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   その二

 尖塔が天高くそびえる壮麗な宮殿は、何度訪れても圧巻であった。

 白亜の城は、夜になると松明に照らされて、それは美しく暗闇にうっすらと浮かび上がるのだ。

 アリスは、慣れた足取りで裏庭を通り抜けていく。宮殿へと繋がる回廊を過ぎれば、近衛兵たちが生活する居住地区が見えてくる。数年前に改築したという近衛師団の宿舎は、まるで貴族の屋敷のようだと評判だ。

 宮殿ほどの華はないものの、壁には装飾が施され、どこか気品ある風情が漂っていた。三階建てで、正面扉や窓には、近衛師団の紋章である二本の槍を交差させ、獅子の顔が描かれた旗が掲げられていた。

 宿舎の前にいた非番の近衛兵を捕まえたアリスは、ディアスの居場所を訊いたのだが、どうやら彼は国王陛下の警護にあたっているらしい。

 こんなことなら、アロウに無理やりでも押しつけてくればよかったと後悔しても遅い。


「ご主人さま、どうします?」

「ふんっ、考えるまでもない。すまないが、これをディアスに渡しておいてくれ」


 不敵に笑ったアリスは、包みを目の前の男に押しつけた。

 とたん、近衛兵の顔が引きつり、見る間に青くなっていった。


「い、いえ……! あと少しで交代ですので、それまで藍の間でお待ち下さいっ」


 首がもげるんじゃないかというほど大げさに横に振り、包みを受け取るまいと後じさった。

 帰してなるものかと必死の形相で宿舎へと案内する近衛兵の姿に、アリスは怒りよりも憐憫を抱いた。


(ディーは、どんな仕打ちをしたんだ?)


 待つのが嫌いなアリスは、過去に何回もディアスに会う前に帰ったことがある。そのせいで、ディアスが暴れたというが、アリスにはピンとこなかった。

 ディアスは、国王陛下の警護や衛兵任務に当たる近衛師団の中でも、お飾り部隊と揶揄されるほど容姿の整った者だけが属することのできる王室近衛隊の隊員だ。家柄の良さに加え、文武に秀で、長身の若者だけが入隊を許された、近衛兵の中でも花形的部隊である。

 そんなすべての兵士の憧れの職業に就くディアスは、だれよりも容姿端麗ではあるが、そんな些細なことで感情的になる男ではないはず。どちらかといえば理知的で、争い事を引き起こすよりも諫めるほうが多いだろう。


(それとも、オレが知らないだけなのか?)


 アリスは、心の中で小首を傾げるばかりであった。

 毛足の長い絨毯が敷きつめられた藍の間で、テイトとともにディアスの帰りを待っていたアリスは、ふいに聞こえてきた足音に頬を緩ませた。

 ようやく来たか。思っていたよりも早かったな。

 冷めた紅茶を飲み干すと視線を扉へと向けた。


「――アリスッ!」


 よほど急いだのか、息を乱しながら扉を開けたディアスは、アリスを目に入れると柔らかな笑みを浮かべた。

 アリスの髪の色よりもずっと濃い、太陽の光のような髪が、陽射しを受けてきらきらと輝いた。すっと通った鼻筋に、金色の睫に縁取られた蒼くきらめく涼やかな双眸。白皙の美貌は、どんな表情をしていても魅力を損なうことはなかった。

 近衛兵特有の華美な装いも、彼にはよく似合っていた。羽を付けた黒い帽子に、朱金色の制服や腰に下げた剣が、いっそう知的な美貌を引き立てるようだった。

 見慣れた姿だというのに、一瞬、正装姿のディアスに目を奪われてしまったアリスは、ごまかすように咳払いをすると、カップをテーブルの上に置いた。


「珍しい。事前に知らせてくれたらよかったのに」


 アリスの隣へと腰を下ろしたディアスは、アリスが持っている小包に気づいて小首を傾げた。


「それは?」

「忘れ物だ。気づかなかったのか?」

「あぁ…ヴェールの書か。届けに来てくれたんだ。ありがとう、アリス」


 ヴェールの書は、ディアスの愛読書だ。軍人としての心構えが、著者独自の視点で描かれている。内容が独特すぎて、ほかの近衛兵には敬遠されているようだが、なぜかディアスは気に入っているらしい。

 嬉しそうに破顔したディアスは、顔を寄せるとアリスの滑らかな頬にキスをした。


「……っ、勘違いするな。おば様に言われて仕方なくだっ。そうでなかったら、だれがこんなところに来るか」


 頬に朱を走らせたアリスは、ふと何かに気づいたように眉を寄せた。


「ディーよ」

「ん?」

「よもや、アイツには言ってないだろうな?」


 アリスがじろりと睨むとディアスが目を逸らした。


「ディー!?」


 言ったのかと気色ばむアリスを安心させようと、ディアスが笑みを浮かべる。が、その顔はどこか引きつっていた。


「僕はなにも。だいたい、僕が君の嫌がることをするはずないだろ。けど、あの方は独自の情報網を持っておいでだ。君が姿を現したことなど、すでにご存じかもしれないな」

「! 帰る! テイト、行くぞ」


 堪らず、すっくと立ち上がって、テイトに声をかけた。

 その勢いのまま部屋を飛び出そうとしたが、次のディアスの一言で固まってしまった。


「アリス……もう少し、一緒に過ごしたいな」

「な……っ」


 パクパクと魚のように口を開くアリスに向かって、ディアスが熱い視線を投げた。


「僕は、しばらくここに寝泊まりすることになったからね……。その間、君の顔を見れないのはあまりにも辛い」

「!」

「本当は、アリスが寂しがって、僕に会いに来てくれたんじゃないかって期待したんだ。でも、そう望んでいたのは、僕だけだったみたいだ」


 悲しげに言われて、アリスは言葉を詰まらせた。

 憂えるディアスの姿は、男だというのに、朝露に濡れた薔薇のような美しさだった。アリスに非はないのに、思わず罪悪感を覚えてしまうほどだ。

 どんな言葉をかけるべきか思い悩んでいると、ディアスがいきなり吹き出した。


「ふふっ、悪かったよ。困らせて」


 アリスの悩む姿がよほどおかしかったらしい。

 優雅に立ち上がったディアスが、優しくアリスの頭を撫でる。


「んな…っ、嘘だったのか!?」

「さっきのは、僕の本心。一時でもアリスと離れていたくない。アリスは?」

「ふんっ、オレはせいせいするけどな」


 ディアスは、どうしてもアリスから愛情のこもった言葉を聞きたいらしいが、アリスのほうが一枚上手だった。


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