天蓋世界 1
第十五章 「天蓋世界」
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「……四神機」
エルメタイン姫は頬を紅潮させてそうつぶやく。
秋人も息をのんだ。
これは、凄い。動き出すまでもなく、すでに一個の芸術作品としての完成度がただ事ではない。
比べてしまうと、米軍の最新鋭機が素人の手慰みに見える。
「ま、これを見たら誰だって君らが『ただ者じゃあない』って思えるだろう?とりあえず貸しといてあげるよ」
「貸し?」
秋人の怪訝そうな声に火焔竜は笑いながら、「まあ、百年ばかりね」と答えた。神や竜ならぬ人の身にあっては十分以上の数字であったろう。
だが、と秋人は思考をめぐらす。エルメタインの顔を見て、彼女も『だが』という顔をしているのを確認した。――だが、これをもって帝国の正統と言い張れるだろうか?
通常の状態ならばありかもしれない。だが、今ここにおいてエルメタイン姫が陥っている苦境は到底通常ではない。おそらく幾重にもからまった陰謀が彼女を蜘蛛の巣にかかった蝶々のごとくがんじがらめに縛っているのだ。
であるのならば、あと一手。あと一つ何かがほしい。
そんな人間たちの苦境を察したものか、チビ竜は「まあまあ」と言って四神機のもとまで二人を連れてくる。
「おすすめはこれ、『白のアンフォルデ』、実際皇帝が乗った回数でいえば一番多いしね」
「アンフォルデ!ああ、絵や彫刻で見たことはありましたが、なるほどここまで美しいとは、想像の外ですね!」
エルメタイン姫はつるつるとした乳白色の機体を撫でまわす。
外見は地上世界の戦闘機に最も近いだろう。だが、「神に祈る乙女のように」と評される機体はむしろなまめかしいとさえ言えた。
四神機の中で二番目に足が速い。だが最も自在に空を飛び、二本の腕を有している。しかし腕らしきものは見当たらない。底部に継ぎ目らしきものはあるが、薄紙一枚通らないどころか、継ぎ目というより「線」にしか見えない。
そもそも飛行機としてみたら翼が小さいように思えた。胴体で揚力を得るにしてもそううまくはいくまい。もっとも、飛行魔法で飛ぶのだからこれでいいのだ、という意見もあろうが、であるならここまで飛行機然としてなくていいはずだ。
その疑問をぽつりと漏らした秋人に対し、チビ竜は得意満面の笑顔で、「そりゃあそうさ、四神機は変形する。翼が必要なら機体全体が翼になり、運動に最も適した形になって飛ぶんだ。さすがに腕はほら、そこの」といってチビ竜は短い指で示したが、どうも理解が及ばないであろうと悟ったのか、自身がパタパタとアンフォルデの下面に潜り込み、「ここから、これ」までの継ぎ目が割れて腕となるんだ、と教えてくれた。
「『赤のリグノード』もいいけど、ちょっと悪名があるからさあ」
チビ竜の言葉にエルメタイン姫はコクリとうなずく。
「白銀の神機は少し人間には貸したくないんだよねえ。殺傷能力が洒落にならない。黄金の神機は――これも良いっちゃ良いけども、いまいち知名度が低いしなあ」
「ジョージ・ハリスンはどこにでもいる、ってことか」
秋人は小さな声で呟くが、その地上世界の例え話はもちろん誰にも理解はされなかった。
ビートルズに例えるならばこの『白のアンフォルデ』はジョンかポールと言ったところだろう。確かに大衆受けは大事だ。何より大事、と言ってもいいかもしれない。
「そういえば、『ナストランジャ大神の枷』は受けないのか?」
「ああ、高度と速度の規制ね。四神機に関しては例外。ただしケンカとかならともかく、戦争に使っちゃあいけないよ。もしやったら僕らが束になって凹りに行くからね」
きししっ、とチビ竜は笑う。おそらくその言葉は真実なのだろう。そして竜に複数体襲われたら、これはもうどのような奇跡が起こっても死が待っているのみだ。
「分かりましたよ」秋人にしても、勝ち目のないケンカはしたくない。したくないがしかし、そうせざるを得ない状況に陥った時、使用しないで済ませられるかは、正直微妙だな、と思う。
まあ、この機体が存在するだけで抑止力になるか。
