その三
城の大広間では、華やかな宴が繰り広げられていた。
正装に身を包んだ紳士淑女たちが、優雅に行き交う。
ときおり、ディアスへと意味深な視線が向けられると、彼はほんの少しだけ眉を寄せた。
「不機嫌そうだな」
愉しげなラディ一世の言葉に、横で警護にあたっていたディアスの口元が引きつった。
だれのせいだと思っているんです、と言い返したくとも、周囲の目があるここで口を開くことはできない。
ため息を呑み込み、すっと視線を大広間に移したディアスは、可憐に装った令嬢の中でもひときわ目立つカルロットに目をとめた。社交界に顔を見せるのは二度目だというのに、ロット卿の威光もあってか、大舞台にも怯まず、威風堂々としていた。
まるで、大広間に咲く一輪の薔薇のようであった。
真紅のドレスが艶やかに色を放ち、初々しい令嬢が多い中で、凛とした佇まいはだれもの目を惹いた。
本人も今日の主役が自分であることを理解しているらしく、そつのない笑みを浮かべ、取り巻きに囲まれていた。お近づきになるいい機会とばかりに、その輪は大きくなっていく。時の権力者たちも、ロット卿の娘と知り合いになっておいて損はないとばかりにこぞって声をかけていくから、ちょっとした騒ぎになっていた。
(蜜に群がる蜂のようだな)
ディアスは不快そうに目を眇めた。
娘がこれでは、別室にいるロット卿におもねる連中はもっと多いだろう。
と、そのとき。
ディアスの視線に気づいたのか、カルロットが顔を上げた。
目が合うと、カルロットは嬉しそうに顔を綻ばせた。
しかしディアスは笑みを返すことなく、ふいっと逸らした。
そのせいでカルロットが表情を曇らせていたとしても、どうでもいいことだ。
(アリス……)
いつだって想うのは、ただ一人だ。
彼女がいて、はじめて世界は色づく。
アリスは自分にとっての光。
決して、穢したくない存在なのだ。
すでにアリスを誘拐した犯人を捕らえた旨を父から聞かされたとき、どれほど歯がゆく思ったか。救出するのは、自分の役目でありたかったのに……。
ディアスは、すべてを投げ打ってでもアリスの捜索に加わろうとしていたのだが、ラディ一世は許可しなかった。王室近衛兵として任をまっとうするよう、わざと上司がいるところで命じたのだ。
公爵家に泥を塗るつもりかと暗にいわれ、どれほどラディ一世のことを憎らしく思ったことか。
ディアスは別に家がどうなろうといいが、アリスは悲しむだろう。バルフィック公爵家が、落ちぶれるようなことになったのは、自分のせいだと卑下して。
それに、これからアリスを迎えるのであれば、経歴に傷がつくのは避けなければならなかった。
けれどその躊躇のせいで、ラディ一世にお株を奪われたのだからやってやれない。水面下で、彼もアリスを捜していたのだろう。
ディアスが面白くない気分でいると、大きく銅鑼が鳴らされた。
ご静粛に、と進行役が声を張り上げると、ざわめきが小さくなった。期待と興奮に彩られた顔が、ディアスとカルロットの間を行き来する。
「――では、これよりバルフィック公爵のご子息であられるオーラント・ディアス・オル・サンセット様とロット卿のご息女カルロット・アズ・ヴァンヅェー様のご婚約を……」
淡々と告げられる内容に、いたるところで歓声が沸き起こった。
喜びを噛みしめるカルロットとは対照的に、ディアスの顔色は冴えなかった。
本当にこれでいいのだろうか?
