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魔女と姫君の輪舞曲 1

第十九章 「魔女と姫君の輪舞曲」



          1



 静かな朝だった。


 (あさ)(もや)が王都すべてを包み込む。

 このような日が年に一、二度はある。そして、まるで薄い絹のような、うたたねの中で見る夢のような白い靄は、この日にちょうどふさわしい。

 

 秋人が戴冠して四日。三日三晩に及ぶ大宴会が終わり、すべての人が眠りについている朝。金持ちも貧乏人も、貴族も罪人も、酒と肉と甘味がふるまわれ、腹をくちくして眠っている、そんな朝に、ふさわしい。


 白亜の豪壮な王宮。その中央にある王の居殿、の中にある王の寝所、天蓋付きの豪奢なベッドの中で、秋人は大きくあくびを一つすると、起き上がった。



 すべては順調である。

 ゼルエルナーサ・イーハ・カロン侯爵の指配(さしはい)によってすべては取り仕切られていった。着いた翌日には戴冠式、そして王都民にピンダルゥの実をふるまい、恩赦が行われ、王都すべての者を巻き込んだお祭り騒ぎが始まった。

 ゼルエルナーサ侯爵は私兵を用いて、治安の維持まで買って出たうえに、戴冠式とそれに伴う支出の何割かを太っ腹にも払った。

それは一度はエルメタインを殺すというファルファッロ男爵の計画に踊らされたことへの謝罪でもあるし、今後の政治への参画を狙う、合法的な賄賂とでもいえるものであった。


 秋人は笑顔でその申し出を受ける。すでに西王国の財政が悪化していることはエルメタインやリリナから聞かされていた。もちろんピンダルゥの実をすべて売りさばけばそれだけでも膨大な利潤が生まれる(なにせ元手はタダだ)のだが、その六割がたを既に吐き出している。

「経済が回らなければ、始まらねえからな」

 王都すべてが加わる大宴会も、すでにして何代も前に取りやめになっていた慣習ではあったが、そのような意図のもとに執り行われた。


 幸いにして、フォーダーンに飢饉は起こらない。


 すでに収穫の終わった米、初夏に刈り取られた麦も平年並みである。当然だ、異常気象というものがないのだから。

全国民の半数を占める一次産業従事者が安定しているのならば、残り半分の経営もうまく回る。まったくフォーダーンは神の奇跡の世界に違いない。

 もちろん、真実を知る秋人にしてみれば「それはそうだよな」としか言えないものではあったが、どうあれうまく事が運ぶのは喜ばしい。その上で、経済が回れば、税収は伸びる。税収が伸びれば、これは王家の台所事情も解消されようというものだ。


 事実、バタフリンが政務をつかさどる南王国の経済は、十年前のエルメタイン姫の前に敗走した戦争の傷が癒える、どころか驚異的な回復を見せている。

その根幹にあるのはバタフリンの積極的な経済成長政策であり、資本の蓄積である。

 今思えば、十年前の戦において、エルメタインは『反バタフリン派』を一掃したことになる。皮肉というべきか、あるいはそれすらも『英雄宰相』と名高きバタフリンの策略であったのか。

 それは今となっては知れぬことである。

 しかし、と秋人は侍女の渡した冷水を喉に流し込んでから考える。


 そうそう、あの『英雄宰相』に先手を取られてはいられないよ、と。



 茶色い髪の下級官吏が小走りで彼の元までやってくる。

「そうか、通しておいてくれ」

 と秋人は報告内容を聞くとうなずき、どこか愉快そうな、しかし憂鬱そうな表情を作ると、忙しそうに執務室へと入っていった。



       *



 悠太はその時寝ていた。

 一人ではない。同衾している相手はリリナ――の弟であるアルトナであった。


 あれからリリナとセレイネーズの母娘(おやこ)は、ひと言の口もきかずに分かれていった。

 アルトナを保護していたノーギス・カリオンから愛息を受け取ったセレイネーズは以後も一瞥さえかわさずに、秋人たち一行と入城した。


 さて、しかし意外な縁というのはあるものである。

 

 セレイネーズがリリナに言った「エルメタインの傍に居なくてどうするのか」という問いかけは、その伝え方はともかくも、内容それ自体は正しい。だからこそリリナは筆頭侍女として、文字通り目の回る、そして八面六臂の活躍を余儀なくされた。

 

 秋人の戴冠は、同時にエルメタイン姫が正妃として立つことになる日だ。その大事な式典の準備が一日、実際は半日で行わねばならないなどと、そんなことが許されるだろうか!

