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暗黒竜 2

       2



 妖精王・トルメイオイハーンドゥとその部下スーリンの仕事は早いものであった。会見から小一時間と言ったところだろう、すでに「ピンダルゥの実」は半透明なコンテナに積まれ、神機のラックに掴まれている。神機も『銀の杜』に属する存在であるのが、そのラックの規格が同じことからも知れた。


 鳥のような人、スーリンがうやうやしく一礼する。

「すべてはわが主の御意のままに整っております。いつでも飛び立てるように」

 床も壁も同じ、ガラス質の黒い材質で出来た離発着場には誘導員や整備士なのだろうか、「鳥のような人」たちが忙しそうに、しかし整然と立ち働いている。地上一万メートル。確かにこれは人などより鳥の領分の高さだろう。

 

 妖精王も女王も見送りはない。

 この二人との関係性の中に情緒と呼ばれる成分はなかった。むしろ火焔竜などの方がよほど人らしい。妖精王とはあるいは一個人というよりは擬制的な存在のではないか、とも思う。

 いわゆる「天皇機関説」というやつの逆、だ。機関が丸ごと一人の(二人いる、というのはさすがに一人では物理的に無理があるという事であろうか)人間に帰属している、ということである。

 おそらくあの二人は官僚制の残滓のようなものなのだ。一見わかりやすい王政のようでいながら、ただひたすら『銀の杜』、そして天蓋世界の安寧をのみ追い求める存在。


 それは到底ヒトとは呼べない。

 そして神代の昔、王とはそもそもそういう存在なのだったのだろう。

 

「ちょっと冗談じゃないな」


 秋人はスーリンから渡されたピンダルゥの果汁を飲みつつ所在なげにつぶやいた。ここに来て、ようやっと目的ができたが、それは彼が地上世界でやっていたことと何も変わらない。


 人殺しだ。


 もちろん規模は格段に上がっている。国家元首を暗殺、あるいは謀殺、もしくは失脚させるというのだ。ことが露見すれば戦争にもなるだろう、否、もし妖精族が警戒しているほどの男だというのならば、すでに備えは完璧であろう。妖精王はああいったが、彼らとて簡単に殺せるのかどうか分からない。

 いや、そもそものその前に。


――俺の立場はどうなるのかねえ。


 エルメタインにはああ言ったが、実際のところこれからどのように事態が動くのかは分からない。元老会議で死が言い渡された姫君が復権することなどあるだろうか?

 難しいのではないか、と考える。


 時間は前後するが、こう秋人が考えた半日後にはファルファッロ男爵は首の骨を折られて死んでいるし、そもそもゴッサーダ子爵は姫の味方であるのだが、そんなことは神ならぬ身の秋人の想像のほかである。


 だが、とも思う。

 どうにもならない方がむしろ話は簡単なのかもしれない。

 姫をどうにか逃がして、バタフリンをこの神機でもって討つ。いかな英雄宰相といえども、神機「白のアンフォルデ」の強襲を受ければ無傷というわけにもいくまい。

 それくらいしなければ、と秋人はこの世のものとも思われぬほどに美味い果汁をすすりながら思う。

 

――せめて世界でも救わにゃあ、駿介に申し訳が立たないぜ。


 そう思っていると、ようやっとエルメタイン姫がやってきた。

 これはまた、とまばゆそうに秋人は目を細める。

 マエッタ女王から贈られた妖精族のドレスだ。真珠色の糸と、白銀のレース。そして惜しげもなく飾られた赤、青、翠、紫の宝石。不思議なことに裾は長く引いているが地面を引きずってはいない。ふわりと中空をたなびく雲のごとくに流れていく。

 人間の作れるものではない。

 しかしそのドレスもしょせんは姫君の添え物に過ぎない。

 褐色のつややかな肌。

 光り輝く緑の瞳。

 結い上げられた燃え盛るように輝く赤い髪。

 どこまでも完璧に整えられた彫像のような顔。

 巨きな二つの胸のふくらみ。

 長い手足が優雅に動いて、こちらに歩って来る様はそれだけでほとんど芸術と呼べた。


 なるほど、これは完璧だ。


 秋人は舌を巻く。この女性の美しさに慣れたと思っていたが、それはほんの一面を見ていたからにすぎなかったからだ。唇に朱をひき、きちんと化粧をした姿など、遺跡と砂丘の町「セイナス」で見て以来だ。あの時も彼はちらりと見たのみで、もっぱら駿介とリリナが熱心にほめたたえていたが、彼は裏工作に忙しかったのである。

