新たなる王 3
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式は粛々と進んだ。
秋人とエルメタイン姫の結婚式である。
宗教都市なのだから、司祭はいくらでもいる。とはいえその中で最も高位に立っているのは当のエルメタイン姫であるのだから、ことはなかなかにややこしい。
というわけで、宗教家たちは互いに譲り合い、無位無官の、しかし人から「彼こそ最もふさわしい」と推挙されるに足る老師が呼ばれた。
しわくちゃの老人は古びた、しかしそれでも一応は格式のある礼服を着用すると、ピンと背筋が伸び、その顔には張りが生まれ、やはりなかなかの人物であると知れた。
老師は二人に香油を混ぜた水をふりかけ、厳かに祝詞を奏上する。
「かけまくも畏きウライフ神のおん前にかしこみかしこみも白さく、
八十日日は有れども今日を生日の足日と選びさだめて、
ゴッサーダ・イン・ハルザットの媒妁に依り、
ナストランジャ大神の御氏子ハニュウ・ナオキの息子ハニュウ・アキトと、
グリーエルナーサ・ハル・エドナ・リーストラの息女
グリーエルナーサ・ファル・グ・エルメタインは、大前にして、
婚嫁の礼執行はむとす、
これを以ちて大神の高き大御稜威を尊奉り仰ぎ奉りて、
親族家族等参来集ひ列並みて、
大前に御食御酒、海川山野の種種の物を献奉りて称辞竟奉らくは、
天地のはじめの時に二柱の御祖の
エデビスとエデボウの始め給ひ定め給へる神随なる道のまにまに
大御酒を厳の平瓮に盛高成して
大御蔭を戴奉り千代万代の盃取交し、永き契を結び固めて、
今より後、天なる月日の相並べく事の如く、
地なる山川の相対へる事の如く、たがいに心を結び力を合わせて相助け相輔ひ、
内には祖の教えを守り、外には国家の御法に遵ひ、身を修め、
家を斉へ、家業に勤み励み、子孫を養ひ育てて、
堅磐に常磐に変わる事なく、移ろふ事なく、
神習ひに習奉らむと誓詞白さくを平らけく安らけく聞食して、
行末長く二人が上に霊幸ひ坐して、
高砂の尾上の松の相生に立並びつつ
珠碧椿八千代を掛けて、家門広く、家名高く、
弥立栄えしめ給へと、かしこみかしこみも白す」
リリナは滂沱の涙を流してそれを見ている。本当ならわんわん泣くほどのことだが、それを何とか押しとどめて、鼻水をすする音が時たま聞こえる程度だ。
悠太はしゃちほこばって直立不動であるが、それも当然だろう。彼には自立することも困難なリリナが片腕を抱えて、しなだれかかっているのだから。
少年は、柔らかな少女の肉体の感触に何とも言えない煩悩を掻き立てられるが、しかしそれ以上何もできずに固まっている。
「ふっ、青いね」
「そう言ってやるなよー、姉ちゃん、」
ラグアとルギアは気楽なものだ。白いベールで顔を隠した二人のその手には花籠がかけられていて、花吹雪をかけるタイミングを計っている。祝詞が終われば、同じ杯から酒を飲み、かがむほどの大きさの門(鳥居というべきだろうか?) を潜り抜ける。その際に花をかけるのだ。
『鳥居』も出来合いのモノであり、十年も前に作られて、成人式などの際に市内の若者が使うので、だいぶくたびれている。それは金のない若者が執り行う、最も質素な結婚式と同じスタイルだ。一国の姫君が行うものではない。
だが、この場合大事なのは「式」を行ったという事実、それ一点であり、豪華かそうでないかは関係ない。
しかし、だ。
豪華かそうでないかはなかなか決められるものではない。何せ花嫁がエルメタイン姫なのだから。
しかも「妖精族」のドレスが、思い切り豪奢な色彩とスタイルをもって姫君を彩っている。それは質素とは程遠い。
赫く赤い髪、そしてつややかな褐色の肌、緑の瞳、完璧なプロポーション。正直花婿は黄金色の『皇帝の鎧』を兜を取り外した形ではあるが完全に展開して、緋裏の黒いマントをつけているが、何枚も格が落ちる。
とはいえそのド派手な見た目は確かになまなかのモノではないから、遠く引きの画で見れば、似合いとも言えた。
背の小さな巫女が、二人の捧げ持つ一つの土器に酒を注ぐ。蜂蜜を醸したその液体は、人類最古の「飲み物」であり、「文化」の象徴とも言えた。
新郎が新婦の方へと傾ける、ふっくらと暑い唇が黄金色の液体を吸い込み、残りを、新婦が新郎の口元へと注ぐ形に杯を傾けた。
秋人はその酒を飲み込む。
美味いもまずいも分からない。まさかこんな形で結婚式を挙げるとは思いもよらなかったからだ。いやが応にも緊張せざるを得ない。
そしてこの盃を受けたからには。
二人は礼式通りに杯を投擲する。土器は石畳と接吻して、割れ砕けた。
いまや世界は夜の闇にのまれかけ、天空には水晶の杜が美しく輝く。
世界は、フォーダーンは一つの奇跡のようにある。
*
かくて男と女は晴れて夫婦となり、西王国の法規に沿う存在となった。そうなれば後は姫君に掛けられた「禁忌魔法の研究」という罪状のみが問題となるが、そうなった時に最もモノを言うのがゴッサーダの顔である。
冷徹なる法吏。
その英名は剣名とともに西王国にあって知らぬ者はない。その男が「問題はない」と太鼓判を押すのだ、誰が異を唱えられよう。
否、そもそもの話として。
「あまり褒められたもんでもないがな」
と羚羊馬に揺られながら秋人は苦笑する。してから自身の頭上、十メートルほどの距離で音もなく中空に静止している神機を見上げた。
その滑らかな乳白色のとろりとした美しい機体は、月の光を受けてもはや「色っぽい」とさえ言えた。だが、それはその機体が「味方」である限りにおいてであり、もし敵対しようという意図を持つ者がいたとして、その眼にはなんと見えたであろうか?