あとでいくらでも破棄することは可能だと理解していても、アリス以外の者と一時でも婚約関係を結ぶのは嫌だった。
と、そのとき。
静まった場内に、男の制止する声が響き渡った。駆け回る足音とともに、ディアスの耳を打ったのは、この世でもっとも大切な人の声であった。
「ディー――……っ!」
「ア、リス……?」
「まさか……」
ラディ一世も思わずといったように腰を浮かせた。
空気を切り裂くような涼やかな声音に、自然と人の波が二つに割れていく。
そこから現れたのは、男物の服を着込んだいつものアリスであった。一つに結わえた髪を揺らしながら、ディアスに近づいてきたアリスは、戦いに赴く戦士のような顔でじっと見上げてきた。
「よそ見をするな。お前は――オレのものだろ?」
にやりと不敵に笑うアリスの男前すぎる態度に、ディアスは呆気にとられた。けれど、すぐにその意味を理解し、なんともいえない甘い感情が体中を駆けめぐっていく。
(ああ、アリスだ……!)
こうして顔を合わせるのは、いつぶりだろう。
もう何年も会っていないようだった。
愛おしさが膨らんでいく。
たとえどんな姿だろうと、ディアスの目には彼女が光り輝いて見えた。
美しく煌めく緑がかった灰色の双眸に、ディアスが映し出されていた。ほかのだれでもなく、自分だけを見つめてくれるという事実が、こんなに嬉しいなんて。
ああ、魅せられていく――。
いつだって、何度だって、こうしてディアスの心は、アリスに奪われるのだ。
「な、なんですの! あなたっ。ここはあなたのような庶民が足を踏み入れてよい場所ではあのませんわ」
アリスの出現で、静寂が訪れた場内に、カルロットのかな切り声が響いた。
それが合図だったように、硬直が解けた貴族たちが、どよめきはじめる。
「貴族でない者がどうやって……」
「不法侵入では?」
「警備兵はなにをやっているんだ」
何人かは、アリスが元婚約者ということに気づいたらしく、非難の目を向けていた。
「あの娘は……。なんということだ。このめでたい席をぶち壊しおって」
「これだから下賤の者は、品がなくてイヤですわ」
しだいに、アリスを糾弾する声が大きくなっていく。
アリスがなんの権力もない平民だとわかったのだろう。
貴族たちの負の感情が一気にアリスへと向けられるが、アリスは微動だにしなかった。まるで周囲の声など聞こえていないかのように、顔色一つ変えず佇んでいた。
「オーラント殿っ」
声が聞こえたほうへと視線をやると、入口で衛兵の侵入を防いでいるアロウの姿があった。
テイトも加勢しているようだが、多勢に無勢。
「だ、だれかその女を捕らえるんだ! 陛下に害をなす存在だぞっ」
「はっ」
援軍を求める声に応じて、奥から重装備の警備兵が集まり出す。
ディアスと同じくラディ一世の身辺警護にあたっていた近衛兵も剣に手をかけようとしたが、ディアスが押しとどめた。
おいっと焦った声を上げる同僚を無視し、警備兵に捕らえられそうになっているアリスの元へ急いだ。
「アリスッ」
ディアスが現れたことにより、警備兵が躊躇するように足を止めた。さすがに<蒼き稲妻>を相手にすることは憚れたのだろう。
どうするかと顔を見合わせる彼らを一瞥すると、ひっと情けない悲鳴をあげて後じさった。
完全に腰が引けている彼らに対し、それでも宮殿の警護を担当している自覚があるのかと叱咤したかったが、今はそれがありがたかった。
「返事は、どうした?」
緊迫した状況だというのに、彼女の不遜さは揺るぎない。
呑気に話をしている場合ではないと頭ではわかっていても、ディアスの鼓動は速くなる。
この先、彼女の口から本音を聞ける機会はもうないかもしれないのだ。
ディアスは、ゆっくりと口を開いた。
「いい、の? 僕はもう、アリスを離してあげられないよ」
