天蓋世界 2
*
やがて、一つの鳥かごが『白の神機』の前に飛んでくる。
鳥かご、と言っても大きさはビルのエレベーターほどもあるだろう。その中に一人の……一人、と呼んでよいだろう。
一人の「鳥のような人」が乗っていた。
背の高さは秋人ほど。黄色いくちばしに紺と白色の羽毛、上肢は腕と翼の中間に位置する器官だ。腰に革製のコルセットと、そして金ぴかの宝飾品がいくつも飾られている。尻のところに二股の尾羽が生えているから、天然の「燕尾服」を思わせた。
「お待ちしておりました、『ロウ』の血脈よ」
鳥人は、女とも男ともつかない、しかしこの上なく美しい声で秋人に話しかけた。
「そしてお帰りなさい、サラファンデーナの子よ」
すべてを見通しているかのような鳥人の声色は、しかし秋人をそれほど驚かせはしなかった。「竜」と「妖精」はつながっている、と考える方が自然だからだ。火焔竜ユーソードから情報が上がっていることぐらい、ありうる話だろう。
「私は『スーリン』、妖精族に仕える者です。以後お見知りおきを。さて、わが主、妖精王『トルメイオイハーンドゥ』が先ほどからお待ちです。神機の操縦を私に『繋いで』頂ければ、こちらで誘導いたしますが」
秋人はチラ、と鏡(のような魔法の道具)ごしにエルメタインと目線を交わす。ここは従っておいた方がよいだろう、と二人は結論付け、秋人が「了解した」と言う。
途端に鳥人スーリンの頭部にある白い飾り羽が一本立ち、神機の操縦にアクセスが行われる。
「いつでもシャットアウトできるが、今はこのアクセスを許可しますか?」という意味の問いかけが秋人の脳内に何度か送り込まれ、その度に彼もまた脳内で許可を出す。それにおよそ五秒ほどかかったろうか。
やがて神機は氷の上を滑るように滑らかな挙動で、真鍮製のように見える金色の鳥かごの後をついていく。
鳥人が乗る鳥かごか。と、ある種の面白みを秋人は覚えたが、どうもそれを口にすると不謹慎な気がしたので、黙っておいた。
3
スーリンと秋人、エルメタインの三人は妖精族の都市、その中央にあるひときわ立派な建物の中に入った。十五メートルの神機は優雅に舞うと、完璧な挙動で「立体駐車場」の中に納まる。キャノピーが開き、体を包んでいた「花弁」がほどけた。
「お待たせいたしました、こちらでございます」
鳥人スーリンはうやうやしく、階段を下りてくる男女に首を垂れると、格納庫からの道を先導する。足元は継ぎ目一つない、ほんのり薄緑に輝く黒い舗装がなされている。靴底越しに伝わるのはガラスに近い触感だが、滑りそうな不安定感は一切ない。
壁はあの結晶柱そのものなのだろうか?この距離で見ると、半透明な銀色の結晶が、年輪にも似た縞模様を見せて柔らかな印象を与えている。
しかしいったい何なのかは全く想像もできない。水晶のような「石」にも思えるし、しかし明らかな金属光沢も存在する。本物の銀であれば空気の中に含まれる硫黄分で数日のうちにくすんでしまうから、『銀』ではないことは確かだが、しかし言えるのはそのくらいのことだ。素材科学の専門家でもない秋人には理解の及ばない存在の一つに過ぎない。
そもそも理解の及ばない存在が多すぎて、いちいちそこで腕組みして考え込んでしまっては、一歩も動けない。彼がやるべきことは、今の苦境を脱する方途を考えること。そしてエルメタインが「彼女自身を」得心させることだ。
そしてもう一つ。
秋人自身の胸につかえている仮説を問いただす。――だが、問いただしたところで、誰も得をしないのだが。それでも、なお聞かねば気が済まない。
そうだ、その問いは決して荒唐無稽なものではないはずだ。
と、スーリンが足を止めた。
「こちらでございます」
言葉の先には巨大な木の扉がある。幾何的な意匠の施された巨大な木の扉だ。一対一・六一八の黄金比で作られた扉の高さは秋人の身長の二倍以上はあろうか。それが二枚、観音開きにすっと音もなく開いた。