 と怒ってみたことで、夫婦が強硬に主張する日付を変更できるはずもない。そもそも王位が空白であったことが、この騒動の一番の原因であるのだから、一日でも早く、というのは真理であろう。

 誰であれ、猫の手も借りたい、という忙しさである。有職(ゆうそく)故実(こじつ)にも通じたセレイネーズはアドバイザーとしてあちらこちらから呼ばれる。

 となれば、五歳児がじっとしているわけもない。そして、こちらも単なる「地上に棲まう者」である悠太も無聊をかこっていた。

 手伝おうにもフォーダーンの常識を知らないのだから、これは手出しをする方が邪魔というものである。

 であるから、悠太は散歩をしていたのだ。


 そこでアルトナと出会った。


 その時にアルトナに随いていた侍女はほっとした顔で五歳児を悠太に預けたものだ。諸事万端整う、どころの騒ぎではない。何とか見てくれだけまともな戴冠式にするのですら、圧倒的に人手が足りないのだ。

 かくて、悠太はアルトナの世話を仰せつかった。

 セレイネーズが知ったら怒り心頭に発しただろうが、さしもの女丈夫も、忙しさの上限を超えていた。

 

 悠太はアルトナと遊び、腹が減ったと泣く幼児のために、戦場さながらの様相を呈している厨房からパンとハム、それに牛乳をちょろまかし、即席のバゲットサンドを作ってやったものだ。

 そして、気づけばアルトナはすっかり悠太になついていたのである。


 その状態は戴冠式の式典が終わり、無礼講の宴会が始まってからずっと続いている。


 セレイネーズは何も言わなかったが、もちろん気に入らないのだろう。だが、五歳と言えば自我が芽生える頃であり、母であっても、いやむしろ母であるからこそ、言うことを聞かせることは難しくなる。

 リリナとはこの三日でばったり一度だけ会ったのみだ。


「なんで(アルトナ)と?」

「なんでだろうねえ?」

「ユータ、すきー」


 ぎゅっと抱きつくアルトナはその整った顔立ちと、長めのおかっぱ頭から幼女のようにしか見えない。

 リリナはなんだかもやっとして、頬を膨らまして踵を返して仕事場(せんじょう)へ帰ったものである。


 後には、困ったような顔の悠太と、その背中におんぶされようと悪戦するアルトナのみが残された。



 それが昨日の正午ごろのことである。

 王宮の庭園は解放され、楽団の奏でる音楽と、酔漢の笑い声、物売りの威勢のいい呼び込み、肉の焼ける匂いで満ちていた。

 悠太がいる内宮からは喧騒の一部しか知ることができなかったが、それはかまびすしくも、『平和』の象徴のような光景であった。


 そうだ、今思えば、それは嵐の前の静けさだったのかもしれない。



 その朝、というか午前もだいぶたったころ、客間(貴賓室(きひんしつ)、というわけではないが、続き間つきのそこそこ豪勢な一室を悠太は割り当てられていた)で熟睡(うまい)を貪っていた悠太は、リリナの激しいノックで起こされた。


「悠太! 大変よ、起きて! 姫さまが、姫さまが!」



 姫様、という用法はエルメタイン姫についていえばもはや正確ではないだろう。

 エルメタイン王妃、とそう呼ぶべきであった。

 だが、それはリリナがついいつもの癖で呼びなれた方を使用してしまった、という事だけではない。


「姫さまが、弾劾される! それも秋人の手で!」


 戴冠式の済んだ男、そして彼女の雇用主の夫である男のことを、リリナは呼び捨てにした。



              *



「落ち着きなよ! そんな馬鹿なことがあるもんか」

「落ち着いてなんかいられないわよ」とそう言いながらもリリナは悠太の差し出した水を飲み干すと、磁器のコップをカツン、とテーブルに置き、続きを話し始めた。

「どうもこうもないわ、悠太はカガンデ村のことを覚えている?」


 ドキリ、と悠太の心臓は跳ね上がる。忘れることなどできるはずもないではないか。あの村は「無くなった」のだ、伊藤駿介という男と一緒に。


「あの村の生き残りが昨日王都に着いたのよ」

「え! そんな馬鹿な、あの中で生き残りがいるなんて……」


 むろん、ゴーズ・ノーブが使用した「殺戮粘菌さつりくねんきん」への耐性を持つ者が百人に一人いる、などということを神ならぬ二人が知る由もない。


「そこは分からないけれど、何らかの理由で感染を免れた、ってこともありえるでしょうから、かたりとは言いきれない。それに、あの村の出身であることは間違いないようだし」

