その二
「……ッ」
「ディアス。まだアリスの存在が公にされていない以上、あの方は表立って動けはしまい。おまえが、あの方の手足となって動いて差し上げろ。きっと、平静ではいられないだろうからな」
「父上は、あの方とアリス、どちらが大切なんです!」
堪らず、ディアスは怒鳴った。
アリスが姿を消したというのに、公爵は顔色一つ変えず、淡々としていた。さすがに切れ者と謳われたことがある芯の強さだ。けれど、ディアスは父のようにわき上がる感情を理性で抑えつけることはできなかった。
忽然といなくなったのは、アリスなのだ。
家族同然に育ったアリスだというのに、なぜそんなにも落ち着いていられるかディアスには理解できなかった。
「なにをたわけたことを……」
「答え、られないんですか? 僕は、あの方よりもアリスのほうが大事だ」
「ディアスッ」
わずかに顔をしかめた公爵が、咎めるように名を呼んだ。
しかし、ディアスは怯まなかった。
「僕は、今すぐにでもアリスを捜しに行きたい。近衛兵だから身動きが取れないというのならば、職を辞してもいい。僕は、父上とは違う。あの方に縛られている父上とは」
「やめないか!」
ついに公爵の鋭い声が飛んだ。
「ディアス、おまえの立場を忘れるな。あの方と対等であると勘違いしてまいか? この国からおまえ一人、いなくなったところで、なにも変わることはない。だが、あの方になにかあれば、この国は確実に滅ぶだろう。この国の未来のために優先すべき事など、端から決まっている」
「ハッ、では、アリスがあの方に害となるのならば、見捨てるつもりですか」
そう皮肉ったディアスは、付き合いきれないとばかりに公爵に背を向けた。
「待ちなさい、ディアス。まだ、話は……――」
パタンと扉を閉めると、公爵の声が聞こえなくなった。
衝動のままガンッと壁を殴ったディアスは、片手で顔を覆った。
(アリス――、アリス……っ。どこにいるんだ?)
アリスの置かれている状況を考えると、胸が引き裂かれるように痛い。
部屋は荒らされていた形跡はなかったが、窓が開いていたことといい、アリスが自ら行方をくらましたとは思えなかった。何者かに誘拐されたのだと考えたほうがいいだろう。
確かに、披露目の日のために覚えることも多く、無理をさせていたかもしれないが、それくらいで投げ出すアリスではない。
いや、そう思いたいだけなのかもしれない。
なんといっても、今回は婚約を発表するだけではなく、アリスもあの方の妹として公の場に出なければならないのだから。小さな体の内に抱える葛藤は、相当なものだろう。
慰めることも、気の利いた言葉ひとつもかけることのできない自分をどれほど恥じたことか。
婚約者だというのに、アリスがなにを想い、なにを考えているのかわからない。
それが酷く、情けなかった。
「オーラント殿?」
「……っ」
顔を上げたディアスが振り向くと、声の主がおかしそうに笑った。
「なんだい、そんな険しい顔をして! せっかくの色男が台無しだ。いや、もちろんきみはどんな顔でもいい男だけどさ。悔しいことに。ご令嬢方が夢中になるはずさ」
藍色のマントをなびかせながら、アロウが颯爽と歩いてきた。
「珍しいな、こんなところにいるとは」
氷翼騎士団に所属するアロウとは、同期にあたる。
彼のほうが年は二つばかり上だが、年が近かったせいか、いつも一緒に行動していた。ときには競い合い、ときには切磋琢磨し、ディアスが心を許した唯一の存在だ。
わずか十五歳で、近衛師団に異例の入団をしたディアスのことを当時はやっかむ声が多かった。実力で入団したんじゃない、バルフィック公が裏で手を回したのだ! と噂が広まり、向けられる視線は嘲笑と嫉妬ばかりだった。
そんなとき、見習い兵だったアロウがはっぱをかけて、くじけそうだった背を押してくれたのだ。
彼がいたからこそ、ここまで来れたのかも知れない。
まあ、もっとも、黙ってやれるばかりのディアスではなかったし、噂を流した張本人にはしっかりと灸を据えたが。
今では、<蒼き稲妻>と呼ばれ、恐れられるまでに成長したが、ディアスが背を預けられるのはアロウだけだと思っている。
国教であるアル=バナール教の守護騎士としての道を選び、氷翼騎士団に入団したアロウとは、袂をわかつことになったが、国を守るという根本にある思いに変わりはないだろう。
「あぁ、団長にちょっとね。さっき、ドミーナ市場で乱闘があってさ。まいっちゃうよ。人手が足りないからって、おれまでかり出されるんだから」
その割には、服に汚れどころか乱れもなかった。氷翼騎士団の未来を背負う一人だけあって、腕前は確かだ。本気で勝負を挑んだら、ディアスですら勝てるかわからない謎めいたところをアロウは持っていた。
体動かしたから熱いや~と髪をかき上げたアロウは、そういえばと声を落とした。
「アリスティナ嬢の悪評を放置しておくなんて、らしくないんじゃないの? 彼女の耳に届いたらどうするの。ま、おれとしては、傷ついたアリスティナ嬢を慰めてあげるって役どころも美味しいと思うけど」
「アリスは、僕の婚約者だ」
「あははっ、わかってるって。冗談だよ。じょ、う、だ、ん! 柄に手をかけないでよ。血気盛んなんだから。――けどさ、気をつけたほうがいい」
笑みを消し、真剣な表情となったアロウをディアスは静かに見返した。
「おれは、恋愛に身分なんて関係ないと思うけど、貴族連中はなによりも血統を重んじてるでしょ。それって結構、厄介だよね。バルフィック公爵家に、平民の血が混じることを快く思わない奴らがアリスティナ嬢の醜聞を流しているんだってさ。そりゃもう、あることないことね。宮廷人って、噂好きの連中ばかりだし、あっという間に広がってるってわけ」
「……」
「日増しにアリスティナ嬢を排除しようとする声が大きくなる中で、結婚するなんて難しいんじゃないの? このままじゃ、全貴族を敵に回すことになる。いくらバルフィック公爵家だって、無視できないでしょ」
「ふんっ。馬鹿らしい」
ディアスは、アロウの訴えを一笑に付した。
嘲るような物言いに、さすがのアロウもカチンときたのか、頬を引きつらせた。
「なんて、ふてぶてしい態度。せっかくこのおれが忠告してあげたのに!」
「僕は、頼んでない」
「くっ、冷たい……」
心臓を押さえ、よろめくアロウを放って、ディアスはそのまま廊下を歩き出した。
「ちょ、……ノリが悪いんだから。……あ、そうそう。カルロット嬢がまた探してたよ、きみのこと。もてる男は辛いねぇ」
絶対にアロウは愉しんでいる。
不快そうに顔を歪めたディアスは、彼の言葉を無視した。
ディアスにとってカルロットは、アリスを呼び寄せるための道具でしかなかった。目的を達成し、お払い箱となった今、その存在は邪魔なだけだ。
しかし、いくら邪険に扱っても、彼女は一向にめげないのだから始末に負えない。普通の娘なら、ディアスの冷たい言動に涙し、二度と現れないだろう。
「なにが血統だ……っ」
家柄を重んじる貴族の考え方が、腹立たしかった。
アロウの台詞ではないが、ディアスも恋愛に身分は関係ないと思っていた。
しかし、現実は――……。
悔しそうに顔を歪めたディアスは、ぎりっと奥歯を噛みしめた。