スーリンとそっくりな鳥人が二人、完璧なタイミングで引いたのだ。
スーリンは同輩たちに目で挨拶をすると、二人に「どうぞ」と声をかける。
「地上からの客人など絶えて久しかったゆえ、わが主もことのほかお喜びでございます」
その台詞は二回目と三回目の扉の間に交わされて、五回目と六回目の扉の間にはさすがに「またかよ」と秋人の愚痴も出る。
「宮殿が大きすぎますゆえ」とは鳥人の弁だ。
やがて七枚目の扉、これはごく一般的なサイズの、しかし結晶柱と同じ銀色の扉の前で、スーリンは歩を止めた。
カギ爪の生えた鱗に覆われている手のひらを扉に押し付ける。掌紋認証キーということかな。と秋人は感慨なく見てとる。手のひらのしわやその中を走る血管は一人一人違うから、指紋と同じように個人認証システムとして地上世界ではそこらの銀行ATMでも使われているが、妖精の国でもこのようなシステムが使われているとは、これはつまり――
そこまで思考を進めて、扉の中からの声に彼は意識をとられた。
「お入りなさい」
男の声だ。しかし何と玲瓏たる美しい声であろうか。澄んだ冷たい泉のごとき清冽な声音。これが妖精というものだろうか。
その声に反応して、扉が音もなくスライドして開く。これは(鳥)人の手を煩わせないごく普通の「自動ドア」であったようだ。
「私は外で待っております」
スーリンは深々と頭を下げると、男女二人を見送った。
*
「やあ、よく来たね」
「待っておりましたわ」
男女二人、そこにまず驚かされる。そしてその悠揚迫らざる声に、柄にもなく緊張していた秋人は虚を突かれた。しどろもどろに自己紹介をする。しかしさすがは一国の姫君というところか、エルメタイン姫は古式の七跪礼の一つ、大礼式を優雅に決めると、涼しげな顔で二人の妖精を見る。
男の方は身長二メートルはあろうかという偉丈夫である。紫紺のマントを羽織り、絹のような光沢をもつ裾の長いジャケットに身を包んでいる。
女の方は男の肩までしかないが、男が九頭身半はあるから、それでも一八〇センチ弱、と言ったところだ。同じく光沢をもつ薄いピンク色のドレスは素晴らしい仕立てで、驚くほど巨大な二つのふくらみが下品にならないその「二歩」手前まで強調されている。
身に付けているものはどこまでも柔らかな曲線を基調にしていたが、マントにせよ、そして女が首から垂らしている金刺繍の入った純白のストールにせよ直線のみで構成されていて、そのコントラストにはどこか現実世界とは遊離した、超然たるものを感じさせた。
女の黒髪はどこまでもまっすぐに腰まで伸び、男の方の髪は、そうだ、光に透けるとまるで本当に燃えているかのように見えるその肩までかかる紅蓮の髪、それは、まさにエルメタインと同じものであった。
二人の髪はさらに金色の宝冠でまとめられている。決して華美ではないが、完璧な調和がとれていた。
「余の名はトルメイオイハーンドゥ・ハズキナシオ。妖精族の王である。ロウの血族よ、トルミーと呼ぶがよい」
「妾の名はマエッタ・ハズキナシオ。妖精族の女王にしてトルミーの妹です」
なるほど、二人の顔はよく似ていた。王と女王の二人体制というのは珍しいが、人間ならぬ妖精の仕業、同じに考える方が間違いであろう。
「人の子よ、汝らがなぜこの地に来たかは聞き及んでいる」
トルミー王は優しく微笑して二人に語りかけた。
だろうな、と秋人は思うがその思いは顔にちらとも出さない。
小さな部屋だ。否、正確には二〇坪ほどはあるから、十分に大きいのだが、執務机が二つぽつんと並んでいるきりでいかにも殺風景だし、しかもここまでの建物のスケール感からすると調子が狂うのは当然ともいえた。
そこに妖精王が「おお、そうだ」とつぶやいて腕を一振りすれば、真っ白いソファがすうっと床から突き出てくる。そして鳥人がポットとカップを人数分持ってきた。