それは甘い考えかな、と思いつつも、それでもそうなればいいな、とは思っている。
そうだ、そうなってほしい。切実にそう思う。
「ほら、じゃあ、乗った乗った」
チビ竜がせかした。
*
秋人の胸の勅令に反応して、アンフォルデのキャノピーが開く。
キャノピーと言っても地上界のそれとは違い、上下左右にまるで花が開くように、イソギンチャクが捕食するかのように――秋人はもっと直截的な比喩を思いついたのだが、ここでは特に秘す。――薄い花弁が何枚も開き、秋人を収める。
これもまた乳白色を基調とした操縦席に納まると、秋人の脳内に『皇帝の鎧』と同じことが起きた。
一瞬で彼の中には必要な情報が共有される。それと同時に彼にこの機体は「紐付け」られた。他の者には使用できないのだ。
左右に操縦桿様のものはある、あるがどちらかと言えばこれはジェットコースターにある握り棒のようなものだ。操作自体はこの操縦桿からもできるが、基本的に脳内に形成された魔法回路によって、ほぼ直感で運用できる。そのことが自然と感得できたのだ。
この操縦桿は手持無沙汰にならないように置かれているのだ。神機を作った者は、人間というものについての理解が深いのだろう。
それから秋人は、おお、そうだ、という顔をする。
一瞬念じた。そして次の瞬間には、彼の操縦席の真後ろにもう一つ、副操縦席が出現したのである。
あっという間に 複座式に変化する。もはや何を言うのも馬鹿らしいほどの魔法の力だ。エルメタイン姫はその花弁のような操縦席にこわごわ滑り込む。と、座席が尻の下で動き、彼女の体のラインから最適な形を作り出す。ある種生物的な(蛇が這いずり回っている、という場面を彼女は想起した)動きに「ひっ!」と一言声を漏らす。
しなやかな花弁が体全体を覆う。おそらくは耐Gスーツのような役割も果たすのだろう。下半身はぎっちりと固定されているが、一切息苦しさがない。いままで跨ってきた(そう、それは椅子というよりも鞍に近かった)すべてよりもはるかに座り心地がいい。
「これは、なんというか、まあ……」
ほとんど陶然となる座り心地だ。尻、腰、背中、肩、首と全身の筋肉から緊張がほぐれ、骨の位置が最適な場所に導かれ、呼吸が楽になり、視野すら広がる。
視野?
そうだ、目の前には雲海が広がっている。その上にはどこまでも澄んだ青い空、そしてさらに上には――
妖精たちの住まう銀の杜。
既に二人と一機、それに一柱の神獣は文字通りの瞬間移動を終えていたのだ。「天の涯て」にある小さな神殿の小さな廊下。そこにアンフォルデはぽつりと存在していた。
この急展開にも慣れた姫君はしかし、
――ああ、そうだ。そうだった。
彼女はアンフォルデのカメラ(どこにあるのか、はまったく理解の外だ)を操作する。もちろん「カメラ」という存在そのものは知っていても、触ったことすらない姫君にとっては操作という感覚ではない。見たいものへと意識を持っていくと、その視線と意思を感じて神機が勝手にお膳立てしてくれるというものだ。
しかして、姫君の目前には一つの映像があふれる。
銀色の、サイズを無視すれば水晶によく似た六角柱状の巨大な銀色の結晶体が浮かぶ島。
天空から生えているように見える銀色の世界。
彼女たちが住まう「緑の丘」のどんな観測機械から見るよりも鮮明なその姿は美しく、そしてそれ以上に郷愁を誘うものであった。
――私は、ここに行かなければならない。
たとえそれが、自分の意志ではなく、単に遺伝子に組み込まれた自動的な感情なのだとしても、今の自分にはそこに行くほかには何の望みもないのだから。
「そうだな」
彼女の「視線」も共有していた秋人はしみじみとつぶやく。
「そうだ、俺も気になっていたんだよ、そういえば、さ」
そう言うと彼はエルメタインの方を向いて(二人の間には隔壁があるはずであったが、まるで存在しないかのようにリアルタイムで映像が投影されているのだ)、ウインクした。
「ちょっくら、慣らし運転がてら、『銀の杜』へ行ってくるか。……問題はないだろ?」
スピーカーからそう問いかけられた火焔竜は、やれやれ、とため息をついて二人が収まっているあたりを見て答える。
