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魔女と姫君の輪舞曲 3

                   *

 

 

 アルトナを説得するのは結局不可能であった。であるからリリナは熟睡うまいの魔法を弟に掛ける羽目になったのだ。


 リリナは苦笑し、そのまま、少年の周りを歩く。

「馬子にも衣裳ね」

 悠太は服の上からゼルエルナーサ侯爵の親衛隊が羽織るマントを身に着け、頭もフードで覆った。黒に金糸で鮮やかに刺繍がなされていて、実に格好がいい。悠太はこんな場合だというのに、少しヒーローごっこ的な高揚を得る。


 その次に、リリナは弟を侍女に預けると、『魔法』でない方のマジック、つまり簡単にほどける縛り方で、後ろ手に縛りあげられる。


「指にひっかけてあるこの絹糸を切れば、一瞬でほどける。『魔法の若枝』も隠しておくから、いざという場面で使うがいい」

 ジメルはまったくの無表情にリリナを縛り上げる。


 これは豆知識なのだが、江戸時代において使用された亀甲縛りという縛り方は打ち首にするための縛り方だそうだ。首を失うとスルスルと(ほど)けると言う。もちろん現代では特殊な「趣味」の人間しか行わないのだが。

 そういうわけで、何故か嫉妬心を感じた少年は、あわててかぶりを振ると、もやもやとした妄想を振りはらった。



 それが三十分ほど前の出来事だ。

 今やリリナは縄を打たれて秋人の前に引っ立てられている。

 玉座の間。

 総大理石造りの豪壮な広間である。

 太陽の明かりがきらびやかにステンドグラスを輝かせ、壁に掛けられた四葉のタペストリーはエンミドラ会戦を描いているのだろう。一辺が五メートルほどあるほぼ正方形の巨大な刺繍の絵が歴史を感じさせる。

 そして何よりも威儀を糺さずにおれないのがこの場の主役たる玉座であった。

 一段、というより三段ほど高いところに鎮座ましましているこれまた大理石造りの椅子の背が天井まで届いているのだ。

 その玉座には一人の男が座っている。

 無論、その男の名は羽生秋人。彼は玉座に斜めに腰かけて、おもしろそうにリリナを見つめていた。


「よお、リリナ嬢ちゃん」

「どうも、『国王陛下』」

 リリナの声は固い。あえて「含むところがあるのだぞ」ということを聞くもの全員に知らしめるような物言いであった。

 

 秋人の右隣にはゴッサーダ、左隣にはベン・ジーアルフ。そして文武百官が左右に整列している。

 悠太はざっと見渡すが、ノーギス・カリオン青年をはじめ、見知った顔はない。おそらくは王宮とそこに詰めている官僚たちなのだろう。

「さて別に俺は嬢ちゃんをどうこうしようとは思っちゃあいない。『過激な行動』に出てもらいたくないってだけでね」

「過激?」リリナは挑むように言う。

「そう言うこと。あの夜のことは正当防衛だった、と言いたいところだが、法律的に言えば……どうなるの?」

 一段下の――そしてリリナたちからは二段上の場所に立つ、黒と灰色のぞろっとした服を着た法相が答える。この国での法相は最高裁判所の裁判官でもあるから、専門家中の専門家だ。


「陛下とエルメタイン姫のお話を聞く限りでは、これは緊急避難には当たるものの、正当防衛の要件を満たしてはおりません」

 銀髪の法相は眼鏡をくいと上げる。

「ひと言でいえば、『なぜ逃げなかったのか』ということです。もちろん最初の襲撃において撃退した、そこまではよろしい。そして姫さまが『ひきがね』になったとはいえ主犯は別にいる。――これもよろしい。だがしかし、なぜ逃げなかったのです? リリナ殿ならばその気になれば、できた。――でしょう?」


 リリナは蒼白になる。

 そうだ、それはそうだった。確かにそれは可能であった。

 もし逃げることができていたら、もし逃げるという判断をしていたならば――、そしてリリナの魔法と、三つの魔法装具が揃っていたあの状況では、不可能ではなかった。だろう。

 そうなれば、結局村は全滅したとしても、少なくとも、村人に手をかけることが最小ですんだ。そして何よりおそらくは、伊藤駿介は死なずにすんだのだ。

 

 その可能性に、その今となっては決して試すことのできない可能性について考えると、少女の脳はぶるっと震えるように翳る。

 そしてなぜ逃げることができなかったのか?

