その三
「あたくし、調べさせてもらいましたわ」
客間で待っていたのは、意味ありげな笑みを浮かべたカルロットであった。傍らには、侍女らしい者が控えていた。
どうやら、今日は取り巻きがいないらしい。
だからだろうか。
公爵家に赴くには、いささか地味な格好をしていた。全身を紺色でまとめ、赤みがかった金髪を横に流し、お忍びでやって来たような姿だ。
そんな彼女を大きな窓から差し込む光が照らしていた。壁紙から調度品まで、すべて白で統一された上品な趣の室内も、光に当たってきらきらと輝いていた。
そんな中、中央に置かれた長いすに優雅に腰をかけるカルロットの姿は、さすがに貴族だけあって絵になる光景だったが、その顔に浮かぶ笑みはどこか醜悪だ。
「あなた、孤児だったそうね」
嘲笑するようにそう吐き捨てたカルロットは、レースの扇子を取り出して口元を覆った。
胡乱げに彼女を一瞥したアリスが目の前の席に腰掛けると、すかさず、待機していた使用人が卓の上に紅茶を置いた。それに礼を言ったアリスは、テイト以外の使用人を下がらせた。
きっと、カルロットは、ろくなことを言わないだろう。彼女たちが公爵の耳に入れたら大変なことになる。
(貴族同士の抗争など、洒落にならんからな)
アリスを守るためだったら、公爵は戦争くらいしてしまうかもしれない。厄介なのは、そこにクロイツが嬉々として参戦したときだ。
(ダメだ……国が滅びる)
考えただけでも、震えが走った。
「隣街の貧民街で育ったそうだけど、血筋が知れているわね。なぜ、オーラント様は、こんな貴族でもない女と婚約なんて……っ」
ぱちんと扇子を閉じたカルロットは、きつく握りしめた。その手は怒りに震え、アリスを睨みつける眼差しは、憎々しげだった。
調べたというから、一瞬どきりとしたアリスは、笑いそうになるのを必死に堪えた。
(ずいぶん、雑な調べだな)
こういう場合に備えて、クロイツたちが手を回して隠匿したのだろう。さすがである。彼らにかかれば、白も黒となろう。
「あなた、なにか弱みでも握っているのね!? そうじゃなきゃ、地位も財産もないあなたなんかがオーラント様と婚約できるはずもないわっ。あたくしが、オーラント様をあなたの魔の手から救ってみせる」
鼻息荒く宣言するカルロットに、アリスは呆れた笑みを浮かべるしかできない。
たとえカルロットが親の権力にすがったとしても、婚約を白紙に戻すことはできないだろう。
「なによ、その顔! いいわ。余裕ぶっているのも今のうちよ。あたくしのほうが、オーラント様に相応しいんだからっ」
カルロットはそう言い放つと、気分が悪いと侍女を従えて去っていった。
「はぁ~、なんとも嵐のようなお方ですね」
後ろに控えていたテイトが、げっそりと頬をやつれさせながら呟いた。
そのまま、手つかずの茶器を素早く片付けていく。
アリスは、肩をすくめた。
「まあ、元気があっていいんじゃないか?」
「ご主人さまは、懐が広いといいますか……。もう少し、怒ってもよろしいのでは? だって、あの女は、オーラントさまの婚約者であるご主人さまに、無礼な口を利いて……!」
「落ち着け、テイト。しょうがいだろ。今のオレには、なにもないんだから」
「それは……っ」
悔しげに唇を噛むテイトの心中を察して、アリスは声を和らげた。
「三週間後の舞踏会で、オレはオレではなくなる。すでに聞いているな?」
「! は、はい……。朝方、旦那さまからお聞きしました」
「お前も、覚悟をしておけ。周辺が、騒がしくなるぞ」
「ご主人さまは、よろしいのですか?」
テイトは、不安げにアリスを窺った。その目は、アリスを案じるようにゆらゆらと揺れていた。
「いいも、悪いも……オレにはどうもできん。ただ、流されるしかない」
アリスの脳裏に、ディアスの姿が浮かぶ。
秀麗な顔立ちは、どんなときでも非の打ちようがないないのに、アリスに向ける顔は蜜よりも甘く、美しかった。
アリスを心から愛おしんでくれるディアス。
そんな彼をアリスも好きだった。
けれど、と思うのだ。
(ディー……もう、後には引けないぞ?)