 エルメタインとは同年輩であるそうだから、見知らぬ同士ではない。


「彼女はカガンデ村での一件の責任をエルメタイン姫様に求めているの、そして秋人はそれに乗っかった」

「なんでまた?」

「秋人はあくまでも姫様の命令で戦ったってことにしたいのよ。そうでなければ彼もまた弾劾の対象になる」

「姫さまはなんて?」

「分からない。会えていないの。でも姫様が、カガンデ村のことについて一切の責任を感じていないなどということはあり得ない。だからあえて、弾劾を受ける――そう決意することだってない話じゃない」

「いや、それにしたって、秋人さんにも考えがあるはずだ、どうにかして話を聞くぐらいは」


 リリナは唇をかみしめた。

「……実は、わたしも悠太も訴追の対象になっている。アキトの周りには宮廷魔法使いのベン・ジーアルフ、それにゴッサーダ元帥がいるから、直談判もできやしない」


 むう、と悠太は唸る。


 ゴッサーダは当然のこと旧領地を取り戻し、更にはファルファッロ男爵の領地も八割がた下賜され、その上で西王国全軍の指揮権を持つ元帥に叙された。

元帥が置かれるなど、百年ぶりのことである。

 ベン・ジーアルフについては、そもそもの行動に法にもとる部分はなかったから、宮廷魔法使いの任を解かれる所以(ゆえん)はない、というエルメタインは主張し、この赤子を思わせる魔法使いは文字通り(ぬか)づいて涙を流した。のだが、しかしただの三日でその恩は(あだ)で報いられることになったようだ。

 ベン・ジーアルフも決して無能な男ではない。当然だ、宮廷魔法使いというのは理屈の上ではその王国一の魔法使いでなければならないのだから。

もちろんいずこの国でも野には隠れた名人上手もいるし、リリナのように後世恐るべき後輩も常に存在する以上、実際的には最も有能、というよりは政治的才能「にも」長けているのが宮廷魔法使いの常である。だが、その任にあるものが無能、ということはさらにあり得ない。

 その上でゴッサーダがついているのなら、リリナといえどそうそう簡単にはいかないであろう。


「エルメタイン姫は、罪があるとおもっている」

 リリナは悲痛な声でそう言った。

「だから、だから――」

 だから、どうすべきなのだろうか? 

罪がある。それを認めている者がいる。だとしたら、それをどうすべきなのだろうか?


「でも、違う。それは違うと少なくとも秋人は知っているはずでしょう?」


 それはそうだ、「原因」はエルメタイン姫にあるかもしれないが、犯人といえばこれは紛れもなくゴーズ・ノーブである。そして実際に手を下したのは秋人であり、駿介でもある。いや、悠太自身も気づかぬうちに死者だと思って生者を火にくべたのかもしれない。それは、今となっては分からない。

 だが、だ。

 悠太はそれとは別に、あの日の恐れを思い出す。

 それはまさにカガンデ村がなくなった翌日の朝に抱いた危惧だ。

 

 秋人はあの日を境に何かが変わったのかもしれない、という恐怖にも似た奥深い危惧である。何かが、と言うよりはあるいは「何かに」としたほうが良いのか。秋人はあの日から何かに変わった。それは良い変化であったと今日の今日まで思っていた。

 だが、それは違ったのかもしれない。

 今の秋人を止められる能力を、少なくとも西王国の誰も有してはいない。

 権勢も、そして純粋な一個人の武力であっても、だ。

 そのような人間が、悪意を持ってしまったら?


 ふう、と悠太はため息を一つ吐く。


 二つ年上の美しい少女を見た。


「アキトさんに会って真意を確かめよう。それから――」

「それから?」

「それから、間違ったことをしようというのなら、――ぶん殴って目を覚まさせるんだ。俺と、君で」

「悠太と、わたしで」


 リリナはごくりと唾を飲み込んだ。

 それは、難しいことだ。

 だが、それ以上に、そうだ、それ以上に、自分一人ではできないと思ったことが、悠太と一緒ならば可能ではないか、と思わせられる。

 その不思議に、リリナは花が咲くような微笑をこぼした。



 朝靄はすっかり晴れていた。


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