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第六章 俺様姫の苦悩 その一

 青年から事情を聞き終えたアリスは、「――なるほどな」と呟くと、嘆息した。


「す、すまないっっっっ」


 気位が高そうな青年が、今は情けなく地べたに這いつくばり、頭を下げていた。


「金繰りに困って……いや、元はといえば伯父上が私に金を寄越さないから」

「人のせいにするな」

「……ぅ、」


 怒りの矛先を伯父に向け始めた青年を一喝すると、しゅんと肩を落として小さくなった。

 叱られるのに慣れていないのか、アリスより九つも年上だというのに、狼狽しているさまは悪戯を見つかって叱られた子供のようだ。

 ついこの間、アリスに手を挙げた人物と同一人物とは思えない変わり様に、アリスはこめかみを押さえた。

 どうやら、長いものには巻かれるようで、テイトが小刀を突きつけて脅せば、自分の不利を悟ったのか、ぺらぺらと喋ってくれた。いわく、自分は騙されて金を巻き上げられただの、いかさまされたから負けただの、だから金が必要になって仕方なく悪事に手を染めたという自己弁論に終始したが。


(やれやれ、ほんとおじ様も勘が鋭い。まさか、おじ様の親族がオレの誘拐に荷担するとはな)


 うっかり公爵夫婦の会話を立ち聞きしていたあのときは、こうなるとは思ってもいなかった。


「お、お願いだ! 伯父上には黙っていてくれないか!? 貴様……いや、あなたのことを伯父上は捜索してないんだろ? 人が一人行方知れずとなったというのに、屋敷の周辺は静かじゃないか。おおっ、そうだ。婚約も破棄されたと聞く。いまさら戻ったところで邪魔になるだけだろ。このままほかの街にでも移り住んで――……」

「よく回る舌ですね。切り取っちゃいましょうか。そのほうが人類の、というか公爵さまのためです」


 テイトが天使のような笑みを浮かべながら、刃先を青年の口へと向けると、彼はひっと短く悲鳴をあげた。

 いつになく楽しそうなテイトを横目に、アリスは今後のことを考えた。

 青年の話が事実だとするのならば、自分はどう動くべきなのだろか。


(まさか、裏にカルロットがいたとはな)


 だれも予想しなかっただろう。

 憎まれているのは知っていたが、こうまでしてディアスの隣を手に入れたかったのだろうか。

 アリスは、唇をきつく引き結んだ。

 閉じていないと、変なことを口走りそうだった。


(……なんでだろうな。ディーに、無性に会いたい)


 彼の優しい声を聞きたい。

 彼の慈しむような笑顔を見たい。

 これまで一度もそんなことを思わなかったのに。

 アリスは、テイトに気取られないよう静かに拳を握りしめた。

 なぁ、ディー……。お前は、今、なにを考えている?





「……!」


 ふっと、アリスに名を呼ばれた気がした。

 振り返るが、そこにはだれもいない。

 落胆を滲ませながら、空を仰いだディアスは、眩しげに目を細めた。

 三日後に控えた舞踏会を前に、宮殿はその準備で大わらわであった。

 しかも、ディアスとカルロットの婚約発表が行われると密やかに広まっているらしく、ディアスの周囲は賑やかなことこの上なかった。

 貴族でもないアリスのことは受け入れなかった宮廷人は、相手がカルロットだと知ると掌を返したように喜んだ。今、貴族の間で、その話題を知らない者はいないだろう。


「アリス……」


 切なげに呟いたディアスは、いきなり肩を叩かれ、びくりと体を震わせた。


「気を抜いているなんて珍しい」

「アロウか。なんの用だ?」


 ディアスが冷たく睨むと、おおっこわ! と手を離したアロウは、しげしげとディアスを眺め、小首を傾げた。


「少し、痩せたのでは?」

「……」

「しかし、陛下も心ないことをなさる」


 ディアスから視線を逸らしたアロウが、ぽつりと漏らした。


「アリスティナ嬢が姿を見せなかったのは、カルロット嬢の件があったからか……。ほんと、もてる男は大変だ」

「軽口を叩きに来たのか?」

「まさか。不遇な目に遭わされたアリスティナ嬢がどうしているのかと心配になっただけ。表立って騒がないけど、気になってるのはおれだけじゃないし。いくら陛下のご命令とはいえ、かわいそうだって、擁護する声もあるんだよ? あんだけアリスティナ嬢のことけなしてたのにね」