「立ちばなしもなんだ、掛けたまえ」
王は微笑みかけると、すっと優美な挙措でソファに腰掛ける。女王も後に続き、豪奢なまつげを揺らして二人に座れと目線で合図を送った。
人間族の二人は落ち着かなげに腰を掛ける。ソファは最初ゆっくりと彼らの尻を包み、やがて最適な位置でしっかりとした反発をもたらす。柔らかいだけの椅子はむしろ疲れる。そのことをもちろん理解しているのだ。
「お口に合うとよろしいのですけれど」
マエッタ女王は二人に茶を勧める。もはや当然というべきか、ほんのりと発酵させた緑の茶は、衝撃的ともいうべき馥郁たる芳香を人族に与えた。しばし言葉も忘れて二人はその深いうまみと香りに陶然となる。
「おいしいです、とても」
「それは良かった」
妖精族の王は和菓子によく似た純白の丸い菓子も勧めるが、これを食べてしまっては、おそらく交渉にもなるまい、と秋人は理性を振り絞ってその誘いを断る。
*
「単刀直入に申します。お力をお貸し願いたい」
秋人は妖精王の紫色の瞳を見ながら強い口調で話し出す。それはエルメタインの苦境と、それに関わるおのれの運命についての話であった。
長い話ではあったが、時折差し込まれるエルメタインの的確な補足も含めて、おそらくは自身の人生の中で会心の出来なプレゼンテーションであった。
王と女王の紫の瞳は、常に柔和な光をたたえて、そして興味深そうに彼の話に耳を傾けていた。
「なるほどつまり」
妖精王は理解できた、とうなずいた。
「秋人殿は正統性を、そしてエルメタイン殿は聖性を証明すればよい、ということですね。しかも分かりやすく、大々的に」
「そういうことになります」
「だとしたら……」
言うと、王は女王の方を向いた。
「ええ、そうですね、それがいい」
女王もうなずく。
「『ピンダルゥの実』を持っていくがいいでしょう。幸い『白の神機』ならば文字通り『持って』帰る事ができる。
「神機をもってして『ピンダルゥの実』を運べばそれで姫君に掛けられし疑いもおのずから晴れるでしょう。『ただ乗っている』だけではなく、神機をもって何事かを成し遂げるのであれば、秋人殿の正統性も人民に届くでしょうしね」
トルミー王は思慮深くうなずきながら茶を口に含んだ。
『ピンダルゥの実』、そうだった。そこが実はこの旅のそもそもの始まりだったのだ。文字通りの万能薬にして最高の美味、金・銀に次ぐフォーダーン第三の通貨と言ってもいい存在。
それが二年連続で「降りて」来なかったことからエルメタインは魔女であるという疑いが始まったのである。
「しかしおかしいですね」
女王は形の良い頤に長く白い指をかけて考え込む。
「ピンダルゥの実は毎年間違いなく産出していたはずですよ。もちろんほとんどはこちらで使用しているのですが、あなた方『人族』のためにと農園のひと区画をそのままにしてあるのです。やがて勝手に発酵して浮遊するわけですけれども。……その循環が途切れたことなどついぞ聞いておりませぬ、そうでしょう、兄様」
「その通り、毎年数日のずれはあれどもほぼ同じ時期にピンダルゥの実は飛び立ち、ほぼ同じ風に乗って、西王国のいずこかに落ちるようにできている。昨年も一昨年もそれは間違いなく行われた」
「すると……」
エルメタインは当然気づく。
「そういうことか、……まあむしろ当然って感じではある」
秋人はやれやれと首を振った。
「そうですね。おそらく西王国にいる何者かが地上に落ちる前にピンダルゥの実を運び去った。大きいとは言っても家一つていどの物、魔法によって何とでもなるはずです」というエルメタインの洞察はむしろ当然と言えるだろう。
そうなると考えるべきは手段というよりも目的だ。『犯人』は何のためにピンダルゥの実を盗んだのか。
当然個人の仕業ではない。
