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今がその時だ、と誰かが言った 1

第3章 「今がその時だ、と誰かが言った」


      1


 深夜一時少し前。

 

 無機的な会議室に置かれている折り畳み式の長机と安物の椅子を脇にどけると、羽生秋人は二畳ほどのスペースを作った。

 ワイシャツを脱ぐ。白のリブタンクトップに包まれた肉体があらわになる。鍛えられていた。体が資本なのだ。

 空いたスペースにヨガマットを敷き、プッシュアップバーを持ち出して腕立てふせを行う。

 折り曲げるのにたっぷり五秒、伸ばすのに同じく五秒かける。それを十回。三〇秒のインターバルをおいて三セット。いわゆるスロートレーニングと言うものだ。回数をこなすよりも格段にきついが、効率的である。

 「効率的」は秋人の好きな言葉ベストスリーには入るだろう。

 もちろん本当に効率を目指すのであるなら高重量の物体を扱うのが最適なのだが、筋力の維持を目的としているのだからこのぐらいで充分である。

 次に仰向あおむけに寝て、両脚を曲げたまま宙に固定し、腕を胸前で組んでから上体を起こす。

「クランチ」という腹筋運動だがこれもスローに行うことで効果はぐっと高まる。同じく十回×三セットを終え、ふう、と息を吐き、彼はタンクトップを脱いだ。流れる汗をぬぐう。ぬぐったその胸にV字型の傷がある。ちょうど心臓の位置、五百円玉の直径の中に隠れるほど。そしてその傷の下には三角形の盛り上がりが見えた。ボディピアスの一種である「インプラント」であろうか?

 彼はタオルを椅子の背に欠けると息をつぐ。

 あとはスクワットと静的ストレッチをしたらシャワーを浴びて寝るだけだ。

 というところで携帯が鳴った。

 チッと彼は舌打ちして、電話にでる。表示されていた夜間監視員の押し殺した、しかし興奮した声がスピーカーから流れてくる。


「今、はい、二分前です。部屋に電気がつきまして……あ、出てきます。マル対です。二人、出てきました。あ、あ、あ、あ、飛んだ!飛びました!」


 そりゃあ魔女だ、空ぐらい飛ぶさ。

 やれやれ、と心の中でため息をついてから落ち着け、と声をかけて「それで、マル対はどの方角へ飛んで行ったんだ?」

 とただす。


 しばし沈黙。


「東です!東の方角に!」

 やはりな。

 秋人は確信に近い感触を得た。

 この三日間の行動を見ていて、そうなることは自明と言ったところだ。

――まあ、逆に考えれば面倒がなくていいさ。

 もちろんなぜそのような行動に出たのかは依然として謎ではあるが、彼が考えるところはそこではない。やることは、事ここに至っては一つだろう。

 秋人はBCAA(分岐鎖アミノ酸)のサプリメントをスポーツドリンクで流し込むと、相棒を起こすために仮眠室へと向かった。



        2


 薄いレースのカーテン越しに蒼い月明かりが差し込んでいた。

 シャラン、と涼やかな金属音が鳴る。

 リリナは黒いレースのワンピースに身を包み、銀色に輝く金属細工のかんむりひたいいただいた。いわゆる月桂冠げっけいかん華奢きゃしゃにしたような、草木をモチーフにしたティアラである。

彼女の身を、月光をこごらせたような清浄な光がすべらかに満たす。満たして、ふっと消え去り、冠の中央にある透明な宝石に青白く炎のような光が灯る。

 手首の腕輪(ブレスレット)、腰のチェーンベルト。いずれも(ティアラ)と同じ意匠を用いた、繊細でリリナに似つかわしいデザインである。だが、美しさは副次的なものだ。

 前回、彼女は不覚を取った。慢心と言うべきであったろう、護身用の結界で事足れると思っていたのだ。そうではないことが分かった今、リリナは魔法の鎧を身にまとった。彼女の身にまとう一切の衣服、頭髪の先にまで漏れなくコーティングしている。

 厚さはあるかないか分からないほどだ。指で触ればつるつるとしていることが分かるが、見た目ではもう完全に分からない。言ってみればタイツのように収縮して、動きを妨げない。だが鋭い攻撃に対しては瞬時に硬化し、その際には厚さ五センチの鋼板に匹敵する強度を有する。

 もちろん先般せんぱん彼女を苦しめた締め付けにも硬化は対応する。唯一「重さ」がないので衝撃を吸収しないのが本物のヨロイに比べると劣る点だが、それは「軽さ」とのトレードオフなのでどうすることもできないし、むしろそのような攻撃を受けないという思想のもとに製作された「鎧」なのである。

