし続ける。
「なるほど、お前も、いや、この屋敷の連中は、皆、壊れたいんだな」
「何を訳の分からぬ事を。まあ良い、連れて行け。私はこの場で滾ってしまったようだ」
私兵達も鼻の下を伸ばし、エルフの下へ、我先にと歩み寄る。この者さえ消えれば、この滾りをぶつける、忙しい仕事が待っているのだからな。
エルフの女にメイドごと背を向け、この後の情事を想い、私兵達と同じ様な、笑みが浮かぶ。
「この男は、俺を怒らせた。恨むのなら、恨め、だが、その時、己の歩んだ生を思い出せ。真っ当な生き方をしてさえいれば、今日、ここで壊れなかっただろう。陥れられ、嘆く者も、恨んでくれていい」
この状況であるというのに、依然として凛とした声。侵入してきたままの体勢を崩さず、恐怖という感情は無いのか、と、正気を疑う。
「ではな。次の生を授かった時、俺の言った意味が、わかるといいな」
まるで退席の挨拶のように、だが、どことなく悲しそうな声が終わった瞬間、莫大な魔力がエルフの元から解き放たれた。
華美な装飾品の数々に彩られた部屋が、漆黒の魔力に覆われ、その輝きを失い、塵芥となって消失する。
エルフの最も近くにいた私兵は、魔力の波に飲まれ、漆黒の闇に飲み込まれる。メイドを突き飛ばし、部屋の隅に逃げる。突き飛ばしたメイドの叫び声が、途中で闇に覆われた。
「なん・・」
言葉の意味を成す前に、ヴェインはその生涯を閉じた。
屋敷全体が漆黒の闇に包まれ、大司教の持つ私有地の一角のみが、その夜、忽然と聖教国から姿を消失した。
お読み頂き、ありがとうございます。
PV、昨日今までの2倍に増えたのですが、一体何が・・・。