「帝国期」の魔法装具は、現行の魔法装具と比べても強力だ。それは常識である。そしてその価値においても当然で、骨董的な価値を完全に省いても、古の魔法装具、その価値は目の玉が飛び出るほど。か、あるいはもはや商取引の範疇外なのだ。
では、神話の時代のそれならば?
もはや個人の持ち物として破格である。地上世界の軍事的に見れば、戦略核、あるいは一個艦隊を「持ち歩いている」のに等しいだろう。
それほどの武力を持つものに、「警察力」が効くはずもない。結局のところ、「法」を「法」たらしめているのはその強制力であり、執行官が実力で敗北した際には、「法」は「法」たりえない。
それゆえに、その旅は、「往路」に比べて、「復路」たるその旅は安穏たるものであった。
秋人。
エルメタイン。
リリナ。
悠太。
ゴッサーダ。
ラグア、ルギア。
カリオン。
さらには十名を超える供回りの者たち。
関所を越えるのに手形も必要としない。峻険な山道を越えていった「往路」とは雲泥の差であった。
あったがしかし、その頭上にある「神機」をもってすれば、そもそも必要のない旅なのだ。その機体ならば、一時間とかからずハザリク市から西王国の首都まで着くはずなのだから。
そこのところを秋人に悠太は尋ねた。
「ま、その通り。だがな、この旅はいろいろと『時間』をかけるのが大事なのさ」
もじゃもじゃ頭の男は不敵に笑った。
まあ、なるほど、何か考えがあるのだろう。――そして、そういう意味では、
「ゴーズ・ノーブも?」
結婚式の前に秋人はされこうべをハザリク市の北部を流れるヴァンドー河に投げ入れた。「せいぜい苦労しろ」と言ってからだ。
だが、つまるところ自由にさせたのである。あの魔人であれば、川の中の水精からも魔力を充填し、身体の再生を行えるだろう。完全に元のようになるかどうか、は未知数であるが、しかし「不自由のないからだ」を手に入れることは疑いようもない。
「ああ、もちろん。あいつを信用しているわけじゃあないがな、まったく信用はしていない。だが、能力は信用している。俺の目論見通りなら、あいつが有能であることは、あいつの雇用主をあぶりだすことになる。多分、ものすごく早くな」
「へえ」
今や一人前とまではいわないが、初心者よりは上だいぶん上手くなった羚羊馬の手綱を捌きながら、そんな会話を二人は交わす。
正直なところ、悠太は秋人を見直していた。三十男に対して十三歳の自分がおこがましいかもしれないが、やはり正確に表現するのなら、「見直した」と言わざるを得ない。
秋人はどこか責任を回避しようとする癖があった。そこは少年の観察眼にすら映るのだから、隠してさえいなかったのだろう。
「俺には関係ないよ」と、そう体中で語っていたのだ。
だから、命がけでやっているはずなのに、いや、命がけでやっているからこそ、かもしれない。秋人は己の生死にすら「関係ないよ」という態度を崩さなかったのだから。
もちろん手抜きはしていない、一生懸命にやっていることは悠太にだってわかる。だが、その先だ。何とも言えず少年は秋人の生きざまにやきもきさせられていたのだ。
なぜ?