 王女より貸し与えられた秘宝。いわゆる魔法の道具、だ。

 魔力が封入されているために、魔法による起動を行えば魔力消費量はほぼゼロ。魔法装具はどんどん魔力(体力、と言っても大きく間違いではない)を吸い取っていくが、魔法の道具はその限りではない。しかし、使い終われば魔法の再注入を行わねばならないし、ほぼ単一の能力しか有しないのが難点である。

 リリナは、ゲストベッドの上にきちんとたたんだカットソーとキュロットパンツを置き、ほんの少し悩んだ末、その服の上に金貨を置くのをやめておいた。それはあまりにこの家族の厚意に対して失礼という物だろう。

 音を遮断しゃだんする魔法をその身にかけて、それでもそろりと(階段を下りる足音は遮断してくれるが、階段が「鳴る」音を消すほどまでこの魔法の効果範囲は広くない)階段を下りると、自身の靴を手に取り、もう一度客間に戻る。

 窓を開け、月を仰ぎ空を飛ぶための呪文を唱えようとしたその時――、彼女の肩に何者かの手が乗った。


「きゃあっ!」


 思わず大声が出てしまった。音声遮断の魔法をかけておいて良かったというところだ。

 しかし失敗はそもそも魔法をかけておいたところにあった。音を遮断するということは、当然外界からの音も聞こえなくなる道理である。

「僕だよ、悠太!」

 よいりの少年はあわてて名乗る。もちろん振り向いた段階で分かっているはずだが、両手をあげて完全に降伏のポーズだ。

 少女はほっと息を()くと、気持ちを切り替えた。

 微笑をする。


「ユータ、お世話になりました。ご母堂ぼどうにお食事美味しかったと伝えておいてください。ご尊父には宿の恩義忘れませぬと。カナ殿には私に妹があればこうであったかと、楽しかったと伝えてください。突然のお別れではありますが、これで失礼いたします」


 月影がリリナの半身を蒼く照らす。それはまさに少女の孤独な意思を見せつけるような涼やかさだ。だが、だから。


 悠太はちょっとムッとした表情にならざるを得ない。

「あのさあ」彼はその表情のままリリナに食ってかかる。

「勝手に出ていくのは構わないさ。君には君の事情ってものがあるだろうしね。でも僕を置いていくことはないよ。そりゃあんまり……」そこで少年は適切な言葉を探す。

「あんまり……つまらない」


「つまらない?」


 少女はきょとんとした顔になる。

 不義理だとは思ったし、そこをなじられるのは予想していたが、まさかそんなことを言われるとは。

「そうだよ、君は僕を三日間も拘束して、その上でなにも達成感を得られずにどこかに行こうとしている」

 ああこれはあれだ、と硬い表情になった悠太はしゃべりながら思った。

「だからつまらない。これじゃあ僕は君との思い出が不思議だけどつまらなかった。ってだけで終わってしまう」

 そうだこれは、俺が今、学校に行けない理由じゃないか。

俺は、一年間にわたって「受験」という旅をした。そして目的地に着かなかった。着かなかったのならまだいい。まるで最初から別にそこが目的地でもなかったかのように平気なふりをして市立中学に行った。

 目的地に着けなかったのだからくやしいのだ。

 悔しいはずなのだ。

 なのにその悔しさから、辛さから眼をそむけた。

だから今の俺がいる。「ただただつまらない日々」を生きる俺が。……だから俺は、ここで彼女との記憶を「つまらない」の一言で終わらせたくはない。そんなことをしてしまったら、俺はもう二度と立ち上がれないかもしれない。

 だが、そこまで言語化できる訳もなく。

「だから……僕は、その、最後まで、……少なくとも地上にいる間は、全部手伝わせてほしいんだ」

「危険だ」

「平気だよ!」

「ユータは勘違いしている。私は、その、……話していないことも多い。その身を危険にさらす理由なぞないはずだ。ご両親が悲しまれるぞ」

 悠太が一人いれば、とリリナとて考えないわけではなかった。

 背中を守ってくれる人間がいればどれほど心強いか。しかもそのための魔法装具も所持しているのだ。

十三歳の少年を超人へと変えるほどの道具を。

 しかしそれは修羅の道だ。適当な人間、それこそ「地上に棲まう者ども」を道具のように使えばいいと思って持ってきた魔法装具である。だが、そうではなかった。


 フォーダーンに住もうが、地上に在ろうが、人は、人だ。

 こんな年端もいかぬ少年を危険にさらしていいはずがない。


 だが、だ。

 彼女は失敗を認めざるを得なかった。

 少年の真一文字に引き結んだ唇、しっかりと彼女を見据みすえる瞳。それは今日の夕方までは無かった光、決意し終わっている顔だ。このような表情を浮かべた人間を翻意ほんいさせるのは短時間では不可能に近い。いや、今はなにより説得する時間がしい。