 もちろんあの場にいた誰もが混乱していた。誰か一人に責任を負わすのは公平ではない。公平ではないが、しかしあの場に留まれと言っていた人間は一人いる。


 その事実に気づくと、少女の形のいい額に汗が浮いた。


 あの場において、エルメタインは親友であるミツセを救うことを彼女に命じた。そしてその命令に合理性がないことを百も承知でこう思ったのだ。

 ――いや、考えるな、姫様の命令じゃないか。その事に何の違いがある、姫様に言われたことをすればよい、自分の意志などそれより後のことだ。――と。


 少女の足は震えそうになる。

 姫さまは間違えたのだ、あの時、致命的に。

 口がからからに干上がっていることにも気づかずにリリナは声を発しようとして、引き攣れにも似た音声を発する。それから、ゆっくり口の中に唾液が沸き上がるのを待って、「それでも、あの場は、ああするほかなかったのです」

 と弱弱しく抗弁した。


「まさにそのことを糺すために、裁判というのは行われるのですよ」


 法相は静かにそう述べる。

 そうだ、当然だ、裁判とはそういうものだ。わたしは何を勘違いしていたのだろうか、陰謀などと考えていた自分が恥ずかしい。

 リリナはかぶりを振ると、大きく息を吐いた。

 そうとなれば、考えを切り替えねばならない。いかに姫君を弁護するか、いかに悠太を巻き込まずに済ませるか、そのことを。


 と、そう考えたその時だ。

 はらり、とリリナを縛めていた縄がほどける。何をしたわけでもない。決して絹糸を彼女は切らなかった。だが、どうした具合か、縄はほどかれ、彼女の両手は自由になった。そして右手には「魔法の若枝」。


「陛下! 危ない!」


 その声はゼルエルナーサ侯爵の物だった。



 そして恐るべき閃光が列席している者たちの網膜を焼く。



           *



 悠太は一瞬の白い闇から回復すると、玉座を見る。

 そこには胸に大穴の開いた秋人がぐったりと横たわっていた。

 白亜の椅子が血で汚れている。

 かのゴッサーダ子爵も、ベン・ジーアルフも蜂の巣になって床に倒れていた。


「逆賊め!」


 あっと思う間もない。ゼルエルナーサ侯爵の近衛隊が五人がかりで少女の体を抑える。何事か、と一歩踏み出した悠太の足に何かが引っ掛かった。ゼルエルナーサの懐刀、ジメルの足であった。

 「悪いな」とは口に出さず、ジメルは暗い目つきで悠太の関節を捕ると、『聖騎士の鎧』の本体である手袋を外した。

 みしり、と肘が鳴り、激痛に顔がゆがむ。しかし少年が見つめているのは己の痛みではない。そうではなく、物言わぬ躯となった秋人であり、男たちにねじ伏せられているリリナであった。

「ぐあああ!」

 少年は吠える。吠えてめちゃくちゃに暴れる。

 「おいおい、折れるぞ」ともジメルは言わず、ため息を吐くと関節技を解き、次の瞬間彼に向ってくる少年の拳を難なく避け、首に腕を巻き付けた。

 

 その腕の巧みなこと、悠太はろくな抵抗もできずに、暗黒の中へと落ちていく。


 

            4



 リリナは呆然とことの成り行きを見ていた。

 見ていた、とはまた呑気な話である。彼女こそがその当事者そのものだというのに。

だが、ことの成り行きについて彼女は傍観者と同じように、ただ呆然として見つめていたのだ。

 リリナの体にとりつく男たち。両腕は固められ、口には猿轡をはめられる。胴と臀部には男がのしかかり、少女の動きを完全に封じる。みきり、と音を立てて右の肋骨が一本折れる。

 その激痛に対しても、またリリナの意識は動こうとはしない。

 何が起こったのか?

