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第二章 俺様姫と過保護な兄様 その一

「ご主人さまあぁぁぁぁっ、た、大変ですっ」

「うるさいぞ、テイト」


 駆け込んできたテイトを胡乱げに一瞥したアリスは、また視線を本へと落とした。

 穏やかな陽射しが、どこか古めかしい趣のある書斎を浮き上がらせる。壁に備え付けられた本棚には、分厚い専門書とともに歴史書も多く並んでいた。

 窓際で、揺り椅子に座りながらお気に入りの古書を読んでいたアリスは、このゆったりとした時間を邪魔されるのを好まなかった。

 それをみんな知っているから、使用人でさえ扉の前を通るときは、忍び足になるというのに。どうやら、アリスの小間使いはそんな初歩的なことも忘れるほど、動転しているようだ。


「うわっ……たたっ」


 下をよく見ていなかったのか、乱雑に積み重なった本に足をとられ転んでしまった。


「もぅっ、ちゃんと整頓して下さいとあれほど……っ」


 ぐちぐちと文句を言いながら片付けていたテイトは、用件は? というアリスの言葉に、ハッと思い出したのか、貴重な本を放るとアリスの椅子を揺らした。


「お、おいっ」

「大変なんですよぉぉぉっ」

「だ、だからなにが、だっ。と、いうか、ゆ、揺らすな!」


 舌を噛みそうになりながらアリスが怒鳴ると、てへっと舌を出したテイトが謝った。

 可愛いのだが、なぜかイラッとする。

 小さく舌打ちしたアリスは、説明するようテイトを促した。


「あ、そうですね。そうなんですよぉ! オーラントさまに、つきまとっている女がいるらしいですよっ」

「ディーに……?」


 アリスがようやく関心を持ったことが嬉しかったのか、鼻息を荒くしたテイトは顔をずいっと寄せた。


「そうです。先日、ご主人さまに無礼な態度を取った女を覚えてますか? なんでも、ロット卿が溺愛している末娘らしく、親の権力をかさにやりたい放題って噂ですよ」

「ロット卿、ねぇ」


 アリスは親指を下唇に押し当てると、熟考するように長い睫を伏せた。

 髪と同じ透けるような色の睫に覆われて、印象的な双眸が隠れると、アリスのまとう空気ががらりと変わった。穏やかな光の中で、物憂げな表情を称えるアリスは、性別を超えた美しさに包まれていた。

 それを間近に見つめていたテイトは、思わずといったように、ほぅっと感嘆としたため息を吐いた。

 およそ年頃の娘らしくない言動のアリスであったが、こうして黙っている姿は、それこそ精緻な絵画でも見ているような心地にさせる。頬にかかる白金の髪もきらきらと輝き、染み一つない白い肌が眩しいほど透き通っていた。

 声をかけるのも憚れるような、侵しがたい神聖な雰囲気がそこにはあった。

 惜しむべきは、服装が煌びやかなドレスではなく、男物という点だ。

 けれど、白いシャツの上に、厚手の肩掛けを巻きつけたアリスは、華こそないものの男装の麗人のような趣があった。


「――ロット卿といえば、武功で名を上げたはず。……なんだ、テイト。そのがっかりしたような顔は。変なことを言ったか?」

「いえ……残念に思っただけです。まあ、その男らしさもアナタの魅力なんですけど。いい加減、淑女らしく言葉遣いを改めたらどうです? オーラントさま方は、ご主人さまに甘いというか、自由にさせているみたいですけど、公の場に出たら恥じかきますよ!」


