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魔女と姫君の輪舞曲 2

          2



 アルトナはついてくると言ってきかなかった。


 説得しても聞かない。時間が惜しい今は、どこかで()く、あるいは誰かに途中で預ける方が早いと二人は結論付け、同行をとりあえず許したのだ。

 リリナは勝手知ったる王宮を縦横に走り抜ける。エルメタインの供をして、あちらこちらと飛び回っていた過去が味方した。王族しか知りえない抜け道を使って、衛兵の一人にすら会うことなく、一行はエルメタイン姫が幽閉されているはずの離宮までつながる地下通路の入り口に到達した。


 悠太とアルトナはリリナにもらった果物とチーズを口に運びながら状況を聞く。

 

 離宮はゼルエルナーサ侯爵の兵によって蟻の這い出る隙間もなく固められている。しかしこの地下通路について知っている者はそうはいない。

 悠太は秋人を一発殴る、と言ったが、二人は実際にはエルメタイン姫を連れ出す方が先であろうということで納得した。殴るのはいつでもできる。

  

 だから問題はやはり姫君自身である。


「姫さまが裁判を受ける、って言ったら?」

「その裁判が公正ならば秋人も受けなければならない。それができないというのなら、これはもう最初から秋人のはかりごとなのよ」


 リリナの目は憤怒に燃えている。


 それはそうだ、リリナにとってはこの世で最も大切な姫様を二度も目の前で拘束されたのだ。リリナがその場で「ぶち切れ」なかった克己心を褒めるべきだろう。


 しかし、とも思う。


 その場にいたリリナはともかく、悠太はそこまで怒ってはいない。

 というよりも違和感しかないのが本当のところだ。

 湿って苔の生えた地下通路を腰をかがめながら(五歳児の身長よりは少し大きい程度だ)歩き、悠太はそこのところを聞いてみる。これは狂言、つまりエルメタイン姫も一枚かんでいるのではないか、と。


「なんのために?」とリリナは言った。


 そうだ、そこのところが問題だ。この訴訟騒ぎがエルメタイン姫の得になるようなことがあるのだろうか?

 秋人にとっての得ならばある。

 意外にも秋人が野心家であるのならば、理屈はいかようにでも着く。

 女婿が本家筋、つまりは実質的に権力を有している「嫁」を追放して、自らに権力を集中させたいと思ったのならば、古今いくらでも例がある。「家庭内クーデター」というやつだ。規模がほんの少し大きいだけで。


 だが、あの男はそのような個性(キャラクター)の持ち主であっただろうか?

 違う、と言い切れるほど悠太も大人ではない。それに何より、『銀の杜』から帰ってきた秋人は大きく変わっていた。あの「四神機」との接続も関係しているのかもしれない、という推理も成り立つ。悠太も「聖騎士の鎧」を着込んでいるときはある種の万能感に浸っていることも事実だ。

 果たして何が真実であろうか?

 

「けれど、何が真実であろうと」

 リリナは固い声で悠太に語り掛けた。

「エルメタイン姫さまが今回の件について首謀者であるのならばそれは重畳(よろしい)。だけど、それは『希望的観測』というものでしょう? わたしは最悪の予想にもとづいて行動する」

 

 確かにその通りだ。

 だが、とも悠太はさらに思考を進める。リリナは「エルメタイン姫がこの計画に一枚かんでいるとしたら、自分が知らせてもらえないはずがない」と思い込んでいるのではないのだろうか、とも。


 しかしそんなことはおっかなくてとても指摘出来はしない。

 いや、それ以前に。

 離宮までの地下通路は終点を迎えていた。

リリナは頭上にある蓋代わりの石を軽々と右に回す。魔法ではない、質感は紛れもなく石だが、何か別の人工物である。回転させて、少しずらすと、カチリ、と音がした。

 悠太とリリナ、それにアルトナは魔法の明かりのもとで互いの顔を見る。ある意味出たとこ勝負だが、「兵は神速を貴ぶ」という意見を都合の良いように解釈して、行動に出たのだ。

 だが、それはやはり博打(ばくち)と呼ぶにふさわしいものであった。

 悠太が蓋をどかすと、最初に離宮の地下倉庫に忍び込み、次にアルトナ、そして最後にリリナの順番で離宮へと侵入する。

 そこまでは良かった。

 まったく、リリナも気がせいていたという事だろう。

 本来の彼女であれば人口精霊の一つでも斥候にはなっていたところだ。


 ――だから、その展開もある意味では当然と言えた。秘密の通路といえども、さてその秘密の範囲はどこまでであったろうか?


 少なくともリリナは知っていた。

 であるのならば、彼も知っていても当然だろう。


「待っていたよ」


 男、八十を超えているというのに初老にしか見えない若々しい外見と。それ以上にはつらつとした精気を放つ瞳を持った、ゼルエルナーサ侯爵その人であった。


 

             *



「正直なところ、寝耳に水だった」


 ゼルエルナーサ侯爵は三人を離宮の一室に招く。

 女官が(リリナが顔を知らないということは、こちらも侯爵の一行であろう)氷の入った杯を二人の前に置いた。

「しかし形式は一応なりと整っている。……ファルファッロ男爵がしたのと同じにね」

 かつて冒険者としても名をはせ、「轟名竜」の一柱と契約を交わし、不死の肉体を持つ男は苦いものでも飲んだような顔をする。

「だが、間違いは一度で沢山だよ。もちろん法は大事だ。その点においては未だにワシは何ら恥じる行為をしているとは思っていない。ただ、『法を(ほしいまま)に扱う』という行為に正当性がない、と言っているのだ」