 思考は焼き付いたのか凍り付いたのか、脳はその動きを止めたかのように凝然とその場にただ「突っ立って」いる。


「おお、なんという事だ!」


 大きな人影が玉座へと向かう。ゼルエルナーサ侯爵であった。侯爵は秋人の遺体に取りすがった。「早く!医者を、医療魔法使いを!」

 しかし、その胸部に開いた大きな穴はどう取り繕っても生命を維持できるようなものではなかった。乱暴に扱えば上半身と下半身が分かれてしまう。そんな傷を治す魔法はない。

 

「エンリリナ嬢が魔法を用いた!」

 誰かの声が聞こえる。

『そうだ!』と同意する声がそこかしこでこだました。

 そこでやっと、リリナの目は見開かれる。気づかされた。自分がゼルエルナーサ侯爵の仕掛けた罠にはめられたのだということを。


 ゼルエルナーサ侯爵と言えばフォーダーンの中でも最も旧い名家、その所有する魔法装具の質、量ともに誰もその全てを知る者はいない。

 となれば、(四神機その物ならばいざ知らず)今の状態の秋人を殺しうる魔法装具があったとしても、おかしくはない。ゴーズ・ノーブであったならば、その程度のことも可能だろう。

 だとしたら、それはつまり。

 しかしその先を思考することはできなかった。

 

 目の前に大きな拳が迫る。金属製の籠手をはめている、それで殴られれば皮が裂け、骨が折れる。

 エルメタインが褒めてくれた顔が「壊れる」。

 それは嫌だな、と少女は思ったが、しかし体が動かないのであれば仕方がない。極度の緊張は一秒をその何倍にも体感させる。

 そしてその拳は、

 しかし、ついに届かなかった。


 ゼルエルナーサの親衛隊に所属する大男は「なんでだ?」という顔をした。何で自分は組み敷かれた少女を殴れないのだ?と。

 腕が、ないから殴れないのだ。そのことに気づいた大男は腕の行方を探そうと首を回した。

 次いで、自分でも全く意図せずに視界がかしぐ。あれ、おかしいな、と思う間もなく、袈裟懸けに両断された大男はどさっと地面に倒れ込み、その衝撃で絶命した。


「リリナに何をする!」


 そこで大音声を上げるのは、本来であるのならば今この場で裁かれるべきはずの女性であった。


 エルメタイン妃陛下。


 その緑の瞳は爛々と輝き、深紅の髪が折からの風になぶられて炎のように逆巻く。次の瞬間、ひざ丈のドレスを着込んだ高貴なる女性はヒトというよりある種の災厄として存在した。


 左右に一本ずつ持つ剣は王家伝来の名刀ではあるが、魔法の道具ではない。しかし達人の手にある名刀は、これはもはや魔法の道具と何ら遜色がないのも事実である。 


 リリナの上に乗っている男たちの首が、まるで最初からそういうふうなバネ仕掛けのおもちゃであるかのように中空高くに跳ね飛ばされる。

 殺到する親衛隊が取り押さえようとするのをあるいは跳び、あるいはかいくぐってエルメタインは両手の得物を振るう。決して無能ではないはずの騎士たちが、その上鎧を着込んでいるというのに、まるで藁人形のように殺されていく。


 血と、臓物はらわたの中に入っていた糞尿の匂いが清浄たるべき玉座の間に満ち満ちる。しかしそれでも、血にまみれたエルメタインはなんという凄絶たる美しさか。


 死者の数が十二人を超えた時、ジメルはやはり面白くもなさそうな顔で悠太の首を離すと、腰間の細い剣を抜いた。

 その剣はぽう、と光ると、青い光を発して、刀身の部分が三倍ほど、ちょうどジメルの身長ほどにまで伸びる。

 魔法装具。

 ジメルの光剣が振るわれる。

 軽やか。

 例え竹竿でも遠心力というものが発生する以上、このように扱えものではない。とすると、この剣には質量がないのだろうか?