 

「リリナと合流したのち、間髪を置かず王都へと(おもむ)きます」

 そうエルメタインは宣言し、その宣言に賛意を表した妖精王たちは、彼女にドレスとお色直しを申し出た。女性の「鳥のような人」たちが、なるほど得意満面、という表情でこちらを見ているのも当然だ。

 間近で見れば、アラが見えるどころか、なおのことよくわかる。

 完璧だった。


――女王になれるんなら、これ以上の逸材はないってのにな。


 もちろん自分自身が王になるなんかよりはるかに似つかわしい。

 秋人は一切の卑下なしにそう思う。


「お待たせしました。行きましょう、秋人様」

 エルメタインはそういうと、天真爛漫な笑顔を作る。だがそれは作り上げたものではない。自然にこぼれてくる笑顔だった。

 姫であることを辞める。その秋人からの提案は彼女の意識の空白を撃った。撃ち抜かれた。

 ああ、辞めてもいいのだ、とようやくそのことに気づいたのだ。

 もちろん今すぐ、というわけにはいかない。ひょっとしたらそれは死ぬ一日前のことかもしれない。それでも、彼女は重荷を捨てられる。その重荷を担うことは彼女の喜びでもあったけれども、しかし重い荷物は重い。当たり前だ。

 エルメタインは静かにほほ笑むと「白のアンフォルデ」に向かう。薄さもないような金属製の盆が彼女を宙へと運び、空中で完璧に静止する。スーリンとのコネクトも切れていないのだろう、キャノピーが開いて、そこにエルメタインは溌溂とした肢体を滑り込ませた。ひらひらした裾や襟はまるである種の軟体生物のようにきゅっと収納され、彼女の伸びやかな足や腕にへばりついて、動きを制約しない。


 おそらく並の刃物では傷一つつけられまい。秋人はそう見てとる。


 スーリンは目で秋人に合図を送った。彼からはある種の親しみのこもった視線が向けられる。まあ〈招かれざる客〉が〈刺客〉になったのだから妖精族にとっても意義はあったのだろう。

 やれやれ、と秋人は首を振ると、自らも盆の上に乗る。

滑らかな上昇、揺れる気配すらない。秋人もまたコクピットに滑り込むと、そこで自身の脳と神機を本格的にコネクトさせる。

 視界が、感覚が拡張して、更に脳がクリアになる。いくつもの情報が複数直接脳に流されるが、よどみなくそれらを振り分けて、ゴーサイン、あるいはそうでないときはそうでないと念じれば、次の情報が下りてくる。それら、地上世界のパイロットが五分はかかるチェックを五秒とかからずに終わらせる。

 キャノピーが下りて、白の神機は正に白鳥の抽象的な彫刻のようにその優美な姿をゆらゆらと瞬きごとに変化させる。

 ふわり、と浮いた。

 車輪のような原始的な物体は必要ない。ありとあらゆる飛行物体の中で最も優美なそれは誘導員の言われるがままに音もなく機首を曲げると、それから、――やがて――素晴らしい速度で空へと向かった。


 否、そうではない。


 いまだ汚濁と混乱のさなかにある『緑の丘』に、そうだ、人界へと向かって、文字通り、翼を広げた。



         3



 天地の感覚が再び反転し、神機は上下をさかさまにする。

 神機は素晴らしい速度でもって竜の縄張りを過ぎ去った。

 「竜道」がある以上、一直線に、というわけにはいかない。ゆっくりとした右旋回を行いながら秋人はハザリク市を目指していた。


「お客さん、気分はいかがですか?」

 秋人は朗らかにエルメタインに話しかける。到底朗らかな気分ではないが、であるならばなおさら、外形的には明るく行かなければならない。

エルメタインもその意向には賛成だ。


「ええ、とても快適です。でも、そうですわね、飲み物があればもっと快適なのですが」

その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、彼女の前面のコンソールが割れると、中に蛍光イエローの液体が満たされた長方形のパックがカシャン、とあらわれた。

「あらまあ」

 姫君は至れり尽くせりという言葉よりもなお上を行く神機の機能に舌を巻く。巻いたが、せっかく出されたものだから、と手に持つ。突起があるが、きっちり密封されているからさて、どう飲むのか、と悩んでいると、「気にせずそのまま飲んでください」と秋人が言うので口に含む。ある種の特別な密封技術で(そもそもいつ作られたものなのだろうか?)閉じ込められた液体は、新鮮な味わいの、はちみつのニュアンスが香る貴腐ワインそのものの味がした。おそらくアルコールは入っていないだろうが、ちょうど一口半ほどの内容量は喉の渇きを潤しつつ、十分な満足感を与えてくれるものであった。

