魔女と姫君の輪舞曲 6
6
すべては、終わる。
旅は、終わった。
「ゼルエルナーサの変」と後年呼ばれる大陰謀の後片づけはまだ時間がかかるであろう。そして秋人とエルメタインに課せられた難題については未だその端緒にもついていない。しかし、旅は、終わったのだ。
そして、新たなる旅が始まる。
*
「被告、グリーエルナーサ・ファル・グ・エルメタインを『地上堕ち』の刑と処す」
法相はそう宣告した。
エルメタイン姫はそっと法相に頭を下げると、それから彼女に激しい敵意を向けるカガンデ村の旧知の――旧友、と言っても良かろう――女性を見た。目が落ちくぼんで、人相はまるきり変わっている。しかし、エルメタインは知っている。そうさせてしまったのは己の罪、あるいは己の業であるのだと。
であるのならば、罪を、あるいは業を引き受けよう。それこそが己にできる唯一にして最良の選択肢なのだから。
「姫さま、私もついていきます」ごく当然のようにエルメタインの元筆頭侍女はそう言った。言うだろうと思っていた。そうであったらどんなに良いかとも。
「いいえ、リリナ。あなたは秋人さまを補佐してあげてください。そして、この国をよくしてくださいませ。そのためにこそ私は地上へと堕ち――いいえ、赴くのですから」
言って、そっと姫君は元侍女を、否、最愛の女性を抱きしめた。それ以上のことをしなかったのは超人的克己心と言ってもよい。そして、それ以上のことをしてしまっては、とても一人で地上へと行ける強さを持つことは二度とできなくなるだろう、とも分かっていた。
リリナは、エルメタインの豊かな胸で泣きじゃくる。
*
宮殿内にある近衛兵の詰め所、の一隅にある道場。
悠太は秋人を物も言わずに殴りつけた。正確には殴りつけようとしてかわされた上に、したたか投げられたのだが。
「あぶねーなあ。なんだよ急に」
「急にじゃない!」
悠太はぴょこんと跳ね起きると、両手を前に出したファイティングポーズをとる。
「なんで僕らにもエルメタイン姫を『地上堕ち』させるのが、そもそも姫さまの希望だって教えとかないんですか!」
悠太の拳を弾くと、秋人はカウンターの肘をわき腹に突き込む。
悶絶する悠太に「いやでもさ、すげーうまいこと行ったじゃないの。正直考えられる最高の展開。あれを演技でやれって言ったって出来ねえって」
「それは分かるけど! リリナはあばらを折ったんだぞ!」
問題はそこかい、と秋人は苦笑する。
確かに急ぎすぎた、という面はある。人材的にも高級官僚をダース単位で死なせてしまった。ゼルエルナーサがあそこまで急速な反応をするとは予想外ではあったが、悠太に語ったように、結果としてはベストであったのだ。仮に領地に帰られて、そこで討伐するとなれば、これはとんでもない内戦である。人的にも財政的にも、ちょっと想像もつかないことになるだろう。
そういう意味では、数多くの犠牲は痛ましいが、お得な買い物であったのだ。
「だから謝ったじゃあないかよ」
「あれが謝るって態度ですか!」
「しょうがねえだろ、俺って王様だし」
「だからって!」
ダメージを大きく息を吐くことで吹き消した悠太は左右の拳を繰り出すが、その動きは当初よりもスローモーにならざるを得ない。秋人はフィギュアスケーターのように、余裕をもってかわす。
「文句があるから鉄拳制裁ってわけか。いつの間にやらスパルタンなこって、オニーサンも嬉しいよ」
秋人は絶妙なタイミングで足を出して、悠太をすっ転ばせる。しかし悠太も今度はただ倒れるばかりではない。受け身をとって、低い体勢のまま秋人のむこうずねを蹴りつける。
「おっと」
秋人はその攻撃を足を上げて避けたが、しかしそれは悠太の思うつぼだったのだ。寝そべった格好で二度目の攻撃。両足で秋人の足を挟んで引き倒す。カニばさみ、の成りそこないだが、しかし秋人は実際倒された。
「あ、やべ」
そう言った左の頬に、馬乗りになった悠太の右拳がめり込む。
三十秒後――、一発の拳骨の報酬として、その二十倍の打撃を全身に浴び、最後のアゴにいい角度で入った掌底によって悠太は失神した。
「オー痛て」
秋人は白目をむいて気絶している悠太を見ながら立ち上がる。
「見事でしたな」
観戦に徹していたゴッサーダがそう言った。
「なにが見事なもんかよ、一発もらっちまったし」
「いや、もちろん私が評したのは王ではありません。ユータ少年ですよ。彼は一発を入れた。それが彼の目的なのだから。少年は目的を達したのです」
白髪白髯の武人の、金色に輝く猛禽のような瞳が悠太を見て柔和な光をたたえる。
「痛かったでしょう?」
「ふん」
秋人はいささか不機嫌そうに鼻を鳴らすと、殴られた左ほほをさすった。少年の成長を感じ、そして何より、人との信頼を忘れてはならないと、良く知っている「誰か」に教わったかのような、不思議な感触であった。
「王よ」
「なんだよ」
「陛下は、笑っていますよ」
そう言ったゴッサーダ自身も、太い笑顔を浮かべていた。
*
「寂しくなるな」
秋人はエルメタインにそう言った。
「あら、そう言っていただけると嬉しいものですわね」
褐色の肌に燃えるような真紅の髪が豪奢に――は揺れない。姫君は髪を短く切っていた。それは彼女が自分に取り付けられていた枷を外したかのようでもあった。