「望むところだ。お前こそ覚悟をしろ。どうやらオレは、人並みに執着心というものがあるらしい。あとあと嫌だと泣きつかれても、捕らえた籠の中から出してやることはできないぞ」
「本望だ。僕は、アリスしかいらない。アリスしか欲しくないよ」
情熱的に愛を囁くディアスに、アリスはほんの少しだけ頬を染めた。
「そんなっ! 嘘ですわ。オーラント様は、あたくしの婚約者で……」
カルロットが人をかき分けてやって来た。
騒ぎを聞きつけたロット卿だけでなく、遠巻きに眺めていた貴族たちもカルロットに加勢した。
だが、アリスをそっと抱きしめたディアスの顔は穏やかだ。どんな罵声を浴びせられてもどこ吹く風である。
触れたら壊れてしまいそうな華奢な体。
泰然とした雰囲気と少女らしからぬ言葉遣いのせいで、大きく見えがちなアリスだったが、本当はこんになにも小さいのだ。腕の中にすっぽりと収まってしまうアリスが、愛おしくて、可愛くて、まるで自分に合わせて生まれてきてくれたように感じられた。
鼻をくすぐるアリスの甘い体臭が、胸をかき乱した。
ようやく、アリスが手に入ったのだ。
普段だったら蹴られそうなこの行為も、今だけは許してくれるようだった。
アリスの存在をここぞとばかりに堪能するディアスに、少しだけ不機嫌な声が投げつけられた。
「アーリーから離れろ、ディアス」
「そのご命令には従えません。久しぶりの逢瀬を引き裂くとは、陛下も案外に無粋ですね」
「息を吹き返したか。小賢しいヤツめ」
舌打ちしたラディ一世は、いつの間にか静まり返った場内をゆっくり見回した。
どの顔も驚愕と、戸惑いを表に出していた。
なぜラディ一世が、ディアスを咎めるでもなく、こんなにも親しげに声をかけたのかわからなかったのだろう。
ラディ一世は、ディアスの腕の中にいるアリスに視線を向けた。
「アーリー」
慈愛に満ちた優しい声であった。
「……っ」
息を呑んだアリスは、ディアスの腕の中から抜け出すと、その場で膝をついた。
「なにをしている」
驚くラディ一世をよそに、アリスは頭を垂れた。
「どうかオレ――いや、わたくしの願いをお聞き届け下さい。ここにいるオーラント・ディアス・オル・サンセットをわたくしの婚約者としてお認め下さい。陛下のご命令とはいえ、わたくしの知らないところで、勝手に婚約を白紙に戻すなんて酷すぎます。こんなの不履行です!」
「陛下に向かってなんという口を……っ」
なんたる無礼、と叱る声があちこちから飛び出す。
しかし、ラディ一世は、おかしそうに吹き出してしまった。
「あぁ、アーリー。おまえの意見ももっともだ。私は、おまえの気持ちを無視していた」
「! それでは……」
「もしおまえがディアスを取り戻しに来たのならば、その願いを叶えてあげようと思っていたんだよ」
「そんなっ、陛下! なにをおっしゃっておりますの」
呆然と事の成り行きを見ていたカルロットが、信じられないとばかりに悲鳴をあげた。
胸を押さえ、悲劇の女主人公を演じる彼女に向かって、ラディ一世は冷たい視線を投げつける。
「カルロット嬢。君は、私の可愛い妹を誘拐するよう裏で画策していたようだね」
「ぇ……っ」
カルロットの顔が固まり、見る間に青ざめていく。
妹? とざわめく貴族に向かって、陛下は告げた。
「そこにいるアリスティナは、私の腹違いの妹だ」
ひぃっと息を呑んだカルロットの体が傾いた。
あれほどカルロットを慕っていた取り巻きたちは、恐れるように距離を置いた。
支える者のいない体が、無様に大理石の床の上に倒れた。どうやら、動転して、気を失ってしまったらしい。
こんなのは嘘です、だれかが娘を罠にはめたのです、と騒ぎ立てるロット卿ともども連行するよう警備兵に指示を出したラディ一世は、玉座で満足げに微笑んだ。
それをディアスはやはりおもしろくなさそうに見上げていた。
(結局、陛下がおいしいところをかっ攫っていくんだから)