 しかしなお。それ以上にエルメタインの身ごなしは軽い。

 素手の格闘戦において、純粋な腕力において勝る男の優位は厳としてある。しかし武器という要素が一つ加わればどうか?

 そこは技術の世界だ。むろん筋肉があるにこしたことはないが、その差は圧倒的に縮まる。

 そしてジメルの超長剣とエルメタインの双刀、二つの戦闘理論も真逆である。

 ジメルのように一つの武器を扱うということは点や線の動きであり、ひるがえってエルメタインの二つの武器(一方が盾であっても、あるいは裸拳であったとしてもそれは同じだ)というのは線が二つであるから面になって攻撃ができる。

 どちらかと言えば乱戦では二刀流が有利であり、一対一では一本の方が有利という傾向はある。しかしそれはあくまで「傾向」でしかない。

 戦闘はあくまでも両者の「差」の結果だ。そこにある差は決して技術の上下だけではない。

 技倆があり偶然があり、そして幸運という名の助力がある。


 ジメルのあずかり知らぬ視界の外で、ぬめり、と血だまりの中からたおやかな手が姿を現す。


 それはリリナの魔法。

 その腕がジメルの足に巻き付いた。金属の脛当てを履いている足を砕くことはかなわず、しかし動きを一瞬止めるのには、つまり勝負を決するのには十分な働きだった。

 

 からん、と軽い音。魔法装具は力を失い、鉄さび色の刺突剣として地に落ちた。ジメルの右拳ごと。

 ジメルの陰気な顔がほんの少しゆがむ。

「お見事」

 エルメタインの鋭い眼力はジメルのその顔が笑顔だと気付く。


「卑怯、と言わないのですね」


 右手に持った刀の切っ先を、喉元に突き付けたエルメタインが問うた。

 ジメルはかすかな微笑を引っ込めて「生死をかけた戦いに卑怯などありませんよ」と答える。面白くもなさそうに。


 エルメタインはふっと笑うと、長くしなやかな足でジメルの腹部を蹴りあげる。ジメルの着込んでいる軽甲は下からのそのような攻撃を想定していない。

 ジメルは一撃で昏倒した。


 そしてその時にはすでに、自らの折れたあばらと、痛めた肩に魔法で麻酔をかけたリリナが立ち上がっていた。顔の右半分は血にまみれた少女の目は今や氷のように冴え冴えと冷徹だった。


 魔法の若枝が胸元に光の軌跡を描く。

 複雑極まりない魔法象形文字はひときわ輝くと、光は知能ある弾丸へと変化した。


 六個の鋼はヒトの目には止まらぬスピードでゼルエルナーサ侯爵の親衛隊たちを刺し貫く。何度も何度も。

 ゴーズ・ノーブが使用した魔法の針にも似ている、というよりそれにインスパイアされた魔法だ。しかし、あの魔法道具と決定的に違う点は、狙うべき場所が手足に限定されているという点である。

 

 別に殺しが怖いのではない。

 尋問にせよなんにせよ、命には「使いで」がある。ただそれだけの合理的な判断だ。


 冷徹な計算がリリナの目にはある。

 そして燃えるような決意の炎が。


「リリナ」

「姫さま」


 二人は背中合わせになって会話を交わす。

 居並ぶ文武百官は石像のようにただ立ち尽くすのみだ。

 そして今やその眼は、ただ一人立つ老人に注がれていた。


 ゼルエルナーサ侯爵。



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