 くすりとおかしげに笑ったアロウは、ディアスの顔を覗き込んだ。


「で、オーラント殿の憂いをおれがとって差し上げましょうか? おれはきみと違って余計なしがらみないし、まあ、たいして役には立たないかもしれないけど、話だったらいくらでも聞くよ」


 ディアスが口を開こうとしたそのとき、回廊の角からラディ一世が姿を見せた。両脇にバルフィック公爵とロット卿を従えたラディ一世が、ゆっくりとディアスたちの方へと向かってくる。

 慌てて片膝をつき、頭を下げるアロウに、ディアスもならった。

 そのまま通り過ぎるかと思われたラディ一世は、わざわざディアスの前で足を止めた。


「三日後を楽しみにしているよ」

「……もったいない御言葉です」


 罵声を浴びせたいのをぐっと堪え、ディアスはそう返した。

 ちらりと父を盗み見ると、苦々しい顔であった。アリスとの婚約解消を彼自身も快くは思っていないようだったが、命令に逆らえるはずもなかった。

 いつも国王の右側を陣取っていたというのに、今の公爵は左後方にいる。それが、現在の公爵の立ち位置を暗示しているようだった。


「おおっ、優秀な君がワシの義息子となるとは! なんとめでたいことか。これもすべて陛下のおかげですな」


 どこかひんやりとした空気が流れる中、ちっとも空気を読めていないロット卿がわざとらしい声を上げた。

 病を患い引退した身とはいえ、まだ足腰は衰えていないようだ。御年六十歳だというが、騎士の指導をしていたせいか体つきはしっかりとしていた。

 ディアスも一度、彼から剣術をならったことがあったが、そのとき、べた褒めされたものだ。将来、ワシのように名を残すだろうと。

 もっとも、人柄が尊敬できる人物ではなかったため、そう得意げに宣言されてもはなはだ迷惑だったが。

 数年経ち、また関わらなければならないとは。

 やはり、カルロットを選んだのは間違えだったのかもしれない。あのときから、すべてが狂ってきてる気がする。

 ロット卿に対し、ディアスがおざなりに相づちを打つと、彼は嬉しそうに喋り始めた。最高の娘婿を失ってなるものかとどこか必死さが滲む。

 ディアスのよそよそしさに気づいているのかもしれない。

 だが、彼の気を引こうと頑張れば頑張るほど、場は白けるばかりだ。

 それに焦ってか、ロット卿がますますまくし立てるように言う。


「なに、案ずることはない。カルロットほうが、前の庶民の小娘よりも何百倍もいいに決まっている。バルフィック公もお人が悪い。オーラント殿ほど見目がよく、優れた才をお持ちの若者をそんじょそこらの小娘に引き合わせるとは。聞けば、貧民街で育った孤児で、しかも貴族の血すら流れていないとか……。いやはや、酔狂と呼ぶには、いささか常軌を逸した行動ですな。まあ、幸いにも我が愛娘カルロットは、そんな過去など気にも留めませんぞ。ワシを第二の父と思って下され。――これからは、バルフィック公に代わり、ワシが陛下の右腕となり、オーラント殿を引き立てていきますからな」


 がははっ、と高笑いをするロット卿に、ラディ一世が頼もしいと声をかけると、ロット卿の顔がこれ以上ないくらい輝いた。

 対するバルフィック公爵は、無表情であった。感情をすべて押し殺しているらしい。注意深く見れば、口元が引きつっていた。


「この国に、無能な者は、いらないよね」


 ラディ一世の声音が、一瞬鋭さを帯びる。

 それは、だれに向けた言葉であったのか。

 なにもできない不甲斐なさを感じながら、ディアスはラディ一世一行が去っていくのを黙って見送った。


「あぁっ、腹立たしい! まるでロット卿が宰相にでもなったかのように振る舞って……。陛下もほんとなにを考えておられるのやら」

「……いやがらせだろ」

「ん? なにか言った?」

「いや、なにも」


 苦く笑ったディアスは、嘆息した。




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