「止めはしないよ、大概の人間はそれを望むからね。どうぞ行ってらっしゃいな。そして、良き人生を送るんだね」
二人の人間ははっと気づく。
それは、別れの挨拶であった。
「ああ、何から何までありがとうな」
「本当に、感謝しています」
言って、そうだ、と秋人はアンフォルデの「腕」を起動する。たおやかな白い機械の腕が出現し、火焔竜に手を振った。
チビ竜はちょっと笑ったようだった。
*
男女二人の乗った神機、『白のアンフォルデ』は、素晴らしい速さで急上昇し、あっという間に白い点へとその姿を変えた。
だが、人間のそれよりはるかに性能の良い竜の目は神機を凝視している。その眼にはいくばくかの憐みさえ見えた。
「そうさ、大概の人間は『銀の杜』へ行く。そして絶望するのさ。だが、それを止めることはできない。この世界はそのために作られたのだから。フォーダーンは、人が間違いを犯す、そのために…………」
そうつぶやくと、チビ竜はその身を炎そのものへと変じさせ、自身の真の姿へと還っていた。
――だが、願わくは、
意識が、火焔竜へと戻るその一瞬、チビ竜は思う。
――願わくは、あの男女が、絶望せず、世界を良き方向へと舵取ることを……わが友にして大英雄、『ロウ』の子孫たちに、願う。
2
「おうっとう!」
秋人はその感覚に思わず大声を出す。
それも当然だろう。今の今まで素晴らしい加速度で上昇していったはずなのに、一気に重力の向きが逆になり、柱に激突しようとしたのだから。
とはいえ目前に迫った、と見えた「それ」はいまだ数十キロのかなたにあったのだ。それ、すなわち巨大な銀に輝く半透明の結晶柱は、あまりの巨大さに秋人は計測機器ではなく、おのれの視覚に頼って余計な動きをしてしまった。
減速に際して生じた膨大な重力加速度を神機の魔法は二十分の一程度にまでは減殺したが、なるほど、体を覆う花弁は必要に応じて動き、良い働きをした。
「すまんな」
秋人は非礼を詫びると、神機の姿勢を正す。天地がひっくり返った、とはよく言われる状態だが、実際にひっくり返ってしまうと、そのめまいを覚えるような状況に声も出ない。
足元に銀の杜、そして頭の上にフォーダーンの緑があふれている。その大きさはあの場所に立って銀の杜を見ていた時の四倍ほどだろうか。してみると存外この場所は狭いのかもしれない。
狭い、とは言ってもそれはしかし比較してみたらの話で、実際には広大である。いったい妖精族とはどのような存在で、そもそもどこに住んでいるのか。一切の地図はないのだ。神機の中にも「緑の丘」の詳細な地形図はあったものの、「銀の杜」については一切の情報がない。
「出たとこ勝負ですね」
「勝負になりゃあいいけど」
秋人がこぼすのも無理のない話であった。
しかしこの光景のなんとすさまじいことであろうか。
近くで見る銀の杜の柱状結晶は恐ろしくなめらかかつ鋭利で、しかもそのスケールがすべて数キロから数十キロというオーダーなのだ。日常の感覚がすべて粉砕される。
初めて日本の高層ビル群を見たアフリカ人、というのは一昔前のテレビでよくやっていたが(今はアフリカにも高層ビルはどんどん建っていっている)、まさにそういう感じだ。確かにフォーダーンの「緑の丘」には絶景も多々あったし、地上世界にはないものも多数ある。
だが、ここまでの奇観はない。
エルメタイン姫にしたって声もないのだから当然だ。
『白のアンフォルデ』は遊覧飛行のようにゆっくりと結晶を廻りながら飛ぶ。
速度が遅くなっても失速する気配もないのはむろん魔法のなせる業であるが、そもそもそれほどスピードは落ちていないのかもしれない。ただ銀に輝く半透明な結晶が巨大すぎて、自分とその行いが卑小に見える、というのが真実なのだろう。
今日何度目だろうか、二人は声もなく柱状結晶に見とれる。
と、何者かが近づくのが秋人の「感覚」にとらえられた。
なんだ?と思う間も有らばこそ、青く澄んだ鱗を持つそれは素晴らしいスピードで後ろから迫ると、至近距離で彼らを――正確には『白の神機』を――金の瞳で睥睨すると、パッと追い抜いていく。