 もちろん、彼女にやりようはある。――魔法で眠らせればいいのだ。

それで充分。乱暴な話ではあるが、一時の気の迷いで大怪我でも負うよりかはそちらの方がいい。それがベターと言う物だろう。

 だが……。

 リリナは悠太を見る。

 危うい(かお)をしていた。

 かつての自分のような。

 まだ、誰も死んでいなかったころのような。

 少女は無意識に右手の人差し指を噛んだ。思わず知らず強く噛んで、装甲が歯を拒むように出現してからはっと気づく。

 そして思い出す。最愛の姫様の事を。


 彼女のためならば。


 彼女のためならば、この、自分より二つ下の少年をも利用しよう。と、そう決意した。

「そうだね、ユータ。あなたに頼ることにする」


 少女の悲壮な決意を、月だけが見詰めている。

  

 部屋の電気をつける。LED照明を最低の輝度にした。

 硬い表情でリリナは腰のポーチから手袋を取り出す。茶色い革手袋。ところどころに金属片が埋まっている。場所からして防御力を上げるための物ではない。この金属片が魔法を起動するための素子そしだ。

「起動呪文は『セグ・ラヴァス』。着装した状態でそう唱えればあなたは百人力の(つわもの)となれます」

 少年はごくりと固唾かたずをのんだ。スーパーマンになれる手袋。つまりこれは仮面ライダーの変身ベルト、戦隊シリーズの様々なおもちゃ。

 その本物だ。

「ただし、できる限り使わないでもらいたい。多分最初は丸一日寝込むことになるだろうから」

 それまでに終わらせればそれでいい。

 リリナは既にはらを決めていた。彼にこの魔法装具の使い方を教えて、習熟するのに一週間はかかるだろう。その時間を彼女は待てない。

 LEDの淡いけれども刺すような鋭い光に照らされて、少女の顔は白く見える。それはあながち光源のせいばかりではないだろう。


          *


 時間がないのだ。

 そもそも、彼女は魔法で「フォーダーン」からこの地上へと降りてきた。

 地上とフォーダーン、この二つは地続きどころか「世界」が、つまりは「宇宙」そのものが違う。だから距離と言う概念は適用されないが、「遠い」どころの騒ぎではないのだ。


 では、と誰もが考える。では「地上」以外、任意の場所への移動魔法を作れないだろうか、と。そして数多の魔術師たちが生涯をかけて試みたが、成功した者はいない。

 ある者は中空高くへと「移動」して、大地へ落ちて四散した。ある者は移動のために消えて、それきりかえってきていない。数多くの犠牲の果てに、移動魔法は存在しない。という答えが導き出されている。

 そうなれば不思議なのは地上世界と天蓋世界の関係だ。

 あくまで仮説ではあるが、二つの世界にはなんらかの相互作用があり、それが世界を超えて行き来できる理由であろう、と魔術師協会は結論付けた。

 魔法が鍵となるが、それは魔法をも超えた神秘なる力である、と。

 ある者はエストランジャ大神の御神慮と言い、ある者はヒ神の策謀と語った。その程度しか理解の及ばない事象であるのだ。

 とはいえ魔法が鍵であることは変わりない。リリナはフォーダーンへの帰還を、ある特性を用いて、出発の二十四時間後に設定してある。

 過去へ戻るということではない。オマケ、あるいはズルとでもいうべきか。魔術師協会は、出発時間を起点として一六〇時間。およそ一週間もの「時間」を地上界、あるいはフォーダーンで任意に移動することが出来る。

 とはいえ出発の一秒後に帰還できる、というわけにはいかない。棚からぼた餅というべきか、世界と世界の間の弾性とでも呼ぶべき性質を利用して魔法使いは魔術式の組み立てに成功した。地上とフォーダーンの移動の際に場所も時間も少しずれる。その観測からもたらされた魔法である。

 とはいえ欠点もある。魔法使いがこの魔法を使えば、「ずらした時間」の四倍から五倍分、フォーダーンと地上世界を繋ぐ移動魔法が使えなくなる。言ってみればタイムパラドクスが生じるのだから当然だ。

 だから通常の魔法使いは、この魔法を「時間をずらさない」ために使う。それならば問題はない。


 しかし今回は時間が必要だ。姫様を助ける、たった一度のチャンスのために。

 そしてそのチャンスをものにするためなら、ありとあらゆるものを捨て駒にすることにためらいはない。

 この、目の前の少年だって、例外ではないんだ。

 

 少女は胸のうずきを、無視することに決めた。





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