 それゆえに、今回の危難に共に手を取ってほしい、と彼は締めくくった。

 侯爵の熱弁に悠太はうなずきつつも百パーセントの信頼を置いてはいない。しかし、今この場で突っぱねるわけにはいかないのは事実だ。

 そもそも最善の策がなんなのか、について検証することさえ難しい。信ずることを行うしか策はない。

 

 「しかし」とリリナは言う。「結局のところわたしはエルメタイン殿下のお心に添うまでです。もちろんそれが間違いであると思った場合には、お(いさ)めするのも臣下の務めとは思っていますが、それとて程度の問題。姫の御心が変えられなければ、わたしとしてはその思いに助力するしかありません」


「そうか、うむ、さすがはかのセレイネーズ殿の娘御、立派な言葉よ。――だが、ここでワシは一つ君たちに謝らねばならないことがある」

 ゼルエルナーサ侯爵はきらびやかな装飾の鎧に包んだ腕を組む。

「ワシは『陛下』にこの離宮を警護せよと命じられた。だが、これはある意味正しい命令だが、本質的には間違っている命令なのだよ」

「それはつまり?」

「この離宮、つまりは『妃の離宮』たるこの建物に、主はいない。つまりは、エルメタイン殿下がどこにいるのかは、このワシも知らされてはいないのだ」

 

 リリナは息をのむ。


 つまりこれは囮なのか?

 

 確かにこの場にエルメタインがいるというのはある意味うわさでしかない。その上で離宮をこれほど厳重に警護していたのならば、その中に姫がいると思うのも当然であった。

 

 そうだ、これは罠であったのだ。


「しかし、アキト殿も考え違いをしている」

 ゼルエルナーサ侯爵は笑顔を浮かべた。

「ワシが彼を全面的に受け入れたのかそうでないか、という点において決定的な思い違いを、な」

 王となった男に対して名前と、「殿」という同格かもしくは目下の者に対して使う敬称を用いたのはもちろん意図的な物であろう。

「確かにワシとその部下ならばエンリリナ殿の魔法に対しても十分に対処しうる。――もちろんその気があれば、の話ですがな」

 老人は、白い歯を見せてにこりと笑った。彼の後ろに控える甲冑姿の武者たちは、兜をつけているのでその顔こそわからない。だが、張り子の虎でないことだけはその立ち姿からも容易に想像がついた。


「もちろんワシも西王国の王家に忠誠を誓った身、エルメタイン姫のためにならぬことであるのならば、この命に代えてもお守りいたす所存ではある」

 そういった本人は「不死」なのだから、ある意味言葉は軽い。

 

「ありがとうございます。ゼルエルナーサ侯爵、わたしも一命に代えましても」

 

 だから、悠太はリリナのその言葉を、むつかしい顔をするだけで退けなかったのだ。



            3



 離宮でリリナを捕らえるつもりであった秋人は、しかしゼルエルナーサ侯爵の裏切りに遭い、むしろ同盟する機会を作ったことになる。


 では、とリリナとゼルエルナーサ侯爵、そして侯爵の右腕である騎士、ジメルは王宮の詳細な地図を見る。

「可能性として一番にあるのは王宮中央、『王の家族の間』にあるエルメタイン殿下の寝所でしょうなあ」

 ぴっちりと髪を撫でつけた四十歳がらみのジメルは、兜だけを脱いだ鎧姿で図面上のその部分を指で示す。

「可能性は高いと思います。『王の家族の間』は保安上の要因から独立性が高い。つまり外から入りにくい、そして裏返せば中からも出にくいという構造です」

 リリナはそう答える。

 王の家族、と言っても友愛に満ちた麗しい関係ばかりではない。有力諸侯からの「人質」という面もあるのだ。何事かのある場合に、逃げられては困る。

「わたしたちはそれでも抜け道を何個か作り上げていましたけれども、ファルファッロ男爵がそれらをすべて塞いでしまいました。つまり今、この部屋まで行くためには、正面突破しかない」


「戦争ですな、そうなれば」


 ジメルはやれやれ、とため息をついた。この男にはどこかため息の似合う陰気な印象がある。


「現実的にはアキト殿に正面から戦いを挑むのは無謀」

 ゼルエルナーサ侯爵は腕組みしてそう断言する。


 確かにその通りだ、と悠太は大きくうなずいた。今のところ少年は難しい顔をすることと、うなずくことしかしていない。もちろんそれは仕方のないことである。リリナのように特殊な能力や才能を有していない少年になにがしかのことができるとは彼を含め誰も思っていない。――否、おそらく天蓋世界と地上世界、二つの世界でただ一人、高橋悠太という男が単なる十三歳の小僧でないと思っている人間がいる。たぶん悠太本人が思っている以上に。

 そう思っている少女はだから傍らに悠太を置いているのだ。


「正面から行くのは間違いだ、とするならばなんとするか?」

 ゼルエルナーサ侯爵の問いに対してリリナは答えた。


「侯爵様はわたしを捕らえたと言って秋人のところへと連れて行ってください。そして悠太はその際には侯爵様方の手勢という形で宮殿内へ。秋人から聞いた話によれば、『四神機』といえどもその根幹は魔法に相違なし。となれば、考えもあります」


「危険だぞ」

「それは承知の上です」

「ぼくも、問題はないです」


 少々緊張した調子の悠太に対し、ゼルエルナーサ侯爵は孫を見るような目でうなずき、ジメルはやはり陰気臭くため息未満の吐息を出した。



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