決して加工の難しいものではないが、個人でどうこう出来るものではない。そもそも家一軒分の大きさなのだ。それを隠すだけでも、組織は必須だろう。
「エルメタイン姫を貶めたい何者かの仕業、ということなのか?」
「私も恨まれたものですね」
姫君は美しい眉をひそめた。
「仕方のないことさ。有能なものは疎まれる。ましてやそれが若く美しい女性となれば」
妖精族の女王は『やれやれまったく人間はこれだから』というように首を振った。
*
「『大英雄ロウ』の血脈につながるものよ」
妖精王がその神秘的な紫の瞳で秋人を見据える。見た目は二〇代後半にしか見えないが、さすがに妖精界を統べるもの、その威厳、目力はすさまじいの一言だ。
「私は個人的にロウを友と思っている。それは二千年以上を過ぎた今でも変わらぬつもりだ。であるから」
そこで王は一呼吸入れた。
「であるから、ピンダルゥの実、概算だが三年分を分け与えよう。そのくらいならばスーリンたちに命じればすぐに用意できる。だがしかし、だ。神機をもってこの地に来るのはこれぎりにしてもらいたい」
「それは、まあ」当然だ、と秋人が言葉を濁したのは彼自身が犯したわけではないヒトの罪について思い至ったからである。
「だがしかし、ひとつ、我らにもそなたたちに依頼があるのだ」
それはまた意外な、という秋人の顔にトレミー王は複雑な表情で話し出した。
「かつて、いまだ私が幼かったころは、人と妖精の間の交流は盛んであった」
それは果たして何千年前の話であろうか。
「しかし、いつのころからか妖精と人間は例外を除いて交流することを互いにやめてしまった。明確な理由はない。互いに足が遠のいてしまった、というところだ」
兄の言葉を妹が継いだ
「しかし今となればそれもナストランジャ大神の大御心であったと思えるのです。五百年前、帝国貴族は我らが同胞を拐かした。――今思えばあまりにも我らが甘かった。彼らにとって私たちはずいぶん魅力的な『動物』に見えたのでしょうね」
エルメタインの顔は複雑だ。その行為がなければ今の彼女は存在さえしていないのだから。しかし、行為そのものは蛮行でしかなく、純然たる『悪』だ。
「それゆえ、人は大神の怒りを買い、例外たる『神機』以外は飛行について制限を受けることになった。その上で神機の管理は『火焔竜ユーソード』に任せるという形をとり、実質的にここ四百年の間、暗黒竜ガラバグとの合戦の折を除けば、我らと人との交流はなかった」
エルメタインはこくりとうなずく。
「しかし、今ここに『禁忌魔法』を用いて今再び世界を混乱の渦に巻き込もうという者が出てきたのです」
さあて、話の雲行きが怪しくなってきたな、と秋人は思う。こいつはやっぱり、と確信に近いものが彼の身の裡に満ちる。
「バタフリン殿のことですね」
エルメタインが鋭い瞳をここにいない男に向ける。
「そうです、あなた方が『英雄宰相』と呼んでいるバタフリン・ムジュフシュです。彼は我らの遠見の術でも見えぬ結界の中でなにやら企んでいるのです。おそらくはこの世界を変革するために」
恐ろしいこと、とは口にしなかったが、マエッタ女王はそう表情で語ると、首を振った。
「禁忌魔法の研究は世界を滅ぼす研究。かの者の行いは世界を危険にさらしているのです」
「我らとしても『緑の丘』の政に手を出すこともまた禁忌であるがゆえに、かの者を直接誅殺することはできない。であるからあなた方のこの役を受けてもらいたいのだ」
「もちろん、これはお願いです。断ったとしてもピンダルゥの実はお渡しいたしましょう」
エルメタイン姫は緊張した面持ちで口を真一文字に引き結んでいる。「あまり仲の良くない隣国の宰相を殺せ」とはこれはとんでもない依頼だ。