全長五十メートルは超えていたであろう。
「天空竜・ハルドリキン!」
エルメタインがその素晴らしい速度を誇る存在の名前を呼んだ。
そのクリーム色とサファイアブルーのツートンカラーを秋人は望遠の「目」で見送った。送ったその視線がさらなる何かを見つける。
映像をエルメタインに送るが、それは姫君の知識にもない何かだった。
「近づくか?」
「そうしましょう」
音よりほんの少しだけ遅い神機は安定しているし、エンジンの轟音も振動もない。もちろん最高速度は音をはるかに超えるが、十五メートルもあるものが音速を超えると、衝撃波が冗談では済まない。妖精族が住んでいるのならば、そして人間がしてきたことを考えるのならば、あまり事を荒立てるのは得策ではない。秋人は逸る心を抑え、むしろ速度を落としながらその物体を目指した。
それは、人間が最も重視する「画」だった。
人の顔だ。
正確には上半身の彫像である。秋人の顔ニューロンを刺激したその像は、結晶柱に彫り込まれた物であった。
「でかいな」
秋人は言わずもがなのことを言う。
かなり図案化されている正面からの彫像。長さはたっぷり5キロメートルはあるだろう。この結晶の素材が何であるのかは知れないが、何であれ大きさだけでも並みの存在でないことは確かだ。
彼はさらに神機の速度を落とすと、彫像が彫られた結晶柱を回り込む。するとそこには、更に想像を絶するものがあった。
人だ。
今度は完全かつ完璧な人の全身像である。
ただし大きさは二〇キロメートルほどもあるから、それがなんであるのか理解するのに相当の時間を有した。
フォーダーンは、ザックリと言えば鶏卵のお尻の部分に『緑の丘』があり、天辺に『銀の杜』がある。緑の丘は直径約千キロメートルのややいびつながらも真円の大地で、銀の杜は直径でその半分ほど。そして両者の間は四千キロメートルの空間が隔てている。
その半ばほどに竜の住む『天の涯』があるが、これはもはや領土と呼ぶには小さすぎて、観察の対象にはなりえない。
しかし四千㎞程度ならば、望遠鏡で十分観測囲内である。地上世界において人工衛星などの静止軌道は地上三万五千七百㎞であって、およそ九倍だ。そして月の観測となれば、もはや比較にもならない。
であるのならば、銀の杜を観測したくなるのが人間の性である。が、しかし現実にはそうはいかない。リリナが採用している説によると、「たぶん幻術がかけられています」ということになる。
「肉眼でも分かるんですが、ある程度周期的に『銀の杜』は姿を変えています。そのうえ、遠見の魔法は使えません。それに光学的な装置で見ようとしても、細部は完全に靄がかかっていて、粒子の粗いそのまま拡大されてしまうんです」
「遺棄されし魔法使い」の弟子は実に残念そうに答えたものだ。
だからこそ、『銀の杜』については光学的な観測すらほぼ存在しえないのであるが、しかしそれにしてもこれが「見えていない」となると、妖精族の用いている幻術は実に何という完璧さであろうか。
――そうだ、そこには、四つの高さ二〇キロメートルに及ぶ像が立ち、その中には巨大な摩天楼が建ち並んでいた。
半透明の銀の結晶柱、それによって出来た大都市なのである。
明らかに人工的な加工の施された巨大な建物、、そしてそれに絡みつくように緑の木がそこかしこでその顔をのぞかせている。
その高さは像の半分ほどだろうか、してみると地上一〇キロメートルの建物ということになる。当然だがそこまで行くと、上部は雲の中になることもあるだろう。だが今はすっきりと晴れ渡り、龍道を行く『太陽』光は半透明な結晶の内部に満たされている。
すべての建造物は木と蔦でつながれ、その間を行き来する人々――妖精族?――が動いているのが分かる。秋人とエルメタインはその様をズーム機能で見る。
ゆったりとした服装の、驚くほど美しい(確かにエルメタインにどこか似ていた)人々だ。彼らは一様に空を見上げると、時ならぬ闖客の到来に口を開けて見入っていた。
そしてそれ以上に、どこまでも整然とした、有機的なメトロポリスの威容に、人間の男女は目を見張っていたのだ。




