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   その二

「テイト、か?」


 飾りもなにもない簡素な室内は、どこかひんやりとしていた。むき出しの土に、食べ物の残骸らしきものが散らばっていた。臭いの元はこれだろう。

 テイトは、アリスの元へと駆け寄った。

 こんなに衛生状態が悪いところに彼女は放置されていたのだ。体調を崩していないか心配だった。


「はいっ」

「よく、居場所がわかったな」


 捕らわれた状況だというのに、アリスの態度はいつもと変わらなかった。

 それがどうしようもなく嬉しかった。

 安堵が胸いっぱいに広がっていく。


「あぁっ、お労しいお姿ですっ」


 まともに風呂も入らせてもらえてないのだろう。

 あんなにも美しかった髪はぼさぼさで、ところどころ藁が絡まっていた。服装も、アリスが寝間着で使っていたものだ。

 少しだけ頬が痩け、顔色もよさそうにみえなかったが、アリスらしさは失われていなかった。どんなに窮地に立たされようと、アリスはアリスなのだ。


(最初に見つけたのがボクでよかった……)


 もし、ディアスがアリスのこんな姿を見たら……。

 テイトは身震いをした。

 想像もしたくなかった。

 ただ一つ言えるのは、こんな目に遭わせた者が、日の出を見ることは二度とないだろう。

 アリスに怪我はないかと目を凝らしていたテイトは、青紫色に変色した右頬に気づいた。


「はっ、もしや殴られたんですか!? ご主人さまの玉のようなお肌が……っ」

「これくらいのことで騒ぐな、うっとうしい」


 煩わしそうに顔をしかめたアリスは、嘆息した。


「それより、コレを外せるか? 邪魔で仕方ない」

「もちろんです!」


 足かせを指さしたアリスに、元気よく返事をしたテイトは、懐から針金を取り出すと、アリスの細い足首にはめられていた枷を簡単に取り去ってしまった。


「オレがいきなり消えてから、なにかあったか?」

「あ、ありすぎですよ~。ご主人さまが……ええ、結果的に誘拐だったんですけど、ああ、もぅっ、オーラントさまには、新しい婚約者が現れるし……!」

「婚約者……?」


 それはなんだ、と訝しげに小首を傾げるアリス。

 しまったと慌てて両手で口を塞ぐテイトだったが、アリスの無言の圧力に負け、渋々と事の経緯を話した。

 すべてを聞き終えたアリスは、気難しそうな顔で相づちを打った。


「なるほどな。陛下の命令とあれば、ディーも断れまい。……まったく、兄様も困ったお方だ」

「ご主人さま、どうかお早く、お戻り下さいませっ。ご主人さまが無事であるとわかれば、そんな馬鹿な話もなくなります」

「……」


 アリスは、必死に訴えるテイトからすっと視線を逸らした。


「ご主人さま……?」

「いい機会ではないか」

「え?」

「オレから言うのは心苦しいと思っていたが、陛下のご命令とあらば、体面を気にする必要はない。綺麗にまとまってよかったじゃないか。あの娘は、性格に難はあるが、ディーのことを好いている気持ちに偽りはなさそうだし。家柄も釣り合いはとれていて、似合いの二人だと思わないか? よほど、オレと並ぶよりも絵になる」

「本気、ですか……? うそですよね? オーラントさまの想いを無下になさるおつもりですか!?」

「――予定変更だな。オレはもうしばらくの間、囚われの身でいよう。テイト、オレのことは秘密だぞ? なに、今のところ殺される心配はなさそうだし。舞踏会が終わったら、迎えに来い」

「なにをおっしゃいます!」

「お前は、だれの下僕だ?」

「……っ」

「主人の命令を聞けない召使いなら、――いらない」

「!」


 テイトは、目を大きく見開いた。

 アリスに忠義を尽くすテイトにとって、それはあまりにも心に突き刺さる一言であった。

 アリスの身を案じるのであれば、すぐにでもアリスを連れ去るか、公爵に事情を説明して救出してもらうべきだろう。

 しかし、それを選んだ場合、アリスは二度とテイトを傍に置かないだろう。


(そんなの、イヤだ……っ)


 最初は、興味本位だった。

 売られそうになった自分を大金払って救った偽善者の本質をみてやろうと。

でも、仕えるうちに、アリスの出自の複雑さや彼女の抱えるものの大きさに気づいた。

 本当なら、ドレスに身を包み、傅かれる立場だというのに、アリスは着飾ることを拒んだ。貴族でいることよりも、それまで過ごしてきた自分の姿を守り通したのだ。

 どんな陰口を叩かれ、嫌味を言われても、そればかりは曲げなかった。


『忘れたくないんだ』


 一度、なぜ突き通すのか訊いたとき、アリスはそう言って苦笑した。

 貴族の生活になれてしまったら、自分を見失ってしまいそうで……と。

 それは、いつでも自信あふれるアリスの弱さがかいま見れた瞬間だった。

 元々、貴族にいい印象を抱いていなかったテイトは、酷く驚いた。彼女が育ってきた環境は、もしかしたらテイトより悪かったかもしれない。その日食べる物にも欠く有様だったのだから。

 その状態からだれもが羨む生活を手に入れて、普通だったら傲慢になってもいいはずである。

 でも、アリスは、自分を見失うことなく成長した。

 驕れることなく、周囲の環境にも惑わされることもなく、アリスはアリスで居続けた。


(ボクが唯一認めたご主人さまなんだから)


 アリスはきっと知らない。

 テイトがどんなところで育ったか。

 育ての親の教えでは、一度主人を定めたなら、一生涯その者に付き従うようにとあった。その教えに嫌気が差して、彼らのところから逃げ出したのだが、運悪く人買いに捕まってしまった。

 売られそうだったところをアリスに買われたのだ。


(変なの……。ボク、あれほど嫌ってたのにな。主人を持つことに関して)


 これも縁なのだろう。

 多分、教えなどなくても、アリス以外に仕えようとは思わなかった。


(だってご主人さまってば、怒りっぽいし、ボクのことからかうし、身だしなみだってちゃんとしてなくて……だから、ボクがいないとダメダメなんだ)


 強い光を宿したテイトは、答えを待っているアリスに向かってゆっくりと口を開いた。



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