その三
バンッ
荒々しく扉が開く。
現れたのは、大柄で、目は細く、鷲鼻が特徴的な中年の男だった。いつもと同じ、色が落ち、くたびれた服を着崩して着ていた。
「おら、メシだ。とっとと食いな」
乱暴に置かれた器から汁が飛び散り、地面に吸い込まれていく。
男は、身じろぎもしないアリスを見下ろすと鼻で笑った。
「まったく、アイツもとっとと処分しちまえばいいのにな」
しかし、アリスがなんにも反応しないのがわかると、面白くなさそうに舌打ちして、大股で出て行った。
「……ふぅ」
アリスは、詰めていた息をゆるりと吐いた。思っていたより、緊張していたようだ。
(四日……いや、五日か……?)
ここに閉じこめられてから何日経っただろう。
気を失っていた時間が長くなかったら、四日かもしれない。ずっと閉じこめられていると、時間の感覚がなくなってくるから不思議だ。差し込むわずかな光と、大聖堂の鐘の音だけが時間を知る唯一の方法だった。
(いつまで、こんなところにいればいいんだろうな)
日に二回、あの男がまずい食事を運んでくるだけだ。彼の呟きから、単に雇われただけの人物であることはわかっていたが、肝心の首謀者が姿を見せることはなかった。
このままゆっくりと朽ち果てるのを待っているにしては、ツメが甘い。
殺すでもなく、ただ閉じこめているだけの状況。
一体、なにが目的なのか。
身代金目当て?
それとも、アリスの存在自体が邪魔なのか……。
どんな理由にせよ――。
「披露目に間に合うかどうかだな……」
この大事な時期に、厄介事に巻き込まれたものだ。
ぐぅぅっとお腹が鳴ったアリスは、苦笑した。こんなときでも腹は減る。
小さな格子窓から差し込む細い光に照らされ、薄茶色のスープが揺らめいた。野菜の皮の欠片がわずかに入った質素なスープをがぶ飲みしたアリスは、顔を歪めた。
「……まずっ」
まるで、泥を飲んでいるようだった。
アリスが貧民街で生活してたときだって、もっとマシなものを食べていた。
(くそっ、覚えてろよっ)
あの男の明らかな嫌がらせだ。
と、そのとき。
ガシャンッとなにかが割れる音がした。
「――……っだ!」
苛立たしげに叫ぶ声に、アリスは耳をそばだてた。
「落ち着け……、」
声の主をなだめているのは、ここに食事を持ってきた男のものだろう。
どうやら、ようやく首謀者が現れたらしい。
それから少しして、扉が音を立てて開いた。
すっと目を眇めた先に、ひょろりとした体躯の青年がいた。影となっていて顔がよく見えないが、身なりはよさそうだった。
「貴様が、ディアスの許嫁か。ふんっ、貧相な顔だ」
「……」
青年がディアス、と親しげに呼んだことに、アリスは眉を潜めた。
「こんなガキをバルフィッ公爵家に迎え入れようとするとは、現当主も堕ちたもんだな」
「――なぜ、オレをさらった。なにが目的だ?」
「言葉遣いもなっていないとは……。やれやれ、駄犬にはちゃんと躾が必要だというのに」
侮蔑がこめられた声音に、アリスは薄く笑みを引いた。
「喋るしか能のないサルよりマシだろ」
「な……っ」
「ああ、違ったな。まだ、サルのほうが、知恵がある。お前は、サル以下だ。こんな野蛮なマネしかできない、原始人め」
「この……っ。ええい、黙れっ」
つかつかと近寄ってきた青年は、アリスの頬を叩いた。
「……ッ」
歯を食いしばるのが一瞬遅れたせいで、口の中が切れた。鉄の錆びたような嫌な味が広がる。
顔をしかめたアリスは、血の混じった唾を地面に吐き捨てた。そのまま顔を上げ、青年の顔を拝んだ。
(どこかで会ったことが……?)
きっちりと後ろになでつけられた髪とは対照的に、頬は痩け、目の下にはクマが不規則な生活を物語っていた。身なりもよく、上流階級の人間らしい品はあったが、血走った目は荒みきり、そのせいで、狂気を宿しているような、近づきがたさを醸していた。
「いいか! 貴様の命は私が握っているんだ。私を侮辱する発言は、慎め。さもないと、二度と日の出を見ることは叶わないぞ」
唾を飛ばしながら、アリスの前髪を掴んだ青年。
痛みに顔を歪めると、青年の目が爛々と輝く。人の不幸に愉悦を感じるかのように、ひー…ひっひっと高笑いをした青年だったが、突然ぴたりと笑うのをやめた。
「興ざめだ」
鼻白んだ青年は、髪を掴んでいたパッと手を離すと、去っていった。
泣き叫びもしないアリスの態度が面白くなかったのだろう。
「……なんだ、アレは」
前髪を押さえながら呆然と呟いた。
耳障りな笑い声が、耳に残るかのようだった。
(ん? そういえば、あの笑い方は、どっかで……?)
アリスは、気難しげに眉を寄せた。