その視線に気づいたものか、姫君は「ああ、これですか。リリナには怒られ泣かれましたよ。でもまあ、これでいいんです。これで私は一個人としてのエルメタインとして生きていくんですから」
その言葉の裏にある意味を秋人は当然知っている。彼女の往く道は艱難辛苦でこさえた茨の道になるだろう。
「……すまない、ろくな力にもなれなくて」
「そんな顔をなさらないで。私は楽しみですよ。地上世界がどんなところなのか、とても、とてもね」
「あんまりいいところじゃねえけどさ」
ふふ、とエルメタインは笑った。
「そんなことはないでしょう。悲惨が綴られ、悲劇によって彩られた『歴史』、私はそれすらも楽しみなのです。人が――生きている、この世界が」
二人の男女は、固く握手を交わす。
風変わりな夫婦の肉体的接触は、結局これだけであった。
*
「やああああだあああああ!」
アルトナは泣きわめく。
「帰っちゃやだよお、ユータアアア!」
頑是ない子供はそう言ってリリナによく似た顔をクシャクシャにする。あまりの烈しい泣き方に、周章たセレイネーズがアルトナを抱きかかえて別室に下がる。
愛息子の初めて見る姿に青ざめた母の顔を見て、リリナは少し溜飲が下がる思いがする。
そんな場合ではないのだと言うのに。
リリナがいる。
秋人が、エルメタインが、ゴッサーダが、ノーギス・カリオンが、ルギアとラギアがいる。
悠太は長旅の中で鞄の奥に突っ込んでおいた、来たときの格好のまま、魔法陣の中に立っている。魔法装具も、魔法素子も取り外してある(余談であるが、魔法素子を外すときに彼はベン・ジーアルフの手によって無意味に素っ裸にさせられて、後にそれを知ったリリナが怒鳴り込む、という一幕もあった)。
宝石や、金銀財宝を悠太は固辞している。そういうものではないんだ、と頑固にも言った。
では来たときと全く同じ、ではもちろんない。
秋人がどうしても、と言って渡した勲章が一つ。そしてエルメタインからとても断れない「圧」のある笑顔で渡された「ピンダルゥの実」が二十個ほど。
そして、それよりなにより、悠太のその双眸に宿る、きらめきを。
リリナは覚えている。
ほんの四十日前に初めて会った際のこの少年のおどおどした瞳を。しかし、その奥底にあった光を彼女は見逃したりはしなかった。そのことを、リリナはとてもとても誇らしく思う。
「その。それじゃあ、なんというか」
もはや何度となく別れを言い合った。あとは本当に帰る、それだけのはずだ。
リリナはベン・ジーアルフの弟子とうなずき合い(当然ながらセクハラ宮廷魔法使いは出入り禁止だ)、魔法象形文字を作り上げ、魔法陣が描かれる。リリナ一人でもできる魔法ではあるが、付き添いが一人いれば、これは万が一の事態にも対処が可能だ。
やがて、ごく薄いオブラートのような半透明の立体が出現した。全てが凧型で構成された多面体、ねじれ双角錐の『門扉』、異世界、『地上世界』への門である。
半透明の多面体は後方を映していない。その先に映っているのはなつかしい我が家の、なつかしい自分の部屋であった。うすらぼんやりとはしているが、自分の部屋を忘れるものではない。
「それじゃあ、その」
そこで気づいた。
リリナがなぜ万が一について考えたのかということを。
リリナは、物も言わずに滂沱の涙を流していた。
流して、それでもしっかりと立ち、悠太を見送ろうとしていたのだ。
これが今生の別れなのかどうかは、それは分からない。けれどたとえ日本国の中であっても一期一会の出会いは数多い。ましてやそれが「世界」が違うのであるのならば。
そうだ、これが最後になるかもしれない。
だから、約束をしなければ。
「リリナ、君に困ったことがあったなら僕はきっと助けになるから、その時は僕を呼んでく――」
その時、「門」は悠太を包み込む。
すっと涼やか浮遊感からの落ち着いた落下。コントロールされているというのはこれほど「往路」とは違うものなのか、と思う。
*
「ひいっ!」
伽奈が素っ頓狂な悲鳴を上げる。
それもそうだろう。爆発に巻き込まれ死んだ兄の部屋でめそめそしていたら、その死んだはずの兄が突然出現したのだから。
「お、お、お、お、お兄ちゃん?」
少年は困ったような顔をした。そして、それから、心を切り替えると、笑う。
笑って、こう言った。
「ただいま」と。
7
それからの混乱はもはや詳述するには及ばないであろう。
しかし少年はすぐに学校に復帰した。四か月ぶりの復帰に(そして神隠しの四十日間に)クラスの皆もざわつきこそすれ、秋雨が夏の気配を洗い流すころにはすべてを忘れたかのように平穏を取り戻すこととなった。
十月。
少年は数学の授業を受けながら、ふと窓を見る。
その窓の外には抜けるような秋の青空が広がっていた。
天上に『銀の杜』はなく、視界の中に『ウライフ山』は見えない。
そして思い出す。
何かがあった時ぼくは君を助ける。
そう言った時、リリナは大きくうなずいた。
うなずいたのだ。
その時が来るまで――。
少年の目は黒板の板書に注がれた。
その眼に宿る決意の光。
その時が来る、その時まで、いずれ、また。