 

 おいしいですよ。と言おうとしたその瞬間だ。


 衝撃があった。

 二回。


「!?」


 エルメタインは神経接続をしていないから、情報が網膜に直接照射される。それら仮想の情報が告げているのは、


「敵だ!」


 という秋人の叫び声と一致するものだった。



           *



 敵。

 そんな馬鹿な、と思う。

「ナストランジャの枷」、それは高高度における魔法の飛行物体の禁則である。さらには低高度であっても、亜音速以上の飛翔を禁じている。

 それは今の秋人にとってみれば納得のいくことだ。高高度爆撃という手段は、けた外れに人の命を奪う。しかも一方的に蹂躙する、ということだ。

 「ナストランジャ」、否、機械神(デウス・エクス・マキナ)はそのようなことを許すまい。

 であるのならば、この飛翔体は何だ?

 まさか彼と同じ「神機」だとでもいうのか?


 いや、違う。だが、であるのならば、まさか、まさかそんな。と、秋人は背に冷たい汗をかく。

「あれは……」


 エルメタイン姫すらも呆然たる声を発した。


『戦争に使ったら、ボクらがしめに行くからね』


 火焔竜の言葉が脳裏に反響する。

 

 蝙蝠のような皮膜の翼。

 角を有した蛇にも似る頭部。

 鋭い爪を備えた四肢。

 長い尾。

 透明で美しい黒曜石の鱗を有した五つの影。


 そうだ、それは正にそうとしか言えない存在だ。


(ノグァード)!」


 エルメタイン姫殿下の叫びはほとんど絶望の響きがあった。

 


           *



 暗黒竜ガラバグ。

 「轟名竜(ヴァルハリオン)」の中で最も高名なその存在。

ただし悪名として、だが。


 死して三百年。いまだに夜いつまでも起きている子供に「ガラバグが来るよ!」は定番の脅し文句であるし、「ガラバグのような奴だ」という慣用句は最低の人間に対して使用されている。

 『緑の丘』、三分の一を領有し、人間と妖精族に対して敢然と戦いを挑み、敗北した存在。

 だが、とエルメタインは考える。

 今日この日に得たばかりの知識から考えると、ガラバグという存在そのものへの違和感を覚える。


「竜」は何のために存在するのか?


 特に轟名竜といった神にも近い存在は、何のためにいるのだろうか?

 もちろん人間も一人一人に目的があって存在しているわけではない。だが、明らかに竜は「機械神」によってデザインされた存在だ。

 ある意味、と彼女は考える。

 確かに竜を神の、特にナストランジャ大神の化身であるとして、信ずる宗派もある。そう信じるに足るだけの能力をまた竜は持っている。

 神そのものを顕現させるわけにはいかないのは、宗教の成り立ちからして当然だ。「なんだかわからないが思うとおりに行かないもの」を人は神と呼ぶのだから。

 川がそうである、風がそうである、火がそうである、あるいは病がそうである、否、人の運命そのものがそうである。


 そこに「無いが在る」モノを指して人は「神」と呼んだ。


 ややこしいのはその先にフォーダーンにあっては「魔法」が存在していたのだ。魔法は神の恩寵、そうだ、「思うとおりに行かないもの」を制する力こそが魔法である。

 もう一つ。

 「過去が最も優れていて、そこにもう一度人は到達するべきである」それは彼女の中にある素朴な心情である。妖精族と人間の間に明確な境目の無かった理想郷時代。だが、どうやらその過去というモノは存在しないらしい。

 もちろん、理想というものが過去にあったかなかったかはこの際重要ではないのだ。そこを始まりにすると、人は「後ろ向きに全力疾走」し始めざるを得ない。それが魔法学の限界を規定していた。


 そして、「素晴らしき過去」を体現する存在が竜だ。


 不死たる竜は語る。過去の素晴らしさを。過ぎ去りし帝国の栄華を、帝国以前、神の揺籃期の光輝に満ちた生活を。

 その語る言葉に嘘はないだろう。しかし欺瞞はあったはずだ。とんでもないごまかしが。


 竜は、「神はいる」というアリバイ作りのための存在だ。


 エルメタインは静かに瞑目する。

 その身に重力がかかった。


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