その四
「緊張している?」
アリスの着替えのために与えられた客室にいるのは、ディアスとアリスの二人だけだった。
テイトや着替えを手伝ってくれた侍女たちは、意を汲んで退出していた。
「ああ、まあな」
アリスは、ごくりと唾を呑み込んだ。
いよいよお披露目のときを迎えるのだ。
緊張しないほうが無理だった。
ラディ一世の突然の宣言に、大広間は蜂を突いたような騒ぎとなって、そこから抜け出すのが大変だったのだ。
テイトが、改めてお披露目の場に出るには、正装を! と言うから、客室を借りたのだ。衣装を持ってきていないと思っていたら、公爵夫人から衣装一式を預かっていたらしい。さすが抜け目のない公爵夫人だ。
男物の格好で、ラディ一世の隣に並ぶわけにはいかなかっただろう。
「大丈夫。今のアリスは、だれよりも光り輝いているから」
「世辞などいらない」
「お世辞じゃないよ。本心だ」
ディアスは、むき出しの右肩に咲いた薔薇のアザに口づけを落とした。
「……っ」
「ずっと不安だった。アリスが僕に惰性で付き合っているんじゃないかと」
「それは……」
「わかってはいたんだよ。僕たちの間には、温度差がありすぎたからね。僕の感情とアリスの感情は違うって自覚していた。けれど、それでもよかったんだ。傍にいられれば。向けられる気持ちが家族愛でも、憐憫でも、よかったんだ。……女々しいね。いつだって、アリスの優しさにすがりついていた。それを失ってしまったら、婚約者としての地位まで失ってしまうと思っていたから」
「オレたちは、回り道をしていたんだ」
アリスは、そっとディアスの手を握りしめた。
「アリス……?」
「オレは愚かだったから、周りをよく見てなかった。自分に向けられる好意が、兄様に対する想いの延長線上にあるって考えていたんだ。もしオレが兄様の妹じゃなかったら……そんなことばかり考えて不安になってた。そして、申し訳なく思っていたんだ」
「申し訳ない? なぜ?」
「だって、オレがいなければ、もっといい生活ができていたかもしれないのにって。オレみたいなお荷物を……」
「荷物なんかじゃないよ」
ディアスはふわりと微笑んだ。
「アリスがいなければ、僕の人生は退屈になっていた。それはきっと、父上たちも同じだ。アリスが来てから、屋敷は明るくなったんだよ? どうやったらアリスを喜ばせることができるか、楽しませることができるかって、毎日みんなで考えていた。……ちっとも懐いてくれないアリスをね、笑わせようって必死だったんだよ」
昔を懐かしんでか、目を細めたディアスは、くすくすと笑った。
「初めて会ったとき、僕はね、アリスに一目惚れしたんだ。だから、アリスの相手に僕が選ばれたと知ったときは、心臓が止まるかと思った。嬉しくて……本当に、嬉しくて、はじめてバルフィック公爵家に生まれたことを神に感謝した」
「オレは……気づかなかった。自分の気持ちがわからなかったんだ。ディーの好意が怖かった。おじ様たちの好意が苦しかった。でも、オレ自身を見て、好きになってくれたんだってわかったから……だから、」
「うん」
「カルロットが婚約者になったって知って、それでもいいかと思ったんだ。オレではディーを不幸にしてしまうから。でも、なんだか胸がもやもやして、嫌だったんだ。ディーがだれかのものになるの。いつも一緒にいたからわからなかった。気づかなかった。離れることの意味を。考えもしなかったんだ」
「じゃあ、考え抜いてだした結論がアレだったんだね」
アリスは、真っ直ぐディアスを見つめた。
「もし、否定されたら、身を引くつもりだった。でも、ディーはオレに応えてくれた」
「当たり前だよ。アリスがあまりに格好良くて、惚れ直したよ」
「惚れ……っ」
動揺して視線をさまよわせたアリスは、かぁっと顔を染めた。
赤くなった頬をごまかすように咳払いをしてから、言った。
「……オレはしばらく、王宮で暮らすことになる。兄様と約束したんだ」
「そう……」
「時間が許す限り会いに行くし、手紙もちゃんと書くから」
これまでのアリスとは打って変わって健気なことを言うアリスに、ディアスが片手で顔を覆った。
「ディー……?」
「……ほんと、可愛すぎて心臓が保たない」
「なにか言ったか?」
「いや、別に。さ、参りましょうか。姫君」
お手をどうぞ、と差し出せば、アリスの小さな手がそっと乗せられた。