もし、自分が兄の妹ではなかったら。
もし、自分が孤児のままだったら。
果たしてディアスは、自分を好きになってくれただろうか?
アリスには、それがわからない。
与えられる愛情を心から信じ切れないのだ。
(なぁ、ディー。オレたちは流されているだけではないか?)
貴族でも五指に入るほどの名門バルフィック公爵家と血縁関係を結べるならば、全財産を投げ打ってもいいと声高に宣言する者もいるほど、バルフィック公爵家は特殊な地位にいる。
現バルフィック公爵は、国王陛下が生まれた頃から仕えていた重鎮であり、陛下に意見できる数少ない人物の一人だ。
その長男であるディアスは、社交界でも注目の的だ。
幼少のみぎりから眉目秀麗で、文武にも長けるディアスを花婿に望む声は、今なお多い。
それは、公式の場で婚約者の存在を明らかにしていないからだろう。
隠しているわけではないが、ディアスがすでに婚約しているという事実を知っている者は、ほとんどいない。
バルフィック公爵は、アリスの立場を慮り、殺到する縁談の話を伏せているようだが、噂は自然とアリスの耳にも届いた。
結婚相手として、陛下以外ならば、ディアスが最も理想的な男性だ。だからこそ、だれもが欲しがっている。
ひとたび夜会にでもディアスが顔を出せば、うら若い乙女たちはうっとりとしながら、花の蜜を吸う蜂のように群がっているという。
――きっと、アリスがいなければ、ディアスは選びたい放題だったはず。アリスよりも美しく、教養のある姫君を迎えることができたのだ。
「ご主人さま……? どうしました、具合でも悪いですか?」
茶器をお盆に載せ、入ってきた使用人に手渡したテイトが、黙り込むアリスを不審に思ってか、小首を傾げた。しかしすぐに、目を大きく見開いた。
「はっ、もしやあの女の戯言に心を痛めておいでですか!? それは大変ですっ。オーランさまに頼んで、害虫駆除を……いたっ」
「落ち着け、バカ者。少し、考え事をしていただけだ」
傍にあったクッションをテイトに投げつけたアリスは、脱力したようにそのまま長いすの上に横になった。
「ご主人さま……?」
「テイトはいいな。気楽で……」
「な……っ。ご主人さまに言われたくありません! ボクはこれでも忙しいんですよ。ご主人さまの身の回りのお世話をはじめ、掃除に、剣術の練習に、勉学に……!! 寝る暇もなく、身を粉にしてご主人さまにお仕えしているというのに、その言葉はあんまりです! 取り消して下さい。さあ、今すぐ」
「だったら、解放されるか?」
「は?」
「よくよく考えたら、お前もオレの被害者だな。うん。良い機会だから、契約を破棄してもいいぞ。お前は晴れて自由の身だ。どうだ? 嬉しかろう」
「~~……っ! アナタって人は……失望しました! ボクが従っているのは、アナタだからです。アノ時、ボクは自由だった。それをあえて、縛られる道を選んだのは、アナタの傍にいたかったから……っ」
苦しそうに叫んだテイトは、大きな双眸を潤ませると、布巾を握りしめて部屋から出て行った。
バタンッと勢いよく閉まる扉の音が、彼の心情を表しているようだった。
アリスは嘆息すると、窓の外に広がる空を見上げた。
「どうかしてる……」
自嘲するように口の端を持ち上げたアリスは、ゆっくりと目を閉じた。