そうだ、それは今の自分とそっくりだったからだ。
ボクは、何のために生きているのか。
せんじ詰めれば悠太の悩みはそこにある。中学受験に失敗したのがショックでないと言えば嘘になるが、しかしそこまで大ショックで落ち込んだ、というわけでもないのが真実だ。
両親は「まあ、しょうがないよ」と笑ってくれた。もちろん金銭を無駄に使わせてしまったことに申し訳なさはあるが、そこのところを真に理解しているかと言われれば、バイトの一つもしたことのない身としてはなかなかに難しい。妹が一番手厳しく評してくれたが、妹からの悪口雑言はもはや生活の一部であるから、聞き流すのが最善手だ。
そもそも小学校からの友人も、悠太が中学受験に失敗したことを蒸し返す者などいない。気を使ってくれているというよりは、思い出しもしないというところだろう。
だが、だからこそ悠太は悩まずにはいられなかった。
今までやってきたことって、結局何だったんだろう?と。
そこのところが分からなかった。そして、であるのなら、そうだ、なぜ、『今』、生きているのか? そこが分からない。
自殺願望はない、ないというか、それすらない、と言った方が正確だろう。
特にやりたいことはないのだ、勉強も、部活も、そうだ、自殺すら。
けれども、と悠太は今思う。
われと我が身を思い返す。
あったぞ、と思い返す。生きてきた意味はあったんだ、
そうだ、ボクは、あの一瞬のために生きていたのだ。
リリナを救う、その一瞬のために。
驚くほど人を殺したことへの衝撃はない。もちろん二十一世紀を生きる中学生の自分とは全く異なる「異」世界を旅してきたから精神がマヒしているのか、とも思うが、彼のことを心配そうに見るリリナの表情からは、もう少し自分が「殺人」を犯したことに衝撃を受けていてもおかしくないのだと気づかされる。
――そうは言っても、別に、なあ。
もちろん無抵抗の人間を殺したのではない。それどころか彼は二回も殺されているのだ。そういう言い方はおかしいかもしれないが、「差し引き一回、こっちの方が多い」とさえ言える。
だが、そういったことを考えに入れてもやはり自分の精神に自分で悠太は少し驚いている。
よくあるフィクションの中では殺人そのものに恐怖し、おびえ、錯乱しているというのに、そういったものが特にはない。
『三パーセントくらいの男は、人を殺しても平気なんだよ』
伊東駿介は生前、よもやま話の中でそう語ったことがある。
『第二次世界大戦ん時のアメリカ軍の統計さ。だから女性については分からない。そのかわりにアメリカだからね、人種は問わないみたいだよ』
丸まっこい男はそういってうまそうに砂糖菓子をぼりぼりと口に入れた。今思えばその口は自嘲の形に歪んでいたように思う。
そうだ、それは自己紹介だったのかもしれない。言われてみればあの丸まっこくて気のいい男はそう言ったところがあった。秋人のように虚無的になるのではなくて、ただ冷徹に敵を斃す、そう言ったところが。
だとしたら、奇妙な話だ。男が三人いる、その中で、全人口の三パーセントにすぎないパーソナリティーの持ち主が二人いる確率ってのはどんなものなのだろうか?
計算しようとしてそれが果たせず、悠太はこれだから受験に失敗するんだっての、と今度はからりとした苦笑を浮かべる。
まあ、どちらでもいい。
いや、どちらでもいいよりも都合がいい。
『ちなみに人を殺すのは残りの九十七パーセント、つまり俺みたいに繊細な大衆にとってはすごいストレスだからさ』と焚火の木をつつきながらもじゃもじゃ頭の秋人は続けた。
『殺した後にエンドルフィンだか何だかが出るわけよ。そうするとどうなるか? そう、気持ち良くなるってわけ』
『はあ』
『そうして、まあ、一度や二度ならともかく、何度も嫌なことが起こってその度に気持ち良くなるお薬が脳味噌のなかでぴゅるぴゅる分泌されると……』
『されると?』悠太はごくりと唾をのんで尋ねた。
『快楽殺人者の出来上がり、ってコト』
殺人を犯すと多かれ少なかれ人は壊れる。それはひょっとして悪いことでもないのかもしれない。当然だ、それは法律以前に「殺人」を犯せない巨大なブレーキになっているのだから。
だが、そうでない人間もいる。
それも当然だろう、ほとんどの人間が嫌がることに平気で手を染められる人間の遺伝子が、生殖においてマイナスに働くはずもない。そして壊れた人間はブレーキがなくなるどころか、むしろアクセルを踏むことになる。
しかし、ボクは、いや俺は、
と、悠太は思う。
俺は、どんな時だって、どんな事だって、やろう。
隣で大きなあくびをしているこの少女のためにならなんだって、やって見せよう。
人殺しとか、そんな「些細な」ことについてだけではない。
俺は、学ばなければならないことが多い。やらなければならないことがあまりにも多い。
俺は、成長しなければいけない。
少年の目は、静かに前を――未来を――見据えていた。