もちろん禁忌魔法の研究は、これは死罪にあたる罪ではあるから、そこのところをつけば失脚させることもできるだろう。できるだろうが、それは理屈だ。バタフリンの南王国での権力は盤石である。ちょっとやそっとでは揺らがない。
人間族の二人は押し黙った。ねっとりとした沈黙の時間が流れる。
……やがて、人間の男が口を開いた。
「けれども」と、その声には訝しむ成分が色濃く含まれていた。それは不遜とも取れたから、エルメタインはぎょっとして同行の男を見るが、王と女王は優し気な微笑を浮かべて秋人の言葉の続きを待つ。
「けれども、それは悪いことなんですか?」
「ほう、つまり?」
「俺は野蛮な地上世界から来たんで良く分からないんですが、なぜ『禁忌魔法』なるものがあるんです?どうして禁忌になっているんです?誰がが決めたってことですか?」
「秋人さま!」西王国の姫君はたしなめるように小さく名を呼ぶが、秋人は堂々としたものだ。エルメタインにしても、と秋人は思っている。エルメタインにしてもリリナにしても、深く内面化されているがゆえに忘れていることがある。「禁忌はなぜ禁忌なのか?」ということだ。
「汝殺すなかれ」や「盗むなかれ」なら理由はわかる。「自分がされたらいやなこと」だからだ。これは禁忌というより法の問題だろう。
ユダヤ教やイスラム教で豚肉食が禁じられた理由も単純だ。生焼けだと致命的な寄生虫がいるからである。その上で、豚は森林に住む動物であって、砂漠の多い中東ではそれほど有効なタンパク源にはならない。
近親婚がダメなのは近親交配が遺伝病の発顕率を増やすからであるし(よく言われるように、「近親婚は障碍者を増やす」、というのはあまりに雑な論である)、遺伝子プールの多様性は植物を含めた全ての「いきもの」に共通する性向である。
しかし彼が聞き及んだ禁忌魔法にそのようなわかりやすい理屈はつかない。
であるなら、禁忌魔法とはいわゆる宗教観や倫理なのであろうか?地上世界における「クローン人間」のような?
しかし地上世界における禁忌はどこまで行っても倫理の問題であり(その研究の結果がどういう事態を引き起こすのかはまた別の問題として)、実際に神が雷を落としてソドムを破壊するなどということはない。
だが、この世界においては?
神が魔法という形で存在するこの世界ではどうなのか?
神が決めたのなら、従うしかない。それは道理だ。そしてそれは自由意志の剥奪だ、もちろん完全な自由意志などない、という意見はとりあえずわきに置いておこう。だが実際、「大神の枷」という形で「不可能なものは不可能」になっているではないか。だとしたら、
「禁忌ははるか昔に決められたものだよ。そうだな、その意味においてナストランジャ大神がお決めになったといってもよいかもしれないな」
「ならば、」
そこで秋人は一歩踏み込む。
「ならば、大神はそんなものを無くしてしまえばいいのでは?決して不可能なことではないでしょう。世界をいじるか、人の脳をちょこっといじればいいだけのことだ。現に、あなた方妖精は禁忌に触れようともしない。そうお見受けしますが」
「ふむ、確かに我ら妖精族は禁忌魔法など口にするのもおぞましい。誰もそんなものを必要とはしない」
「そうでしょうとも、神はそのように人を作ることもできたはずなんだ、だけどそうはしなかった。善も悪も、禁忌もすべて同列に扱う」
「それが神というものでは?」マエッタ女王が微笑を崩さず問いかける。
「まさにそこです」
秋人はもじゃもじゃ頭に手をやる。
「地上世界の宗教家はみんなそういうんだ。『神は啓示をくださるだけで、天国は人間自らの手で作り出さなければいけない』ってね」
「ふむ、間違いのない言葉だと思うが?」
「詭弁だそれは!神がいて、そして神が『それでよし』とされる考えがあるのならば、その通りの世界を作ればいいんだ」
秋人は立ち上がる。
「人間の知性は進化の結果偶然生まれた。そして偶然生まれた『脳』は世界を認識するのに適していない。脳は『因果』を欲しがる。