 幾度となく言われ続けた台詞に、アリスはまたかと片眉をあげた。


「しょうがないだろ。そう育ってきたんだから。このオレに、生まれ持った品位など期待するな。自分を偽るなど、吐き気がする」

「ええ、ええ…そうでしたね! アナタはそういうお方ですよ。まったく、オーラントさまは、ご主人さまのどこに惚れたんだか」


 さっぱり理解できないと首を振るテイト。

 彼にとったらいつもの軽口も、アリスには冷水を浴びせかけられたような心地がした。

 現実を突きつけられたような、そんな苦さがじんわりと胸に広がっていく。


「……義務、だろ」


 わかっているさ、それくらい。

 感情を押し殺した呟きは、テイトには聞こえなかったようだ。

 なにか言いました? と問うてくるテイトに向かって、アリスは、にやっと口の端を持ち上げた。


「そりゃ、お前。オレ様の魅力に決まってるだろ。わからないか? この溢れんばかりの神々しさを」

「はいはい、ご主人さまは、この国一……いいえ、大陸一お美しいですよ!」


 テイトは、面倒くさそうに主人を褒め称えた。


「うむ。よい小間使いだ。褒美に、フォワーローをやろう。厨房へ行って、料理長にフォワーローを作ってもらってこい。午後のお茶の時間に、ぴったりだろ?」

「ほ、ほんとですか!? やったぁ! ボク、アレ、大好きなんです」

「なら、とっとと行け。早く伝えないと、間に合わないぞ」

「はいっ」


 フォワーローは、口に含んだ瞬間溶け消える砂糖菓子のことだ。一般市民には手の届かない高級菓子であったが、バルフィック公爵では望めばいつでも食べられた。


「目的も忘れて、……バカな子だな」


 元気よくテイトが出て行った扉を見つめていたアリスは、微笑ましそうに目尻を下げた。

 バカな子ほど可愛いというが、本当かもしれない。

 静寂を取り戻した書斎で、そっと窓を見上げたアリスは、青空を悠々と飛び回る鳥に目を奪われた。

 二羽の美しい小鳥が、じゃれ合うように旋回して、西へと飛んでいった。


(羨ましいな。なんの誓約もなく、自由に飛び回ることのできるあの小鳥たちが……)


 先代の国王の時代。

 のちに、オヴァールの乱と呼ばれる戦争が起こった。

 政府のやり方に不満を抱いた地方領主が、反旗を翻したのだ。しだいに膨れあがる反乱軍の数に、王政軍も為す術がなかった。

 そんなとき、反乱軍の鎮圧の命を受けたのが、王立騎士団に属していたロット卿であった。当時は、さほど武勇伝はなかったものの、なにを考えたのか国王は彼を司令官にしたのだ。死に戦だと馬鹿にする周囲の声を裏切るように、ロット卿は、反乱軍を一網打尽にした。

 その見事な手腕を買われ、ロット卿は、重鎮の一人となった。

 現在では体調を崩し、前線を退いたものの、当代の国王に仕え、精力的に兵士の教育に励んでいるという。

 家柄でいえば、血筋を辿れば王族の流れも汲むバルフィック公爵家のほうが格は上だろうが、ロット卿もまた歴史ある名門ヴァンヅェー家の出身だ。

――ロット卿の娘となら、釣り合いはとれているだろう。


(オレとは違う、か)


 口元に苦い笑みが浮かぶ。

 窓硝子に反射して映る自分の姿をじっと見つめたアリスは、自分の顔をなぞるように指先で触れた。冷たい硝子の感触が、爪の先から伝わってくる。

 十四歳になっても、野山を駆けずり回っているような格好をしている自分。

 飾り気のない自分の容姿は、バルフィック公爵家にはきっと相応しくないだろう。優しい公爵と公爵夫人は受け入れてくれるが、本当ならアリスも煌びやかなドレスに身を包み、花嫁修業をしなければならない年だ。

 ここに連れてこられてきた頃とは違う。


(あれから七年も経つのか……。時というのは、ずいぶん早く過ぎるな)


 目を瞑るアリスの脳裏によぎるのは、髪をぐしゃぐしゃにして、頬を煤で汚し、ボロボロの布をまとった七歳の自分の姿だった。目ばかり大きくて、やせ細り、けれど気だけは強かった自分は、さぞ少年のようだったろう。


「ディー、お前は……」


 幸せか?

 そう続こうとした言葉をとっさに呑み込んだ。

 なにをバカなことを。

 ゆるりと首を振るが、近頃ふと考えてしまうのだ。

 もしディアスと出会わなければ、……いや、婚約者にならなければ、彼はもっと自由に生きられたのではないかと。

 枷をはめてしまったのは自分。

 彼ならばもっと生き生きと羽ばたけたはずなのに、自分のせいで輝かしい未来を絶ってしまった。

 テイトが戻ってくるまでの間、アリスは物思いにふけるのであった。


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