その二
「……ん、……――ちゃん、……て」
「んっ」
肩を揺すられ、闇の底へと沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。
「あぁ! よかった。このまま目を覚まさないかと思ったわ」
「……おば、さま……?」
「さぁ、急いで! 時間がないわ。舞踏会がはじまってしまうわ」
「!」
そうだ。
それまでの疲れが出たのか、あのあと気を失ってしまったのだ。
きっとバルフィック公爵が、アリスの部屋まで運んでくれたのだろう。
慌てて起き上がったアリスは、自分の格好を見下ろし、眉を寄せた。
着替えていたら、婚約発表は終わってしまう。
「テイト、行くぞ」
「はいっ」
すでにテイトは支度を調えていたようだ。アリスが目を覚ますのを待っていたのだろう。
「アリスちゃん……」
不安そうな彼女に、にっこりと微笑んだアリスは、何も言わずに部屋を出て行った。
バルフィック公爵家の家紋が入った馬車が、表に用意されていた。アリスたちが乗り込むと、馬車がゆっくりと動き出す。
早く、早く、と心ばかりが焦ってしまう。
呑気そうなテイトを思わず睨むと、彼は不服そうに唇を尖らせた。
「ボクのせいじゃありませんよ~。どんなに揺すっても起きなかったんですから。恨まれる筋合いはありません。……あ~ぁ、せっかくご主人さまに着飾ってもらおうと思っていたのに」
残念そうに呟くテイトに、アリスは片眉を上げた。
確かに、この格好ではいい顔されないだろう。
(兄様はどんな顔をするだろうな)
アリスは、揺れに身を任せながらゆっくりと目を閉じた。
もうすぐ、自分の人生は変わる。
それが良い方向なのか悪い方向なのか、まだ判断はつかない。
それでも思ったより落ち着いているのは、ディアスの件のほうがずっと大事だからかもしれない。
(ディーの本当の気持ちが聞きたいんだ)
アリスは脳裏にディアスの顔を思い浮かべた。
おば様たちは、ディアスがアリスに好意を持っているというが、まだどこか信じられなかった。
ディアスも兄の妹ではない、ただのアリスを見ていてくれているのだろうか?
義務感で付き合ってきたのではないだろうか?
その答えをはっきりと聞きたかった。
(オレは、悩みすぎていたんだな)
籠の中から解き放たれることはないとわかっていたから、こんな簡単なこともディアスに問いかけることはできなかった。
壊したく、なかったのかもしれない。
心地よいあの関係を。
恐れていたのかもしれない。
真実を知ってしまうことを。
だが、もう迷わない。
失いたくないのだ。
傍にいて欲しいのだ。
――ようやく、自分の気持ちに気づいた。
カルロットに対して感じた嫉妬。
あれがすべてだ。
「まるで、戦だな」
「ん? なにか言いました?」
「なんでもない」
くすりと笑みを零したアリスを不審そうに見つめたテイトは、外を眺めて、ぁっと小さく声を上げた。
「表玄関に到着します」
「あぁ」
アリスが頷いたと同時に、馬がいなないて停まった。
静かに扉が開かれ、踏み台が下ろされた。
テイトに続いて足を下ろしたアリスを胡乱に見下ろす複数の目。
すでに舞踏会ははじまっているらしく、招待客の姿はほかになかった。
招待状の確認を、と進み出る侍従に、アリスはテイトを一瞥した。
冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべるテイトに、まさかとアリスの顔も引きつる。
「どうなさいましたか?」
侍従の柔らかな声に、険が混じる。
正装もしていないアリスたちを不審人物と見なしたのか、脇に立つ兵士に合図を送っていた。それを受けて、彼らが近づいて来たそのとき、救世主が現れた。
「あれ? アリスティナ嬢?」
「アロウ!」
「なぜここに?」
不思議そうな彼に、アリスはすがった。
「頼む、中へ入れてくれ! 緊急なんだ」
「ぁ~」
ちらりと宮殿へと視線をやったアロウは、合点がいったようだった。
「姫を救うのは王子サマだと思ってたけど、なるほどね。勇ましいのは、お姫サマのほうか」
「なにを呑気な! ディーが……っ」
遠くへ行ってしまうと、泣きそうな声になるアリスの頭をアロウがぽんぽんと叩いた。
「このおれが責任をとる。行きなよ」
「! いいのか?」
「こ、困りますっ」
目を輝かせるアリスとは対照的に、侍従たちが慌てて立ちふさがる。
「招待状をお持ちでない方は、ご遠慮いただいて……」
「まぁまぁ。バルフィック公爵に目を付けられたくなかったら、大人しく言うこと聞いたほうがいいんじゃない?」
「そ、そういう問題では……」
困惑を深める侍従たち。
そのとき、馬が駆けてくる音が響き渡った。兄の私兵が追いついたようだ。見事な馬が疾走してくるのは圧巻であった。
アロウや侍従たちが何事かと目を丸くしていると、五頭の馬が、アリスの前でゆっくりと足を止めた。
「……はぁ、まったく、我々を巻くとは」
護衛の意味が……とぶつくさ文句を垂れながら、先頭にいた男が軽やかに馬から下りた。そして、懐から招待状を取り出し、恭しい仕草でアリスに渡した。
「お忘れですよ」
兄が用意したのだろう。
金の装飾が施された招待状を受け取ったアリスが、侍従に預けると、中身を確認した彼の表情が驚愕に染まる。
すっと姿勢を正すと慇懃に頭を下げた。
「先ほどの非礼をお詫び申し上げます。どうぞ、お通り下さい」
なにが書かれていたのか気になったが、それよりもディアスのことが気がかりだったアリスは、呆気にとられていたアロウに声をかけた。
「どっちへ行けばいい?」
「あ、ああ、おいで。案内してあげる」
ハッと我に返ったアロウは、アリスたちを手招いた。