「つまりは物語だ。
「『神が世界をおつくりになって、そこを統べるために人間を作った。』それも物語だ。『経済が社会を規定し、経済がある段階までくると新しい社会が生まれる。』これも物語だ。『エネルギーは質量と光速度の二乗になる。』これだって物語だ。正しいとか間違っているとかそういうことではない。ヒトの脳がそれを求めるからそのような物語は作られる!」
「それで?」王は冷たい紫水晶の目で秋人を見据える。
「神は人間が作った!」
「秋人さま!」
エルメタインの叱責にはむしろ困惑の色が濃い。
「つまり?」妖精王は続きを促す。
「つまりだ、この世界は、嘘っぱちだってことだよ」
「嘘っぱちとはまた、なんとも反論に困る物言いだ」
「じゃあ最初から言わせてもらうよ。
「そもそも解せないのは俺たちの存在そのものだ。つまりは『地上堕ち』したやつらが地球で現地の人間と子をなせる、ってのが不思議だ。
「見た目が似てる、って話しじゃない。同一の種ってことになる。
「もちろん『ヒ神』なる神が小細工をした、って話は知っている。その説に従えばすべての都合の悪いことも『ヒ神』の策略ですんじまうからな、いい手だ。
「しかし、本物の神様がそんな手の込んだことをするかな?まあ神様だからなんでもできる、って話はいいとしよう。だが、ことはそう単純じゃあない。俺たち人間はサルから進化した。そのまた昔はネズミみたいなやつ、そのまた昔は爬虫類、そのまた昔は、っていう風にずーっとたどれる」
「そのように『ヒ神』が企んだ、では納得できぬのかな?」
「そこが逆なんだよ」
「逆?」
「地上世界はそうやってどんどん過去をたどれる。その結果最初の生き物に近しい存在まで行きつけるんだ。ま・もっとも、地上世界にだって進化論否定派もいるが、この場合はフォーダーンについての話だからそんなゴミみたいな雑音は気にしない。
「俺の言いたいのは、この世界に、フォーダーンには歴史や神話はあっても、過去はないってことだ。
「リリナ嬢ちゃんは魔法使い、言ってみりゃ科学者だ。その知的好奇心はなみじゃない。だから地上の古生物学も、地質学も、宇宙論も知っている。その上でフォーダーンってのはそれがないことにも気づいている、そしてさらに言えば『そういうものだ』と思っている。」
「だから神がそのようにお創りになった、それで何の問題が?」
「そこが逆だって言ってるんだ。地上世界はフォーダーンをモデルに邪神が作ったんじゃない。フォーダーンこそが地上をモデルに、何者かが作り上げた世界なんだよ!」
「たわごとです!」
わなわなと震えてエルメタイン姫が口を出すが、秋人の目は冷えている。
「すべての不思議は地上世界で魔法が使えることなんだ。それこそ『そういう世界』なら物理法則が異常なのはまあ別に問題はない。だが、地上世界で魔法が使えるのはなぜだ?『魔素』、そういうものが働いて魔法を起動させている。だが、そんなもの、地上にはない。
「もちろん科学が万能とは言わないが、そんなものがあったら、もうとうの昔に発見されているはずだ。
「もちろん魔素の濃度はごく薄いし、そもそも見つけようとしていないものを見つけるってのは難しい。これから発見される可能性もゼロじゃあない。だがそれは、ことの本質ではない。
「魔法は地上世界でも使える。つまり魔法は、純然たる物理現象だってことだ。魔法は魔法ではない。『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。』アーサー・C ・クラークの第三法則ってやつだ」
「なるほど。理解できなくもないですね」女王は笑う。だがその笑いはなんだか作り物めいていた。
「俺はだから知りたいんだ、この世界を作ったのは誰なのか、ということを」




